詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

金王魯「君を花と呼んで十日泣いた。」、金芝幹「路地という言葉の中には」

2017-09-27 08:16:18 | 詩(雑誌・同人誌)
金王魯(Kim Wangno)「君を花と呼んで十日泣いた。」(李國寛訳)、金芝幹(Kim Jeehun)「路地という言葉の中には」(李國寛訳)(2017韓中日詩選集、2017年09月発行)

 李國寛訳以外の作品を読んでみたが、感想を書きたいと思う作品がなかなかみつけられない。だから、こんどは逆に李國寛訳の作品に何か共通するものはないか、それを探してみた。

 金王魯(Kim Wangno)「君を花と呼んで十日泣いた。」(李國寛訳)の書き出し。

雨のじめじめ降る日 花無十日紅という言葉の前で 泣いた。
君を何かと呼べば その何かになると言うので
君を花と呼んだので その十長生の太陽、山、水、石、雲、松、不老草
亀、鶴、鹿の中で鶴や確と呼ぶべきだったのに
私が花無十日紅という言葉を知らずに 君を花と呼んだので 泣いた。

 「いくらきれいに咲いた花でも十日持たない」ということばを知らなかった。「十個の不老長生の象徴するもの(太陽、山、水など)」を知らなかったので、君を花と呼んでしまった。
 そのあとの「泣いた」は花が色褪せたというよりも、花は私から去った(散ってしまった)ということだろうけれど。

散る花よりも さらにすすり泣き 別れていく人よりも さらに深く長く 泣いた。

 で終わる詩は、失恋の詩と言うことになる。「散る花」は「別れていく人」と言い換えられている。

 金芝幹(Kim Jeehun)「路地という言葉の中には」(李國寛訳)の一連目はこうである。

路地という言葉はなんと温かいのだろう
まだぬくもりの残る
誰かの捨てた練炭のように
ケガをした膝に赤い薬を塗ってくれた無愛想な
父のように

 「路地という言葉はなんと温かいのだろう」に、私ははっとした。
 詩人は「路地」そのものに反応しているのではない。路地という「言葉」に反応してことばを動かしている。
 金王魯「君を花と呼んで十日泣いた。」には「花無十日紅という言葉の前で」という表現がある。
 金芝幹と金王魯は、「言葉」に反応している。
 もしかすると、訳者の李國寛も「ことば」に反応しているのかもしれない。
 このときの「ことば」というのは「定義」がむずかしい。「ことば」は何かを指し示している。だから「ことば」を読むというのは「何が書かれているか」を読むことである。「何が」というのは「意味」にかわることもある。
 でも、「ことば」は何かを指し示したり、意味を語る前に、ただ「ことば」であるときがある。「ことば」が先にあって、それが「事実」を引き寄せ、動かすことによって生まれてくる「世界(意味)」というものもある。
 こういうものに、李國寛は反応しているのではないのか。
 「事実」はどうでもいい。「ことば」が動くときに生まれてくる「世界」、「ことば」と「世界」の緊密な関係にひかれているのではないのか。

 作品に沿って、言いなおしてみる。
 金芝幹は「路地」そのものを描いているわけではない。「路地という言葉」について描いている。
 一行目で「温かい」ということばを動かす。二行目で「ぬくもり」と言いなおす。「温かい」は形容詞、「ぬくもり」は名詞。「温かさ」と言い換えると名詞になる。その名詞に、「残る」という動詞をつなげる。そうすると、その「残る」に私の「肉体」が参加していく。「残る」は「残す」でもある。
 ここから変化が加速する。
 「残す」「残る」は「捨てる」という動詞を浮かび上がらせる。「捨てる」は「残す」の反対の動きだが、その反対のもののなかに、つまり捨てられたもののなかには何かが「残っている」。たとえば、「温かさ/ぬくもり」が。つかった後でも、「練炭」はすぐに冷たくなっているわけではない。また「ぬくもり」が「残っている」。
 この、動詞の「交錯」が、とてもおもしろい。単独に「残す」「捨てる」という動詞だけを考えたときには思いつかないようなことが、「事実」として書かれている。それは、私たちの「肉体」がおぼえている記憶である。記憶の事実が、そこにある。
 これを、さらに金芝幹は、動かす
 「無愛想な」ということばが、非常に強い。「無愛想」は「温かい」とか「ぬくもり」とは逆のものである。どちらかというと「冷たい」。でも、「無愛想」のなかには「温かい」「ぬくもり」も「残っている」。「無愛想」ではなく「愛想をふりまくことができない」「無骨」ということかもしれないと、思う。
 ここから「父」が浮かび上がる。ケガをしたとき赤チンを塗ってくれるのは、たいていは父ではなく母だろう。看護婦のイメージだね。でも、母がいないとき、父が塗ってくれた。優しさ(傷への心配)を前面に出すのではなく、むしろ隠すようにして赤チンを塗る。でも、そこには隠しきれない愛がある。温かさ、ぬくもりがある。
 いくつものことばが交錯し、交錯することで、「ひとこと」ではいえない隠れている何かをひきだして見せる。
 このときの、交錯することばの運動が私は大好きである。ことばが、肉体がおぼえていることを、あざやかによみがえらせてくれる。この瞬間が好きなのだ。そして、そのことばの動きの中に、人間の「肉体」の動きが自然に重なるものが、特に好きである、私は。
 李國寛も、きっとそういうことばの動き、ことばがつくりだす世界と人間との関係が好きなのだろうと、私は想像した。
 読むことは、結局、自分自身の知っていることを確かめることであるとも思った。
 人は知らないことは理解できない。知っていることだけを、より深く知るためにことばを読むのだと思った。




