自民党憲法改正案(2)
自民党憲法改正草案を読む/番外200(情報の読み方)
安倍が「改憲案」として表明したのは(1)自衛隊を書き加える(2)教育の無償化だった。(2)はどんな文言になっているか。
26条1項、2項に追加する形で「3項」を提案している。その部分だけを取り上げると全体が見えない。現行憲法とつづけて引用する。
第26条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
2 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。
なぜ、こんなに長いのか、それが気になるが。
まず指摘したいのが、「主語」の問題。
現行憲法は「すべて国民は」と書き出されている。「国民」が主語。
(1)国民は、教育を受ける権利を有する。
(2)国民は、子どもに教育を受けさせる義務を負う。
権利と義務を明記している。義務は、国民の義務だが、なかには義務を果たせない人もいるかもしれない。経済的に学校へゆかせることができないという人もいるかもしれない。だから「2項」には、「義務教育は、これを無償とする。」という補足がついている。この補足には「主語」がふたつある。
(1)「国民は」、義務教育については、これを無償で受ける権利がある。
(2)「国は」、義務教育については、これ無償にしなければならない。(「国民は」、義務教育については無償で受ける権利を持つ。)
(2)の方は、私が子どものときから、小学校、中学校は無償である。
「憲法改正」で問題になったのは、いわゆる「高等教育」である。貧困のために進学できない。それが問題になり「無償化」を安倍は提案したはずである。
それだけなら、「3項」をつけくわえるというよりも「2項」の「義務教育」を「義務教育を含め、あらゆる教育」と書き換えるだけで十分である。ところが、そうしていない。何をつけくわえているか、どう書いているかに注意しないといけない。
26条を含め、現行憲法の「第3章」には「国民の権利及び義務」というタイトルがついている。「国民」が「主役」である。すでにみたように、現行憲法の26条は「国民は」と書き出されていた。「国」は、隠されていて、補って読む必要がある。
ところが自民党が追加した部分は「国は」と、「国」が「主語」として躍り出てきている。ここがいちばんの問題。「国民の権利と義務」なのに、「国」が「主張」している。「教育とは何か」について語っている。「国」が「教育」を押しつけている。
どういう教育か。
(1)国民一人一人の人格の完成を目指し
(2)(国民の)幸福の追求に欠くことのできないものであり、
(3)かつ、国の未来を切り拓(ひら)く上で極めて重要な役割を担う、
である。
「人格の完成」というのは抽象的でわからない。「人格」は基本的に「個人のもの」であって、国にとやかくいわれるものではない。「人格」に「完成」があるかどうか、わからない。また目指す「人格」は、ひとりひとり違っているはずである。「個性/多様性」が認識されているかどうか、自民党の案では、あやしい。
それは(2)と(3)が「かつ」ということばで連結されていることからもうかがえる。「国民の幸福(ひとりひとりの幸福)」と「国の未来」は同じか。同じこともあるかもしれないが、違うこともあるかもしれない。違っていたとき、「主語」の「国」は、国民に対してどう振る舞うのか。
たとえば、「国の未来は安倍独裁政権を倒す以外にない」「民主主義は安倍政権を倒さないかぎり死んでしまう」という「教育」をどこかの学校がするとき、それは「国の未来」を構想したものとして、教育をつづけることが保障されるのか。「安倍独裁に対して批判を展開できる人間の完成を目指す」という教育は、国によって保障されるのか。
おそらく、そうではない。
(1)「安倍政権を批判しない人間/権力を批判しない人間を育てる」ことを目指し、
(2)権力を批判しないことが、幸福につながり(皆が権力に奉仕することで、対立がなくなり)
(3)それが「独裁者」の指導の下に統一された国の未来になる
ということを目指しているのだ。
つづけて読んでいく。
(4)各個人の経済的理由にかかわらず教育を受ける機会を確保することを含め、
(5)教育環境の整備に努めなければならない。
