日本語教育/日本語教師(とても長い文章です)
自民党憲法改正草案を読む/番外246(情報の読み方)
2018年11月11日の読売新聞朝刊(西部版・14版)。1面の見出し。
という見出し。
見出し以上のことは書かれていない。それでも、この問題について書くのは、いまの「日本語教師資格」について非常に疑問を持っているからである。この疑問は、新しい資格によってさらに拡大すると思われる。
私は、いま安倍が進めている「外国人労働者使い捨て政策」に非常に疑問を持っている。日本語が一定水準にならないと、強制的に母国に帰国させられる。できることなら、日本で働く外国人の手助けができないかと考え、「日本語教師」になるためにはどうすればいいのか、少し調べてみた。
その結果、わかったこと。
現在は「日本語教師として日本語学校に勤務する」ためには
①大学で日本語教育科目を専攻
②養成講座で研修
③民間試験に合格
というのが条件のようである。
(これを「試験や実習(知識・技能の能力判定)」ののち、「日本語教師資格」を与えるというものに変更する。)
現行制度の問題点を指摘する。
①は具体的には何のことかわからない。大学に「日本語教育科目」というものがあるかどうか、私は知らない。「国語科」の教員になるための科目のことだろうか。
②は、民間のものならいくつかある。ヒューマンアカデミーの「養成講座」が有名かもしれない。アルクの「通信講座」というものある。
③はたぶん「日本語教育能力検定試験」を指していると思う。
いちばん費用のかからない方法は③である。
そこで試しに、「平成29年度 日本語教育検定試験 試験問題」(平凡社、1400円)というのを買って、取り組んでみた。
いちばん簡単な問題と思われるものでさえ、まったくわからない。「質問」の意味さえ、はじめてみたときは何を言っているか、わからない。こんな具合だ。
この問題を解くためには「無声化」「借用/文法形式の脱落」「語構成」というような「用語」を知っておく必要がある。これらの「用語」は「問題」と突き合わせると、なんとなく見当はつくが、びっくりしてしまう。
この「用語」が必要ということは、この「用語」をつかって外国人に日本語をおしえるということになるが、ばかげていないだろうか。この「用語」を理解できる水準の外国人はどれだけいるだろうか。それにここに書かれている「用語」がわかれば、その外国人の「日本語の水準」はふつうの日本人以上である。教えることなど、ほとんどない。
具体的に考えてみよう。
(2)は語尾が「有声音」にならない(声帯をつかわない)という意味だろうから、「5」が正解だろうなあ。しかし、「ほしゅ」という発音をするとき、「ほしゅう」と「う (有声音) 」をつけたとき、このことばの最後は「無声音、ほしゅと発音してください」と説明する先生がいるだろうか。「ほしゅう、ではなく、ほしゅ。はい、まねしてみて」というのがいちばん簡単で性格だ。
(5)は「マッシュドポテト」「スモークドチーズ」が「英語」の言い方だろうから(過去分詞形が元になっている)、「2」のシフォンケーキが求められる答えだな、とわかる。「マッシュポテトはマッシュドポテトという英語を語源にしています」というのでは日本語の勉強というより英語の勉強だ。。
(6)は「調査する」人、「審査する」人とは言えても「栄養する」人という言い方は内から「1」が異なっている。このことばも、わざわざ「調査する人」と言いなおし、語源を確かめるなんて、「高等日本語」である。そんなことが理解できる外国人は、わざわざ日本語学校なんかに通い直さない。
これは「問題」というよりも「クイズ」である。
繰り返しになるが、【句末での無声化】、有声化を区別できる(意識化できる)ひとは、日本語を学ぶ必要がない。【借用における文法形式の脱落】の問題は「英語圏」の人には説明として有効だろうが、そうではない人には無意味なことがらだ。それに「マッシュドポテト」と言われて何のことかわからない日本人がいたら、それは「マッシュドポテト」と言った外国人に問題があるのではなく、日本人の言語能力の方に問題がある。【派生語の語構成】にいたっては、聞いたことがないことばを自分で考え出して説明することが必要な人以外には関係ない。「調査官」をわざわざ「調査する人」と動詞にもどして考えることができるなら、当然「栄養士」は動詞を含まないとわかるが、そんなことをしながら日本語を鍛え直すのはプロの仕事であって、「学習レベル」ではないだろう。
いったい外国人に、どういうレベルの日本語を教えようとしているのか、それが「問題」からは見えてこない。単に「日本語教育能力試験」で、受験生 (合格者) を選別することにしか役立たない。
いちばん簡単な問題でさえ、設問はさらに多岐にわたり【行為要求のモダリティ】【二つの出来事の継起を表す表現】【副詞の呼応】という具合である。これらは、きっと「教科書」の「分類」で、そういう項目が用意されているのだ。
「クイズ」であるから、質問「用語」のポイントがわかれば、即座に「正解」にはたどりつけるが、その「正解」を外国人に伝えるには、いったいどれだけ説明すればいいのかわからない。繰り返しになるが、こんな「用語」をつかって説明し、その説明がわかる外国人なら、もうすでに日本語はぺらぺらだ。日本語を学ぶ必要はない。
だいたい、いま引用した問題の「正解」と「根拠」の説明を聞いて、了解できる日本人は何人いるだろうか。中学生、高校生にわかる?
