詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

見聞きした意見?

2018-04-25 11:37:35 | 自民党憲法改正草案を読む
見聞きした意見?
             自民党憲法改正草案を読む/番外210(情報の読み方)

 2018年04月25日読売新聞朝刊(西部版・14版)。セクハラ事件を起こした福田財務次官が辞任したニュースの「社会面」の記事。
 そこにこんな部分がある。

麻生財務相は閣議後の記者会見で「セクハラは被害女性の尊厳や人格を侵害する行為で、決して許される話ではない」と述べる一方で、「(女性記者に)はめられて訴えられているんじゃないか、いろいろご意見がある」とも発言した。
 この発言に対し、同日午後に国会内で開かれた野党合同のヒアリングでは批判が集中。同省の担当者は「大臣が見聞きした意見を紹介したもので、ご自身の意見を表明したのではない」と釈明に追われた。

 麻生の「いろいろだご意見がある」を踏まえて、財務省の担当者が答えた、ということだが、そういう「答え」でいいのか。そういう「答え方」を許せば、あらゆることが「いろいろご意見がある」ですんでしまう。
 その「ご意見」の発言者はだれなのか、それを聞いて麻生はどう反論したのか。その意見について反対ならば、それをそのまま麻生が言うはずがない。その意見に「同調」しているから、それをそのまま「公言」するのだ。
 批判されると、それは自分ではやっていない、と言い張るのは、いわゆる「とかげのしっぽきり」の「流用」である。「自分は言っていない。言ったの他人だ」というのは、「自分はやっていない。やっていないのは財務省の職員だ(部下だ)。自分には責任がない」というのと同じである。
 「女性記者にはめられた」という表現そのものがセクハラである。女性記者はセックスを利用して取材していると断定することになる。
 たとえ女性記者が福田に言い寄ってきたとしても、「そういうお誘いはお断りします」と言えばすむことだろう。なぜ「おっぱいさわっていい?」というような受け答えをしないといけないのか。逆にテレビ朝日を叱責すればいいのではないのか。叱責する必要があるのではないのか。それこそ、福田の方が発言を録音し、テレビ朝日はこんな悪質な取材方法をとっていると告発すればいいだろう。
 ある意見に対して、「同調」しているときは、それをわざわざ言わない。紹介するのはそれが正しいと思うからである。その意見に対して批判があるかぎりは、「いろいろご意見がある」ではおわらない。私がいま書いているように、その「ご意見」には賛成できないとつけくわえるのが一般的なやり方である。
 こんな「釈明」を許していいはずがない。野党は、その後、その担当者に対して、どう詰め寄ったのか。「釈明」を受け入れたのだとしたらあまりにもだらしがない。マスコミも、そういう「釈明」を受け入れていることがおかしい。セクハラ被害の当事者の側のマスコミはもっと毅然と犯罪に向き合い、追及しないと、今後さらにセクハラが拡大することになる。


 

#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位 
 


*

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憲法9条改正、これでいいのか 詩人が解明ー言葉の奥の危ない思想ー (これでいいのかシリーズ)
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未知野道「いまからおもふと」、池井昌樹「あたし」「金色」

2018-04-25 09:31:10 | 詩(雑誌・同人誌)
未知野道「いまからおもふと」、池井昌樹「あたし」「金色」(「森羅」10、2018年05月09日発行)

 未知野道「いまからおもふと」もまた池井昌樹の作品だろう。

いまからおもふと
まっくろなかおりのよい
こおろぎのインクつゆにしめりながら
ゆめのなみだにひたっていたような気がする
網膜か体の中にある黒いガーゼの蜘蛛の巣のような
ゆれないひえた儒教ぼんさんの木々の透き間に
列車の一本のよいさけびを聞きながら
ぱろんとしためろん平面の夜空やら
かけらの星星やら月やらをながめながら
あまくあまくうつむいてた気がする
目の裏の皮と体の中の僕の胆嚢だけを
トラホーム色にねつねつひからせながら
ゆめのなみだにひたってたような気がする
からだも夜にはひるとなくなっちまい
目の下にしめった土ころだとかいもむしの糞ばかりがたんたんとあかるんでいて。

 「まっくろ」と「よい」の組み合わせ、「よい」と「さけび」の組み合わせ、「あまくあまく」「ねつねつ」「たんたん」という音の繰り返しにも池井の嗜好(思考/指向)が伺える。
 嗜好/思考/指向は、厳密には区別できない、ということを、別な角度から見直してみる。

こおろぎのインクつゆにしめりながら
列車の一本のよいさけびを聞きながら
かけらの星星やら月やらをながめながら
トラホーム色にねつねつひからせながら

 「……ながら」ということばが繰り返される。

ゆめのなみだにひたっていたような気がする
あまくあまくうつむいてた気がする
ゆめのなみだにひたっていたような気がする

 「……気がする」も繰り返される。「ゆめのなみだにひたっていたような気がする」は一行がそのまま繰り返されている。
 「繰り返し」は何のためなのか。
 書きたいことを離れないためである。ことばを動かす(書く)ということは、ことばの動きに従って、「肉体(自分)」そのものが動いていってしまうこと。自分が自分でなくなることを意味する。もちろん「動いた総体(軌跡)」を自分(肉体/思想)ととらえることもできるが、そうした場合、「思想」は自分のなかにある、自分だけのものということにもなる。
 もちろんそれでかまわないのだけれど(というか、そう考えるのが一般的なのだと思うけれど)、池井は、それでは「満足」できない。
 「思想(永遠)」というものは、自分にはない。どこか別なところにある。そしてその「永遠/思想」が自分を選んでくれている。選ばれた人間として、その思想(永遠)と向き合うのが詩人(池井)の「生き方(思想)」であるからだ。
 こういう「姿勢」をあらわしているのが「……ながら」なのである。池井は「……」をする。それをしながら、自分ではないものの「存在(永遠)」をみつめつづける。みつめつづけることで、みつめられる。「……ながら」というのは、池井自身の「行動」を説明しいるのではない。複数の行動を「する」ということを明らかにするために「……ながら」と書いているのではなく、「……ながら」が可能なのは、それを許す「永遠」がどこかにあるからだ、というのである。
 池井の側に「……ながら」があれば、他方「永遠」の方には「やら」「やら」「やら」がある。「夜空やら」「星星やら」「月やら」と、それは人間の制御をはなれた「永遠」である。
 「……ながら」を繰り返し、その繰り返しのなかに、自分の「肉体」を超えるもの、超越的な「永遠」をひきこむためである。分散させながら引き込む。引き込みながら分散させる。「論理」を複合的につくりあげるというよりも、「永遠」という単純な「論理」のなかに、世界をつくっている「存在」そのものを「複合」させると言えばいいのか。

 「離れながら、離れない」ということばの動きは、池井昌樹「あたし」「金色」にも見ることができる。

ねえかあさん?
かあさんといてうれしいな
こんなすてきなおへやでくらし
こんなすてきなおなまえもらい
たべるものならいつでもあるし
あつくもないしさむくもないし
だけどこのごろなんとなく
なんとなくものたりなくて                  (あたし)

ふかくあたまをさげていた
ふかくあたまをさげていた
はたらきつづけたほんやにむかい
きえさってゆくほんやにむかい
ふかくあたまをさげてから
ぼくはどこかへたびだって                 (金色)

 「散文」なら、こういう繰り返しは「不経済」である。詩でも、「不経済」と呼ばれるかもしれないが、その「不経済」こそが池井の詩である。離れながらもどる。その往復のなかに「世界」が生まれる。





*

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