(4)は、「教育の無償化」について語っているように見える。しかし、その文末は「含め」という形で、次の(5)につながっている。「切り離せない」ものとして書かれている。そうであるなら、これは「教育環境の整備に努める」ということが「主眼」であって、その環境のひとつとして「経済的理由にかかわらず教育を受ける機会を確保する(教育の無償化)」があると読むことができる。いや、読まなければならない。
繰り返そう。学校が「国の未来は安倍独裁政権を倒す以外にない」ということをテーマに教育をするとすれば(研究をするとすれば)、そういう「教育の自由」は保障されるのか。きっと、保障されない。
自民党(安倍)には、「理想の人間像」があり、そういう人間を育てるために「教育環境を整備する」ということが目的なのである。「理想の人間像」を「人格の形成」などと呼んでごまかしている。
安倍の思い描いている「理想の人間像」とはどういうものか。安倍は防衛大学の卒業式に、「片腕になれ」と語っている。それが安倍の「理想の人間像」である。安倍のかわりに侵略戦争に出かけ、そこで「精霊」になる人間を「理想の人間像」と呼んでいる。
軍人でなければ、たとえば「佐川」である。安倍を守るために、「文書は破棄して、ありません」と言い続け、「改竄」が問題になると、「誰が指示したのか」こたえることは訴追のそれがあるから答えられないといいながら、「安倍の指示はなかった」とだけ明言する。二枚舌をつかい、ただひたすら権力に奉仕する。
学校教育というのは、おうおうにして「先生が求める答え」のみを「正解」とする。そういう採点システム(評価システム)になっている。そのシステムを駆け上った佐川は、いま「安倍先生」の求める答えのみを「回答」として提出している。「安倍先生」に百点をもらうためである。
これが安倍の言う「教育環境」なのだ。
森友学園に安倍がなぜ肩入れしたか。「教育勅語」を園児に暗唱させていたからだ。洗脳教育をしていたからだ。「教育勅語」につながる「超保守」の思想は、2012年の「自民党改憲案」に明確に出ている。
今回の「改憲案」はその「先取り」である。「教育の無償化」を口実にして、教育全体を支配しようとしている。
これは、もうひとつの「学園」問題、加計学園問題で話題になった、前川前文科省次官の「授業」について踏み込んで質問している文科省(介入を迫った国会議員)の問題からも明らかである。
自立した人間、批判力をもった人間を育てない、ひたすら権力の言うことに従う人間を育てるために、学校教育が利用されようとしている。その支配が進められている。
「教育」については「無償化」のほかにも、「改憲」が提案されている。「第7章 財政」の89条である。「金の支出」に関して、「教育」ということばが出てくる部分を改正しようとしている。
現行憲法は、
第89条 公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。
この「公の支配に属しない」を「公の監督が及ばない」と書き変え、こうしている。
「公の支配に属しない」とは、それにつづく「教育(事業)」と結びつけて読むと「私立学校」になるだろうか。これを「監督が及ばない」と言いなおしたのはどうしてなのか。「監督するぞ」という意思表示である。
どんな教育をするのか。「国の未来は安倍独裁政権を倒す以外にない」というような教育はさせないぞ、と言っているのである。教育の自由(学問の自由)を否定している。自民党の「無償化」は「学問の自由」を否定することで成り立っている。
これは前川授業への介入という形で「先取り実施」されている。
#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位
*
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松井久子監督「不思議なクニの憲法」上映会。
2018年5月20日(日曜日)13時。
福岡市立中央市民センター
「不思議なクニの憲法2018」を見る会
入場料1000円(当日券なし)
問い合わせは
yachisyuso@gmail.com
自民党憲法改正草案を読む/番外200(情報の読み方)
安倍が「改憲案」として表明したのは(1)自衛隊を書き加える(2)教育の無償化だった。(2)はどんな文言になっているか。
26条1項、2項に追加する形で「3項」を提案している。その部分だけを取り上げると全体が見えない。現行憲法とつづけて引用する。
第26条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
2 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。