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安倍の嘘をあばく

2017-09-27 07:38:45 | 自民党憲法改正草案を読む
安倍の嘘をあばく
            自民党憲法改正草案を読む/番外120(情報の読み方)


 読売新聞(2017年09月27日、西部版・14版)1面に1段見出しの小さな記事がある。

「リーマン級で」/増税再延期も/首相

 こう書いてある。

 安倍首相は26日深夜のテレビ東京の番組で、2019年10月に予定する消費税率10%への引き上げについて「リーマン・ショック級の経済的な緊縮状況が起きれば判断しなければならない」と述べ、経済が大幅に悪化すれば再延期もあり得るとの認識を示した。衆院選では増税分の使途変更を問う考えを表明している。

 まったく無責任である。消費税を10%にあげる。それを財源にして「全世代型社会保障」を実施すると言ったばかりなのに、「財源」のメドを放棄している。財源のメドがないにもかかわらず、「全世代型社会保障」を実施すると言っている。
 有権者に「嘘の公約」をしている。気に入りそうなことばを並べているだけなのだ。
 だいたい経済危機を含め、あらゆる危機が起きないようにするのが政治家なのに、安倍は自分の都合に合わせて「危機」を捏造している。「危機」と「好調」をつかいわけている。

 「リーマン・ショック級の経済的な緊縮状況」に似たことばは昨年の参院選のときにもつかわれた。サミットの総括で「リーマン・ショックの前段階に似ている」と危機をあおって、参院選で「アベノミクス」の継続を訴えた。
 しかし、最近は、現在の景気は日本は「いざなぎ景気」(1965年11月から1970年7月までの57か月間続いた高度経済成長時代の好景気の通称)を超えた、と主張している。「現在の景気回復は2012年12月から続いており、9月も回復すれば4年10か月(58か月)となり、いざなぎ景気を上回る長さとなる見通しだ。」というのが最近の主張だ。
 そうであるなら、昨年の参院選の前、あるいは期間中は、「好景気」が持続しているということであり、「リーマン・ショョク」は無縁ということだろう。それなのに「不況」を装い、状況打開にはアベノミクスしかないと言った。アベノミクス(経済政策)を前面に出して参院選を戦うために嘘をついたということになる。
 そして、参院選で大勝すると、一転して「アベノミクスの継続」については知らん顔して、「政局のテーマは憲法改正だ」とぶち上げた。「選挙で争点にして来なかった」という批判には、「公約には書いてある」と言い逃れをした。

 いままた「リーマン・ショック」を言い出すのはなぜなのか。これこれの政策をするから、リーマン・ショックは起きないと言わないのはなぜなのか。景気は拡大する。消費増税は確実に実施でき、「全世代型社会保障」の財源に不安はない、と言わないのはなぜなのか。
 「全世代型社会保障」を実施するつもりはないのだ。
 今回の衆院選で議席を守る(さらには拡大する)ことができれば、それでいいとしか考えていない。議席を拡大するために、嘘をついているのである。
 議席が確保できれば、いまの安倍の主張は、どうかわるか。
 北朝鮮情勢が緊迫している。国の安全を守るために、憲法を改正し、自衛隊が「合憲」であることを保障するために憲法を改正する。さらには軍事費を増やす。「社会保障よりも軍事費が大事」と言うだけである。
 軍事費に重点を置き、そのために経済が疲弊したとしたら、それこそ安倍にとってのチャンス。今度は、「消費税を上げない」を「公約」にして選挙を勝ち抜く。そういう「想定」が安倍の頭の中で動いているのだろう。
 安倍は、3期どころか、永遠に「独裁者」となって日本を支配するつもりなのである。そのためには、どんな嘘でもつく。その場限りで何でも言う。

 「消費増税分から全世代型社会保障の予算を捻出する」ということは、必ず消費税を上げるということでもある。これに対して、ある若者がテレビのインタビューで「消費税があがるのはいやだなあ」と声を洩らしていた。私はテレビを見ないが、安倍の「解散表明」会見のあと、会社のつけっぱなしのテレビを偶然見たら、若者がそう言っていた。
 「リーマン・ショック級のことがおきれば消費税をあげない」と言うことで、この若者のような不安を封じようとしている。こびている。もし消費税を上げなければ、日本の国家予算が破綻するのに、である。
 安倍は独裁者になって、若者を戦場に駆り立て、「最高指揮官」として軍隊を指揮することだけを夢見ている。そのために、あらゆる嘘をつく。
 
#安倍を許さない #憲法改正 #天皇生前退位
 
詩人が読み解く自民党憲法案の大事なポイント 日本国憲法/自民党憲法改正案 全文掲載
クリエーター情報なし
ポエムピース
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