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詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

廿楽順治「亀戸落語」、高階杞一「サザエさんの日々」

2018-04-06 10:07:56 | 詩(雑誌・同人誌)
廿楽順治「亀戸落語」、高階杞一「サザエさんの日々」(「ガーネット」84、2018年03月01日発行)

 廿楽順治「亀戸落語」。行末がそろったスタイルの詩なのだが、ネットではうまく表示されないので頭そろえで引用する。(同人誌で原文を参照してください。)

そのふてくされかたはなんでしょうか
おれは
おまえの受験のことなんかじゃおがまないよ
だってあんなにいのったのにこの国は負けたんだもの
(まだいってる)
おとうさんは死んだんですよ
数十年たって
わたしは息子の太一と生きながらえたままやってきた
でもこんなに
低姿勢のまま生きていくひつようがあるのかな
おれは点線でかこわれている
おまえたちは亀だから
そういうしつもんにはこたえられまい
(いや、おとうさんは死んでずれちゃったと思うんですよ)

 「ふてくされかた/ふてくされる」が(まだいっている)と言いなおされる。正確には「言い直し」ではなく、「ふてくされている」と感じた、その「感じ方」の方の言い直し。「ふてくされる」が客観描写なら、「まだいっている」というのは「批評(主観)」である。
 批評は短い方がいい。
 読みながら、そう思う。私のことばはいつも長々しい。終わりがない。批評になっていない。でも、私は批評を目指していいなからね、と言い訳をしておく。
 廿楽の詩は、「客観」と「批評」が交錯するところがおもしろい。そして「批評」が「文語」(正式な?文章)ではなく、「口語」であるところが魅力的である。
 だから、というのは、ちょっと強引な書き方だが、
 (いや、おとうさんは死んでずれちゃったと思うんですよ)
 という具合に長くなると、「批評」ではなく「批判」になってしまう。そうするとつまらない。長くなった分だけ「呼吸」が生きてこない。「頭」が動いている。
 批評は呼吸なのである。
 そして呼吸とは「肉体」のことである。
 途中にぱっとあらわれる「呼吸」、その「息づかいとともにある肉体」が、批評である。

空襲で死体がみごとな山になっていてな
なにが天神さまか
おとうさんはまだじょうずにしゃべっていた
(もしもし)
亀よ突貫亀さんよ

 (もしもし)の「切り返し」(ツッコミ、というのだろうか)を(いや、おとうさんは死んでずれちゃったと思うんですよ)と比較すると、その違いがわかると思う。



 高階杞一「サザエさんの日々」の「批評」は、詩のなかで、どう動くか。

マスオさんは工場から帰ってきて
まずお風呂に入ります
それから夕食
ふたりで今日あったことをいろいろと話します
今度の休みはどうしよう
まだこどもはいないけど
できたら
もう少し広い部屋に引っ越したいね
そのときはカーテンも新しいのに替えたいな
そんなふうに
話し合っているだけで
わたしは幸せに思えてくるのですが
マスオさんはどうかしら

 「そのときはカーテンも新しいのに替えたいな」が批評である。批評とは隠れていた欲望のことである。言いたいけれど言えなかったことが、ふいに噴出してくる。その瞬間、そのことばを発した人の「肉体」があらわれる。
 廿楽の「まだいってる」と同じ。




*


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目次

森口みや「コタローへ」2  池井昌樹『未知』4
石毛拓郎「藁のひかり」15  近藤久也「暮れに、はみ出る」、和田まさ子「主語をなくす」19
劉燕子「チベットの秘密」、松尾真由美「音と音との楔の機微」23
細田傳造『アジュモニの家』26  坂口簾『鈴と桔梗』30
今井義行『Meeting of The Soul (たましい、し、あわせ)』33 松岡政則「ありがとう」36
岩佐なを「のぞみ」、たかとう匡子「部屋の内外」39
今井義行への質問47  ことばを読む53
水木ユヤ「わたし」、山本純子「いいことがあったとき」56 菊池祐子『おんなうた』61
谷合吉重「火花」、原口哲也「鏡」63

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2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
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最高指揮官は?

2018-04-06 09:04:06 | 自民党憲法改正草案を読む
最高指揮官は?
             自民党憲法改正草案を読む/番外202(情報の読み方)

 2018年04月06日の読売新聞朝刊(西部版・14版)の一面見出し。

陸自日報/防衛相「解明急がせる」/野党反発 審議影響も

 陸上自衛隊のイラク派遣時の日報の存在が1年以上公表されなかった問題の続報である。目新しいことは何も書いていない。見出し以上のことは書いていない。
 だから、私は考える。

 自衛隊の最高責任者(最高指揮官)って、だれだっけ?
 小野寺防衛相? 統合幕僚長?
 よく耳にするのが、安倍が言っていることば。ことし3月18日の防衛大学校の卒業式では、こう言っていた。

本日、伝統ある防衛大学校の卒業式に当たり、これからの我が国の防衛の中枢を担う諸君に、心からのお祝いを申し上げます。卒業、おめでとう。諸君の誠に凛々(りり)しく、希望に満ちあふれた姿に接し、自衛隊の最高指揮官として、心強く、大変頼もしく思います。

