星野元一「髭がのびる」(「蝸牛」58、2018年04月20日発行)
星野元一「髭がのびる」。
髭がのびていた
棺の中で
みんなが泣いて
湯灌も終ったのに
ごりんじゅうです
医師の声が
まだ髭にはとどいてはいないのだ
一連目の最後の「とどく」という動詞が印象的だ。強いものを含んでいる。「まだ髭には」という限定があるから、ほかの部分にはとどいたのか。心臓にはとどいただろうなあ。あるいは、逆か。心臓がとまったという「情報」がとどいたから、医者は「ごりんじゅうです」と言ったのか。いまなら脳波が止まったという情報が共有されたら(みんなにとどいたら)、「ごりんじゅうです」ということになるのか。
とどいていないものは、ほかにもある。「みんなが泣いた」「湯灌もおわった」。それもとどいていないに違いない。
この「とどいていない」は二連目で、違う風に動く。
このままだと顔中がもじゃもじゃになって
ぱくりと口を開け
枕飯をほおばり
味噌汁はないかといって
棺から逃げ出していくぞ
草鞋が合わないからではないか
杖や笠が安っぽいからではないか
六文銭はもたせたのか
前半は、空想(予想)。後半も想像なのだけれど、この後半の部分に「とどく」が逆転した形で動いている。
「草鞋があわない」「杖や笠が安っぽい」「六文銭がない」という不満が、遺族に「とどいていない」のではないのか。死者は、どんな声をとどけようとして、髭をのばしたのか。死者の声に、耳をすましてみる。何か聞こえてこないか耳を傾ける。聞こえない声を、聞きとろうとする。
どれだけ死者の声を受け止めたか。死者の声は、生前、家族にとどいていたのか。
もちろん、そんなことを星野は書いていないし、遺族を責めるというのではないけれど、ひとの「声」というのは、とどいたり、とどかなかったりする。そして、それはときどき、予想もしていなかった形で反逆(?)してくる。「ここには、その声はとどいていないぞ」と何かが言い出す。
その「遅れてきた声」が、三連目で書かれている。遅れて「とどいた」声を、星野は、こう書いている。
野も山も桜だ
髭だって待っていたのだ
幟がなびいて太鼓も聞こえるぞ
ツバメが帰ってきたぞ
ブリキの自動車や船や飛行機や
ぬいぐるみや
カメやヒヨコやタコヤキやワタアメたちを引き連れ
寅さんたちもやってくるぞ
髭だって飛び出したいのだ
じょりじょりと子どもたちのほっぺたにこすりつき
きゃあきゃあと神社や森まで笑わせ
イッヘン!と
みんなを振り向かせ
べらんめえと
酒盛りの座敷に上がり込んで
髭だらけの口を押し上げ
昭和の歌でもうたいたいのだ
お経がおわって
引導が渡されても
ひとは、いつでも存分に生きていたい、という「声」がとどいた。それは同時に、このひとは存分に生きてきた、うれしかったよ、という「声」として受け止めることもできる。「とどいた声」をどう聞きとるか。受け止めるか。
星野は、「不満」ではなく、「肯定」と受け止めている。
ああ、あのひとは存分に生きたひとだった。十分に楽しんだ。その「気配」のようなものが、まだ残っている。まだ、この世を楽しんでいる、と。
「お経が終って/引導が渡されても」、まだ「声がとどかない」ふりをしている。しょうがないなあ。これは、あきらめではなく、共感だ。
人の死を描きながら、楽しいのは、そのためだ。
ひとの声はとどいたり、とどかなかったり。とどいても、とどかなかったふりをしたり。先回りしてとどけるひともいるけれど、忘れたふりをしてあとからとどけるひともいる。「聞こえ方」はさまざまだ。
この詩は「とどく」という動詞がなければ、ぜんぜん違ったものになっていただろうと思う。
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