(自民党の追加項目)
3 国は、教育が国民一人一人の人格の完成を目指し、その幸福の追求に欠くことのできないものであり、かつ、国の未来を切り拓(ひら)く上で極めて重要な役割を担うものであることに鑑み、各個人の経済的理由にかかわらず教育を受ける機会を確保することを含め、教育環境の整備に努めなければならない。
なぜ、こんなに長いのか、それが気になるが。
まず指摘したいのが、「主語」の問題。
現行憲法は「すべて国民は」と書き出されている。「国民」が主語。
(1)国民は、教育を受ける権利を有する。
(2)国民は、子どもに教育を受けさせる義務を負う。
権利と義務を明記している。義務は、国民の義務だが、なかには義務を果たせない人もいるかもしれない。経済的に学校へゆかせることができないという人もいるかもしれない。だから「2項」には、「義務教育は、これを無償とする。」という補足がついている。この補足には「主語」がふたつある。
(1)「国民は」、義務教育については、これを無償で受ける権利がある。
(2)「国は」、義務教育については、これ無償にしなければならない。(「国民は」、義務教育については無償で受ける権利を持つ。)
(2)の方は、私が子どものときから、小学校、中学校は無償である。
「憲法改正」で問題になったのは、いわゆる「高等教育」である。貧困のために進学できない。それが問題になり「無償化」を安倍は提案したはずである。
それだけなら、「3項」をつけくわえるというよりも「2項」の「義務教育」を「義務教育を含め、あらゆる教育」と書き換えるだけで十分である。ところが、そうしていない。何をつけくわえているか、どう書いているかに注意しないといけない。
26条を含め、現行憲法の「第3章」には「国民の権利及び義務」というタイトルがついている。「国民」が「主役」である。すでにみたように、現行憲法の26条は「国民は」と書き出されていた。「国」は、隠されていて、補って読む必要がある。
ところが自民党が追加した部分は「国は」と、「国」が「主語」として躍り出てきている。ここがいちばんの問題。「国民の権利と義務」なのに、「国」が「主張」している。「教育とは何か」について語っている。「国」が「教育」を押しつけている。
どういう教育か。
(1)国民一人一人の人格の完成を目指し
(2)(国民の)幸福の追求に欠くことのできないものであり、
(3)かつ、国の未来を切り拓(ひら)く上で極めて重要な役割を担う、
である。
「人格の完成」というのは抽象的でわからない。「人格」は基本的に「個人のもの」であって、国にとやかくいわれるものではない。「人格」に「完成」があるかどうか、わからない。また目指す「人格」は、ひとりひとり違っているはずである。「個性/多様性」が認識されているかどうか、自民党の案では、あやしい。
それは(2)と(3)が「かつ」ということばで連結されていることからもうかがえる。「国民の幸福(ひとりひとりの幸福)」と「国の未来」は同じか。同じこともあるかもしれないが、違うこともあるかもしれない。違っていたとき、「主語」の「国」は、国民に対してどう振る舞うのか。
たとえば、「国の未来は安倍独裁政権を倒す以外にない」「民主主義は安倍政権を倒さないかぎり死んでしまう」という「教育」をどこかの学校がするとき、それは「国の未来」を構想したものとして、教育をつづけることが保障されるのか。「安倍独裁に対して批判を展開できる人間の完成を目指す」という教育は、国によって保障されるのか。
おそらく、そうではない。
(1)「安倍政権を批判しない人間/権力を批判しない人間を育てる」ことを目指し、
(2)権力を批判しないことが、幸福につながり(皆が権力に奉仕することで、対立がなくなり)
(3)それが「独裁者」の指導の下に統一された国の未来になる
ということを目指しているのだ。
つづけて読んでいく。
(4)各個人の経済的理由にかかわらず教育を受ける機会を確保することを含め、
(5)教育環境の整備に努めなければならない。
(4)は、「教育の無償化」について語っているように見える。しかし、その文末は「含め」という形で、次の(5)につながっている。「切り離せない」ものとして書かれている。そうであるなら、これは「教育環境の整備に努める」ということが「主眼」であって、その環境のひとつとして「経済的理由にかかわらず教育を受ける機会を確保する(教育の無償化)」があると読むことができる。いや、読まなければならない。