さらに、なんだ、これはというのは次のような問題である。
この問題は何のため? こういうことを知らないと、外国人に日本語を教えられない? これは単に「義務教育現場」の先生が知っていればすむことであり、「労働者」として日本に入ってくる外国人の生活がスムーズにいくように、あるいは外国人が働くとき、職場で困らないようにということとはまったく関係がない。
問2では「BICSとCALP」の説明として適当なものは何かを問うているが、これも同じ。「学習言語能力(CALP)は、文脈への依存度が低く、認知的負担が大きい」というような「説明」を知っていたとして、それを外国人労働者や子供たちに、どう適応するのか。
で。
長々と書いてきたが、ほんとうに書きたいのは、これから後のこと。
この「日本語教育能力検定試験」というのは、「試験」というよりも「クイズ」である。試験に出てくる「用語」をどれだけ知っているかが合否の分かれ目である。つまり、いくら国語指導(日本語指導)の能力があっても、ここに書かれている「用語」を知らない限り、問題を解くことはできない。
ということは、逆に言えば、「日本語教育能力検定試験」に合格するためには、そういう「用語」を説明してくれる学校、教材を利用しないといけないということである。そして、そこには「日本語の知識」(外国語の知識)だけではなく、「学校教育法施行規則の一部を改正する省令等の施行について(通知)」のようなものも含まれる。文科省がつくったであろう用語「BICSとCALP」も含まれる。
「文脈への依存度」とか「「認知的負担」というような「用語」に頼らずに、日本語を習っている(必要としている)外国人にあわせて指導方法を考え直し続けることが必要なのに、そういうことは無視して、「日本語教育の指導法マニュアル」をどれだけ知っているかが、試験では問われることになる。
これは結局、文科省出身の「役人」が、私はこんなにいろいろなことを知っている。何も知らない「教師」は、私の意見に従え、というようなものだなあ。だから、私はこう考える。現在の「日本語教育能力検定試験」というのは、「役人」たちが金儲けのために考え出したシステムだな、と。
実際、「日本語教育能力検定試験に合格するための基礎知識50」とか「問題集」とかがシリーズ化されて出ている。そして、そこには「じっくり考えれば必ず正解にたどりつけるはずではありますが、限られた時間内の勝負になるので、過去問や模擬問題をつかって受験テクニック的なところも押さえておく必要があります」(基礎知識)というようなことが書かれている。「受験テクニック(合格テクニック)」を教えることで金儲けをしている人間がいるのである。そして、そこには「官僚」が絡んでいるのである。文科省だけではなく、他の省庁も関係している。(設問が、文部省管轄部門だけではない。)
この「検定試験」の組織は、きっと官僚OBの再就職先になっているのだろう。彼らは「外国人」の日本語レベルを把握していない。どんな日本語が求められているのか、現場の声も知らない。ただ、「合格させてやる」という仕事をしたいだけなのだ。合格したいなら、おれたちを尊敬しろ、こういう教科書を使え、ということを命令したいだけなのだ。そういうひとが、これからつくられる制度でも増えてくる。官僚OBの再就職先を確保するために新しい制度をつくりたいだけであって、「外国人」のことなど、何も考えていない。なんといっても、安倍は、「外国人」を使い捨てすることしか考えていない。日本語に熟達してもらっては、安倍が困る。いかに「外国人」を大切にしているかという「ふり」をするためだけに、新しいシステムをでっち上げようとしている。
小学校、中学校、高校、大学と「先生」の要求する「答え」をいかに見つけ出し、提出することで「 100点」をとるか競争し、勝ち抜いてきた人間が中心になり、「 100点」をとるためのテクニックを教えるというのは、ばかげていないか。そんなシステムを「日本語教育」のなかで拡大して、いったいどうするつもりなのだ。
最終的には、「先生の言うことだけを聞く(先生の求める答えだけをこたえる)」というシステムは、「外国人の日本語」そのものにも反映されるだろう。「支配されるための日本語(批判を許さない日本語)」を教える教員がつくりだされ、「日本語を話す従順な外国人」を生み出すためのシステムがつくられるのだ。
言い換えると、最終的には「奴隷のための日本語」がつくられていくのだ。
