詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

白井知子「タブリーズの古い古いバザール」、吉本洋子「重力談義」

2018-04-03 11:18:22 | 詩(雑誌・同人誌)
白井知子「タブリーズの古い古いバザール」、吉本洋子「重力談義」

 白井知子「タブリーズの古い古いバザール」(「幻竜」27、2018年03月20日発行)には、夢と現実が交錯する。

この辺りだ
扉のノブをまわす

チャルドの女性に迎えられた
この香りはどこからかしら 妖しくも惹きつけられる
--マントの男性が来ませんでしたか
--誰もいないわ わたしだけよ

 白井はマルコ・ポーロの後を追っている。「マントの男」とはマルコ・ポーロである。マルコ・ポーロは過去の人間だから、その人間が来たことを実際におぼえているひとはいない。だから「質問」そのものが「夢」なのだが、こういう「夢」を「いま」という「現実」のなかでも、私たちはふと「こぼして」しまう。「思い描く」というのはいつでも「いま」のことだから、「思い描く」とは「過去」を「いま」に呼び出すことだから、うまく受け止めないとこぼれてしまうのだ。
 チャドルの女性は、もちろんマルコ・ポーロのことをたずねられたとは気がつかない。でも、せっかくの来たのだからと、白井に薔薇の花を編み込んだドレスをつくる。

欲しいのなら 代金は客人のあなたが決めて
そのままコートを着れば大丈夫よ
手持ちのドルを渡す
それで結構
わたしたちが出会えた証し こんな祝祭もいいものじゃなくて

 そうか、「出会い」は「祝祭」なのか。「祝祭」なら「時間」がなくなる。「いま」を突き破って、マルコ・ポーロがここにあらわれてきてもいい。実際、白井はここではマルコ・ポーロになって、タブリーズのバザールをさまようのだ。
 薔薇を縫い込んだドレスを着ることは、マルコ・ポーロになることだ。
 そして、そのあと、こんなことばを聞く。

花びらの方を素肌につけて眠れば 当分
枯れることはありません
体温と水分でうるおうものよ
時には水になじませて

 幻想的というか、ロマンチックというか。
 しかし、それだけではない。
 むしろ「現実的」なのだ。
 マルコ・ポーロは、きっと同じことばを聞いたはずだ。そして、薔薇の花びらのドレスを着て、白井になったはずだ。白井になって、薔薇のドレスを着ているマルコ・ポーロに、いま、白井はなっている。白井とマルコ・ポーロは入れ代わるのだ。
 白井はマルコ・ポーロを探すという「夢」のなかに「肉体」そのもので入っていった。その「肉体」は、そこで不思議なことばを聞いた。「夢」のようなことばだ。だが、「夢」のなかでは「夢のようなことば」こそが「現実」なのだ。
 そして、この「現実」と、

この仕事は 一族の女たちだけが守ってきたもの

 が重なる。
 「薔薇の花(あるいはたの花々)」をドレスに縫い込む。その「夢」のような仕事は、夢ではなく、現実に女たちによって守られてきた。「現実」にされてきた。
 「夢」を「現実」にする女の歴史。
 その歴史のなかで、白井はマルコ・ポーロの「夢」を知る。
 マルコ・ポーロは、「夢」ではなく「女の歴史」を見たのだとわかる。
 この「わかる」こそが「祝祭」かもしれない。出会った瞬間、出会うまではわからなかったことが、「わかる」。「わかる」ことで自分が消え、「他人」になる。「他人」の歴史になる。
 自分が自分でなくなってしまう。



 吉本洋子「重力談義」(「孔雀船」91、2018年01月15日発行)を、ふと思い出した。足の爪を切っている。

親指はしっかりと地面に着けて歩行しろ
重さが外れると爪は自由に動き出し
そのうちに肉にだって喰らいつく
喰らいつかれた肉は
誰かれかまわずに口汚く罵り
 
 「爪」は「夢」と同じように、自分の思うままには動かせない。それを「夢」を比喩として読むと、ここには白井が書いたのとはまったく別の「夢」がある。「夢」の反逆がある。「夢」が肉体に反逆し、「夢」ではなく「肉体」が「覚める」。
 「一族の女」の「歴史」ではなく、吉本個人の「歴史」が噴出する。他人と出会い、そこで何かが生まれる(わかる)のではなく、自分と出会い、自分が「わかる」。自分の「肉体」のなかに隠れていた「罵り」が「わかる」。
 この「罵り」を全部ことばにしてしまえば、それは別な意味での「祝祭」になるだろうなあと思うが、ことばは解放されず、「肉体」を描写する方向にもどってしまう。

両手にくい込む買物袋は
取敢えず3日分の食糧と
予定表と

 どうせなら、爪が「自由に動き出す」ように、ことばも「自由に動き出す」ままにしてほしかったなあ。詩なのだから。書くなら「買物袋」に「くい込まれた(喰らいつかれた)」「両手」の「罵り」を書かないことには、詩は不完全燃焼になる。





*


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目次

森口みや「コタローへ」2  池井昌樹『未知』4
石毛拓郎「藁のひかり」15  近藤久也「暮れに、はみ出る」、和田まさ子「主語をなくす」19
劉燕子「チベットの秘密」、松尾真由美「音と音との楔の機微」23
細田傳造『アジュモニの家』26  坂口簾『鈴と桔梗』30
今井義行『Meeting of The Soul (たましい、し、あわせ)』33 松岡政則「ありがとう」36
岩佐なを「のぞみ」、たかとう匡子「部屋の内外」39
今井義行への質問47  ことばを読む53
水木ユヤ「わたし」、山本純子「いいことがあったとき」56 菊池祐子『おんなうた』61
谷合吉重「火花」、原口哲也「鏡」63

谷川俊太郎『聴くと聞こえる』(下)68


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問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com

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