繰り返そう。学校が「国の未来は安倍独裁政権を倒す以外にない」ということをテーマに教育をするとすれば(研究をするとすれば)、そういう「教育の自由」は保障されるのか。きっと、保障されない。
自民党(安倍)には、「理想の人間像」があり、そういう人間を育てるために「教育環境を整備する」ということが目的なのである。「理想の人間像」を「人格の形成」などと呼んでごまかしている。
安倍の思い描いている「理想の人間像」とはどういうものか。安倍は防衛大学の卒業式に、「片腕になれ」と語っている。それが安倍の「理想の人間像」である。安倍のかわりに侵略戦争に出かけ、そこで「精霊」になる人間を「理想の人間像」と呼んでいる。
軍人でなければ、たとえば「佐川」である。安倍を守るために、「文書は破棄して、ありません」と言い続け、「改竄」が問題になると、「誰が指示したのか」こたえることは訴追のそれがあるから答えられないといいながら、「安倍の指示はなかった」とだけ明言する。二枚舌をつかい、ただひたすら権力に奉仕する。
学校教育というのは、おうおうにして「先生が求める答え」のみを「正解」とする。そういう採点システム(評価システム)になっている。そのシステムを駆け上った佐川は、いま「安倍先生」の求める答えのみを「回答」として提出している。「安倍先生」に百点をもらうためである。
これが安倍の言う「教育環境」なのだ。
森友学園に安倍がなぜ肩入れしたか。「教育勅語」を園児に暗唱させていたからだ。洗脳教育をしていたからだ。「教育勅語」につながる「超保守」の思想は、2012年の「自民党改憲案」に明確に出ている。
今回の「改憲案」はその「先取り」である。「教育の無償化」を口実にして、教育全体を支配しようとしている。
これは、もうひとつの「学園」問題、加計学園問題で話題になった、前川前文科省次官の「授業」について踏み込んで質問している文科省(介入を迫った国会議員)の問題からも明らかである。
自立した人間、批判力をもった人間を育てない、ひたすら権力の言うことに従う人間を育てるために、学校教育が利用されようとしている。その支配が進められている。
「教育」については「無償化」のほかにも、「改憲」が提案されている。「第7章 財政」の89条である。「金の支出」に関して、「教育」ということばが出てくる部分を改正しようとしている。
現行憲法は、
第89条 公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。
この「公の支配に属しない」を「公の監督が及ばない」と書き変え、こうしている。
第89条 公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の監督が及ばない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。
「公の支配に属しない」とは、それにつづく「教育(事業)」と結びつけて読むと「私立学校」になるだろうか。これを「監督が及ばない」と言いなおしたのはどうしてなのか。「監督するぞ」という意思表示である。
どんな教育をするのか。「国の未来は安倍独裁政権を倒す以外にない」というような教育はさせないぞ、と言っているのである。教育の自由(学問の自由)を否定している。自民党の「無償化」は「学問の自由」を否定することで成り立っている。
これは前川授業への介入という形で「先取り実施」されている。
#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位
*
「天皇の悲鳴」(1500円、送料込み)はオンデマンド出版です。
アマゾンや一般書店では購入できません。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977
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松井久子監督「不思議なクニの憲法」上映会。
2018年5月20日(日曜日)13時。
福岡市立中央市民センター
「不思議なクニの憲法2018」を見る会
入場料1000円(当日券なし)
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詩人が読み解く自民党憲法案の大事なポイント 日本国憲法/自民党憲法改正案 全文掲載 | |
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