そして、これはやっぱりブーメランのように、日本人の日本語にも適用される。
すでに指摘したように、「日本語教育能力検定試験」そのものが、そうなっている。彼らがつくりだした「クイズ」の「用語」を理解し、それに従わない限りは、だれもこの検定には合格できないようになっている。
「日本語」の専門家である作家とか、大学教授とか、新聞記者とか、アナウンサーなどに、この「検定」を受けさせてみれば即座にわかる。何人受かるだろう。「教育能力」というのは、日常の「日本語能力」とは違うとはいえ、こんな「非日常的な用語」で「教育」して、どんな日本語を話せる外国人が育つというのだろう。
で、繰り返しになるが。
いったい日本は、どんな外国人を求めているのか。外国人に何を求めているか。外国人と、どう向き合うつもりなのか、そのことから問い直さないといけない。
#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位
*
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自民党憲法改正草案を読む/番外246(情報の読み方)
2018年11月11日の読売新聞朝刊(西部版・14版)。1面の見出し。
日本語教師 資格を創設/政府方針 外国人就労へ対応
という見出し。
見出し以上のことは書かれていない。それでも、この問題について書くのは、いまの「日本語教師資格」について非常に疑問を持っているからである。この疑問は、新しい資格によってさらに拡大すると思われる。
私は、いま安倍が進めている「外国人労働者使い捨て政策」に非常に疑問を持っている。日本語が一定水準にならないと、強制的に母国に帰国させられる。できることなら、日本で働く外国人の手助けができないかと考え、「日本語教師」になるためにはどうすればいいのか、少し調べてみた。
その結果、わかったこと。
現在は「日本語教師として日本語学校に勤務する」ためには
①大学で日本語教育科目を専攻
②養成講座で研修
③民間試験に合格
というのが条件のようである。
(これを「試験や実習(知識・技能の能力判定)」ののち、「日本語教師資格」を与えるというものに変更する。)
現行制度の問題点を指摘する。
①は具体的には何のことかわからない。大学に「日本語教育科目」というものがあるかどうか、私は知らない。「国語科」の教員になるための科目のことだろうか。
②は、民間のものならいくつかある。ヒューマンアカデミーの「養成講座」が有名かもしれない。アルクの「通信講座」というものある。
③はたぶん「日本語教育能力検定試験」を指していると思う。
いちばん費用のかからない方法は③である。
そこで試しに、「平成29年度 日本語教育検定試験 試験問題」(平凡社、1400円)というのを買って、取り組んでみた。
いちばん簡単な問題と思われるものでさえ、まったくわからない。「質問」の意味さえ、はじめてみたときは何を言っているか、わからない。こんな具合だ。
問題1 次の(1)-(15)について、【 】内に示した観点から見て、他の性質と異なるものをそれぞれ1-5の中から一つずつ選べ。
(2)【句末での無声化】
1 数量
2 義務
3 作為
4 合理
5 保守
(5)【借用における文法形式の脱落】
1 マッシュポテト
2 シフォンケーキ
3 スモークチーズ
4 アイスコーヒー
5 スクランブルエッグ
(6)【派生語の語構成】
1 栄養士
2 調査官
3 審査員
4 依頼人
5 看護師
この問題を解くためには「無声化」「借用/文法形式の脱落」「語構成」というような「用語」を知っておく必要がある。これらの「用語」は「問題」と突き合わせると、なんとなく見当はつくが、びっくりしてしまう。
この「用語」が必要ということは、この「用語」をつかって外国人に日本語をおしえるということになるが、ばかげていないだろうか。この「用語」を理解できる水準の外国人はどれだけいるだろうか。それにここに書かれている「用語」がわかれば、その外国人の「日本語の水準」はふつうの日本人以上である。教えることなど、ほとんどない。
具体的に考えてみよう。
(2)は語尾が「有声音」にならない(声帯をつかわない)という意味だろうから、「5」が正解だろうなあ。しかし、「ほしゅ」という発音をするとき、「ほしゅう」と「う (有声音) 」をつけたとき、このことばの最後は「無声音、ほしゅと発音してください」と説明する先生がいるだろうか。「ほしゅう、ではなく、ほしゅ。はい、まねしてみて」というのがいちばん簡単で性格だ。