 官邸ホームページの資料によれば、この訓示の最後は、こう署名されている。

平成30年3月18日 自衛隊最高指揮官 内閣総理大臣 安倍晋三

 「最高責任者」とは言っていない。書いていない。しかし、「最高指揮官」と言っている。書いている。だから、「指揮官であって、責任者ではない」という言い逃れはできるだろうけれど、こういうことは「屁理屈」。
 さて。
 その「最高指揮官」は、この問題に対して、どういうことをしているのか。私は目についた記事しか読んでいないのでわからないが、何もしていない。私には、何もしないでいる、としか見えない。
 これは、おかしい。

 で、さらに考える。
 誰が、どうして、何のために、「日報」を隠したか。「最高指揮官」が指示したからだろう。「最高指揮官」の指示なしには、そういうことはしないだろう。「戦争の記録(日報)」を残さなければ、次の戦争に体験を生かせない。
 これは「森友学園文書改竄」も同じ。内閣の(行政の)最高責任者が指示しないかぎり、官僚は動かない。もちろん、こういうとき安倍が直接「財務省の職員」に指示を出すわけではない。安倍の指示を受けたものが、さらに指示を出すという形になる。職員に直接指示を出すのは直属の上司であっても、それは安倍の指示。
 何のために? 安倍の利益を守るためである。安倍にとっての「利益」とは何か。総理大臣をつづけること、である。
 昨年は、稲田を切り捨てた。今年は小野寺を切り捨てるのだろう。何のためか。安倍の利益のため、安倍が総理大臣をつづけるためである。
 「森友学園」に安倍と昭恵が関与していたなら、総理大臣、国会議員を辞めると安倍は言った。いままた関与が疑われている。文書改竄問題は解明されていない。その追及を逃れるために、「イラク日報」を引っ張りだしたのではないのか。シビリアンコントロールが問題になる、ということまでは考えず、ただ「目くらまし」を思いついたのだろう。
 昨年の防衛大学校の訓示では、こう言っている。

最高指揮官たる内閣総理大臣の片腕となって、その重要な意思決定を支える人材が出てきてくれることを、切に願います。

 安倍は「片腕」を求めている。いつでも切り捨てることのできる「片腕」を求めている。「重要な意思決定を支える人材」とおだてておいて、不必要になったら切り捨てる。佐川を「適材適所」と言い続けたことを思い出せば、よくわかる。
 さらに、このいつでも「片腕」を切り捨てるという姿勢からは、こういうことも想像できる。
 安倍がしたいのは、「戦争」であり、「戦争を指揮する」ことなのだ。戦争になれば、兵隊は指揮官の命令に従うしかない。命令に従うしかない状況をつくりだして、次々に「片腕」を切り捨てる。戦争だから、それは死ぬことにつながるのだが、その「戦死」を「御霊」と呼んで讃えて、それで「責任」を果たしたと言うつもりなのだ。
 さらには、「おじいちゃん(岸)は戦争を勝ち抜くことができなかったが、自分ならアジア諸国に勝てる」と思い込んでいる。「戦争に勝って、おじいちゃんの敵を討つ」と妄想している。それで「歴史」に名前が残ると妄想している。

 それにしても。

 いったい日本の現実はどうなっているのか。都合のいい数字だけをならべて「好景気」と言っているが、ほんとうか。景気がいいななら銀行が人員削減をするはずがない。銀行の行員が増えないかぎり景気がよくなったとは言えない。不都合な「資料」は全部隠し、「事実」を捏造し、世論を誘導する。これでは、第二次大戦時の「大本営発表」と同じだろう。
 日本国憲法の起草にかかわった幣原喜重郎首相が電車のなかで市民の一人がこう叫ぶのを聞いている。
 「いったい、君はこうまで日本が追い詰められていたのを知っていたのか。なぜ戦争をしなければならなかったのか。おれは政府の発表したものを熱心に読んだが、なぜこんな大きな戦争をしなければならなかったのか、ちっともわからない。戦争は勝った勝ったで敵をひどくたたきつけたとばかり思っていると、何だ、無条件降伏じゃないか。足も腰も立たぬほど負けたんじゃないか。おれたちは知らぬ間に戦争に引き込まれて、知らぬ間に降参する。自分は目隠しをされて場に追い込まれる牛のような目にあわされたのである。けしからぬのは、われわれをだまし討ちにした当局の連中だ」
 この「戦争」を「景気(アベノミクス)」と読み直せば、いまの日本である。
 「おれは政府の発表したものを熱心に読んだが、なぜこんな大きな犠牲を払って働かなければならないのか、ちっともわからない。好景気だ、好景気だというので、暮らしが楽になるに違いないと思っていたが、税金は高くなる、社会福祉は切り捨てられる。何だ、庶民はどんどん貧乏になっていくだけじゃないか。病院にも通えず、介護もされず、見捨てられる。おれたちは知らぬ間に、金持ちの金稼ぎに巻き込まれて、知らぬ間に捨てられる。貧乏は自己責任と言われる。目隠しをされて場に追い込まれる牛のような目にあわされている。けしからぬのは、われわれをだまし討ちにした安倍一派だ」
 安倍の言っていることには、何一つとして「事実」はない。
 何一つ責任をとらない「最高指揮官(最高責任者)」など許してはならない。




#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位 
 


*

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松井久子監督「不思議なクニの憲法」上映会。
2018年5月20日(日曜日)13時。
福岡市立中央市民センター
「不思議なクニの憲法2018」を見る会
入場料1000円(当日券なし)
問い合わせは
yachisyuso@gmail.com
詩人が読み解く自民党憲法案の大事なポイント 日本国憲法/自民党憲法改正案 全文掲載
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