詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

スティーブン・スピルバーグ監督「ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書」(★★★★)

2018-04-02 09:46:52 | 映画
スティーブン・スピルバーグ監督「ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書」(★★★★)

監督 スティーブン・スピルバーグ 出演 メリル・ストリープ、トム・ハンクス

 「平常心」では見ることのできない映画である。どうしても「森友学園」の文書改竄が重なる。マスコミの報道(報道の仕方)が気になる。
 「ペンタゴン・ペーパー」に比較すると「森友学園文書」そのものは「政府の犯罪(無益な戦争をした/戦争から撤退する判断が遅れた)」を証明するものではない。籠池に便宜を図ったというものである。ベトナム戦争では若者が無残に死んでいったが、森友学園では死者はいない。
 しかし、問題はそれだけではない。「文書」をどう扱うか、という重要な問題が残っている。「文書(事実)」と、政府の態度の問題がある。アメリカは「不都合な文章」もそのまま保管している。歴史を検証するときに必要だからである。日本では、これが改竄され、破棄されている。政府が「事実」を隠すだけではなく、「事実」を変更している。
 どういうときにも「秘密」にしなければならないことがあるだろう。しかし、「秘密」にするのと、それを「なかった」ことにするのは違う。
 「森友学園文書」は、なぜ改竄、破棄されなければならなかったのか、という問題は「だれにとって」不都合な文書であるかを考えればすぐにわかる。
 安倍は、佐川の国会答弁と文書の存在が齟齬をきたすから、それを解消するために改竄、破棄したという。しかし、その安倍が「昭恵が名誉校長を引き受けている数はあまたある」とか平然と言い、森友学園、加計学園関係の二校だけだと指摘されると「言い間違えた」と平気で言いなおすのだから、「国会答弁」など「言い間違えました」と言えばすむ。安倍に許されていることが財務省の職員が許されないわけがないだろう。

 最初から脱線してしまったが。

 映画は、非常にてきぱきと進む。あまりにてきぱきしすぎている感じがしないでもないが、これをときどきメリル・ストリープがぐいとおさえる。弱気から強気にかわるときの表情がとてもいい。トム・ハンクスは、どちらかというとストーリー展開を推し進める役をしっかりと担っている。自己主張しない。
 メリル・ストリープが弱気と強気のあいだで揺れるのは、経営者であるからだ。会社(投資家の利益を守ることと、従業員の生活を守ること)に責任がある。一方でジャーナリズムに対して責任もある。会社を守ろうとすれば、ジャーナリズム(言論の自由)を守れない。さらには、これに友人関係までからんでくる。
 そういうストーリー(テーマ)とは別に、この映画には、とてもおもしろいシーンがある。小道具がとても生きている。電話である。ペンタゴン・ペーパーを手に入れるために、「情報源」を探り出すのに、記者は「電話」を活用している。「盗聴(あるいは発信先を特定されること)」を避けて公衆電話をつかっている。時代をそのまま描いているといえばそれままでなのだが、番号(連絡先)をひとつずつしらみ潰しにしていくところが地道でとてもいい。公衆電話で電話するとき、小銭を道路に落としてしまい、あわてるところもいい。「落ち着け、落ち着け」と言いたくなるでしょ? 映画なのに。自分のことでもないのに。これが最初の「電話」のとてもいいシーン。
 それから最終決断のシーン。家のなかにある「内線電話」の受話器を何人もがつかむ。「盗聴」というのではなく、「内線」機能をつかって「討論」が始まる。これもいいなあ。「映画」では演じている役者の顔が見えるが、実際に電話をしているひとは、それぞれが離れているので顔が見えない。表情が見えない。「気持ち(感情/意思)」は「声」としてしか伝わらない。「ことばの論理」はこの場合、あまり重要ではない。「経営か言論の自由化」は、すでに語り尽くされている。だから、ここではスピルバーグは役者に「声の演技(声のアクション)」をさせている。(「リンカーン」を撮ったときと同じである。)この「声の演技」を、舞台ではなく、映画でやってしまうところがなんともすごい。スピルバーグもすごいが、それに答える役者陣もすばらしい。
 「声」というのは不思議なもので、「表情」以上に、「肉体」の内部まで入ってくる。(英語が聞きとれるわけではないが、感情はなんとなく伝わる。)「印刷するぞ」とトム・ハンクスが印刷工場に電話する。それを電話で受けて、工場で働いている人に叫ぶ。この瞬間「声」が「電話回線」を飛び出して、「世界」に広がっていく。
 いやあ、思わず涙が出ます。
 私の「職業」も関係しているのかもしれないけれど、このシーンは感動の涙なしには見られない。

 最後の最後で、また「電話」が出てくるのも象徴的だなあ。
 「ウォーター・ゲート事件」が始まるところで終わる。「電話」が主役の映画なのだ。

 で、また最後は映画から脱線するのだけれど。「よし、安倍が退陣するまで、安倍の改憲案を成立させないために、自分にできることはしよう」と思うのだった。できることは少ないけれど、そのできることをしないではいられない。
 とりあえずは松井久子監督「不思議なクニの憲法2018」の上映会をやりとげないことには。福岡の上映会は5月20日(日曜日)一日かぎり。午後1時から、福岡市立中央市民センター(中央区赤坂、裁判所の裏手)、入場料1000円です。定員70人。当日券はありません。事前に谷内(yachisyuso@gmail.com)までお申し込みください。
(ユナイテッドシネマキャナルシティ、スクリーン9、2018年03月25日)

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