(5)は「マッシュドポテト」「スモークドチーズ」が「英語」の言い方だろうから(過去分詞形が元になっている)、「2」のシフォンケーキが求められる答えだな、とわかる。「マッシュポテトはマッシュドポテトという英語を語源にしています」というのでは日本語の勉強というより英語の勉強だ。。
(6)は「調査する」人、「審査する」人とは言えても「栄養する」人という言い方は内から「1」が異なっている。このことばも、わざわざ「調査する人」と言いなおし、語源を確かめるなんて、「高等日本語」である。そんなことが理解できる外国人は、わざわざ日本語学校なんかに通い直さない。
これは「問題」というよりも「クイズ」である。
繰り返しになるが、【句末での無声化】、有声化を区別できる(意識化できる)ひとは、日本語を学ぶ必要がない。【借用における文法形式の脱落】の問題は「英語圏」の人には説明として有効だろうが、そうではない人には無意味なことがらだ。それに「マッシュドポテト」と言われて何のことかわからない日本人がいたら、それは「マッシュドポテト」と言った外国人に問題があるのではなく、日本人の言語能力の方に問題がある。【派生語の語構成】にいたっては、聞いたことがないことばを自分で考え出して説明することが必要な人以外には関係ない。「調査官」をわざわざ「調査する人」と動詞にもどして考えることができるなら、当然「栄養士」は動詞を含まないとわかるが、そんなことをしながら日本語を鍛え直すのはプロの仕事であって、「学習レベル」ではないだろう。
いったい外国人に、どういうレベルの日本語を教えようとしているのか、それが「問題」からは見えてこない。単に「日本語教育能力試験」で、受験生 (合格者) を選別することにしか役立たない。
いちばん簡単な問題でさえ、設問はさらに多岐にわたり【行為要求のモダリティ】【二つの出来事の継起を表す表現】【副詞の呼応】という具合である。これらは、きっと「教科書」の「分類」で、そういう項目が用意されているのだ。
「クイズ」であるから、質問「用語」のポイントがわかれば、即座に「正解」にはたどりつけるが、その「正解」を外国人に伝えるには、いったいどれだけ説明すればいいのかわからない。繰り返しになるが、こんな「用語」をつかって説明し、その説明がわかる外国人なら、もうすでに日本語はぺらぺらだ。日本語を学ぶ必要はない。
だいたい、いま引用した問題の「正解」と「根拠」の説明を聞いて、了解できる日本人は何人いるだろうか。中学生、高校生にわかる?
さらに、なんだ、これはというのは次のような問題である。
問題15 次の文章を読み、下の問い(問1-5)に答えよ。
文部科学省は、「学校教育法施行規則の一部を改正する省令等の施行について(通知)」を示し、平成26年度から、義務教育段階において日本語指導の必要な児童生徒を教育する場合には、(A)「特別な教育課程」によって行うことができることを通知した。年少者を対象にした教育実践では、(B)BICSとCALPに留意したうえで日本語指導を進める必要がある。(後略)
問1 文章中の下線部A「特別な教育課程」における指導内容に関して「学校教育法施行規則の一部を改正する省令等の施行について(通知)」に示されているものはどれか。最も適当なものを、次の1-4の中からひとつ選べ。(選択肢1-4は省略)
この問題は何のため? こういうことを知らないと、外国人に日本語を教えられない? これは単に「義務教育現場」の先生が知っていればすむことであり、「労働者」として日本に入ってくる外国人の生活がスムーズにいくように、あるいは外国人が働くとき、職場で困らないようにということとはまったく関係がない。
問2では「BICSとCALP」の説明として適当なものは何かを問うているが、これも同じ。「学習言語能力(CALP)は、文脈への依存度が低く、認知的負担が大きい」というような「説明」を知っていたとして、それを外国人労働者や子供たちに、どう適応するのか。
で。
長々と書いてきたが、ほんとうに書きたいのは、これから後のこと。
この「日本語教育能力検定試験」というのは、「試験」というよりも「クイズ」である。試験に出てくる「用語」をどれだけ知っているかが合否の分かれ目である。つまり、いくら国語指導(日本語指導)の能力があっても、ここに書かれている「用語」を知らない限り、問題を解くことはできない。
ということは、逆に言えば、「日本語教育能力検定試験」に合格するためには、そういう「用語」を説明してくれる学校、教材を利用しないといけないということである。そして、そこには「日本語の知識」(外国語の知識)だけではなく、「学校教育法施行規則の一部を改正する省令等の施行について(通知)」のようなものも含まれる。文科省がつくったであろう用語「BICSとCALP」も含まれる。
「文脈への依存度」とか「「認知的負担」というような「用語」に頼らずに、日本語を習っている(必要としている)外国人にあわせて指導方法を考え直し続けることが必要なのに、そういうことは無視して、「日本語教育の指導法マニュアル」をどれだけ知っているかが、試験では問われることになる。
これは結局、文科省出身の「役人」が、私はこんなにいろいろなことを知っている。何も知らない「教師」は、私の意見に従え、というようなものだなあ。だから、私はこう考える。現在の「日本語教育能力検定試験」というのは、「役人」たちが金儲けのために考え出したシステムだな、と。
実際、「日本語教育能力検定試験に合格するための基礎知識50」とか「問題集」とかがシリーズ化されて出ている。そして、そこには「じっくり考えれば必ず正解にたどりつけるはずではありますが、限られた時間内の勝負になるので、過去問や模擬問題をつかって受験テクニック的なところも押さえておく必要があります」(基礎知識)というようなことが書かれている。「受験テクニック(合格テクニック)」を教えることで金儲けをしている人間がいるのである。そして、そこには「官僚」が絡んでいるのである。文科省だけではなく、他の省庁も関係している。(設問が、文部省管轄部門だけではない。)
この「検定試験」の組織は、きっと官僚OBの再就職先になっているのだろう。彼らは「外国人」の日本語レベルを把握していない。どんな日本語が求められているのか、現場の声も知らない。ただ、「合格させてやる」という仕事をしたいだけなのだ。合格したいなら、おれたちを尊敬しろ、こういう教科書を使え、ということを命令したいだけなのだ。そういうひとが、これからつくられる制度でも増えてくる。官僚OBの再就職先を確保するために新しい制度をつくりたいだけであって、「外国人」のことなど、何も考えていない。なんといっても、安倍は、「外国人」を使い捨てすることしか考えていない。日本語に熟達してもらっては、安倍が困る。いかに「外国人」を大切にしているかという「ふり」をするためだけに、新しいシステムをでっち上げようとしている。
小学校、中学校、高校、大学と「先生」の要求する「答え」をいかに見つけ出し、提出することで「 100点」をとるか競争し、勝ち抜いてきた人間が中心になり、「 100点」をとるためのテクニックを教えるというのは、ばかげていないか。そんなシステムを「日本語教育」のなかで拡大して、いったいどうするつもりなのだ。
最終的には、「先生の言うことだけを聞く(先生の求める答えだけをこたえる)」というシステムは、「外国人の日本語」そのものにも反映されるだろう。「支配されるための日本語(批判を許さない日本語)」を教える教員がつくりだされ、「日本語を話す従順な外国人」を生み出すためのシステムがつくられるのだ。
言い換えると、最終的には「奴隷のための日本語」がつくられていくのだ。
そして、これはやっぱりブーメランのように、日本人の日本語にも適用される。
すでに指摘したように、「日本語教育能力検定試験」そのものが、そうなっている。彼らがつくりだした「クイズ」の「用語」を理解し、それに従わない限りは、だれもこの検定には合格できないようになっている。
「日本語」の専門家である作家とか、大学教授とか、新聞記者とか、アナウンサーなどに、この「検定」を受けさせてみれば即座にわかる。何人受かるだろう。「教育能力」というのは、日常の「日本語能力」とは違うとはいえ、こんな「非日常的な用語」で「教育」して、どんな日本語を話せる外国人が育つというのだろう。
で、繰り返しになるが。
いったい日本は、どんな外国人を求めているのか。外国人に何を求めているか。外国人と、どう向き合うつもりなのか、そのことから問い直さないといけない。
#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位
*
「天皇の悲鳴」(1500円、送料込み)はオンデマンド出版です。
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