志村喜代子『後の淵』(水仁舎、2018年08月16日発行)
志村喜代子『後の淵』は、凝縮度の高いことばで構成されている。「凝らす」という作品の全行。
いちぶ始終を 見たい
土ふまずに音は こぼれ
のんどは声をしたたらせ
地獄耳 生え
狂おしきひとあり
凝らすあまり
眼球 落ち
耳 枯れ
冴え
されこうべ
をして なお
這いすがる愛着
ひばばの ははの また母の はるかより
ゆずり受け
いちぶ始終を 見たい
何の「いちぶ始終」か。「されこうべ」を手がかりにすると、ひとの一生のすべてということになるかもしれない。だれの一生か。「這いすがる愛着」のあとに、女系の祖先がつらなる。おんな(志村自身)の一生か、おんなの連れ合いの一生か。たぶん、連れ合いの一生のすべてを見たいということなのだろうが、連れ合いの一生を見るということは自分自身の一生を見るということでもある。
それは分離できない。知らない(知らなかった)部分を含めて、それは「連れ合って」生きてきたのだから。分離できないから「狂おしい」のである。
この作品では、二連目が、特に印象的だ。「土ふまず」は土を踏まないところ。何かを踏みつぶし、踏みつぶしたものが音を立てるとしても、土踏まずはそれを踏んでいない。あるいは、そこに「空隙」があるから、そこから音はこぼれるのか。足裏の暴力を伝えるために土踏まずはあるのか。「のど」ではなく「のんど」と書いているのも「神話」のような強さを感じさせる。「のんど」というとき「ん」の音が肉体の中に残される。声を滴らせながら、声を「肉体の内部」にも滴らせる。何かしら、矛盾した動きが隠れている。それがことばを強くしている。
四連目の「冴え」が「されこうべ」へと動いていく音にも強さがある。「されこうべ」は「さえこうべ」と聞こえてしまう。「冴える」は「透明になる」という感じにもつながる。髑髏は、肉が透明になったら見ることができる。そういうことは書いていないのだが、書いていないことを「誤読」してしまう。
私は、こういう「誤読」を誘うことばが好きだ。「意味」は「誤読」のなかでひろがっていく。
「夜叉」も強い。
生まれた日を
何十回くり返したら
あした澄むのか
雲ま厚く
ぱたぱた雨がくる
「雨がくる」は言われたら意味がわかるが、ふつうは、言わない。「雨が降る」というのが一般的だが、その一般的でないところに、ため込んだ力を感じる。何か言いたいことがある。それは力をためる、あるいはたわめないことにはことばにならない。そういうことを感じさせる。
「あした澄む」の「澄む」も同じだ。あしたは晴れ渡るのか、晴々とした気持ちになれるのか。そういう「意味」だと思うが、「晴れる」ということばをつかわずに、「澄む」ということばのなかにあるものを突き動かそうとしているところに、志村自身が抱え込んでいる「澄んでいないもの」を感じさせる。
秋の風立ち 生き返す穂の波音
葉脈にあふれ土にしむ
ひそやかな しぶき
末期をこえ生きのこるという耳は
海鳴りをたずさえ
ふれあった声をつれ
摺り足で橋をわたる
その橋は、渡ってはいけない橋である。そうわかって、その橋を渡る。「生き返す」「末期をこえ」「生き残る」は、その対極に「死」があることを語る。ことばは、それが指し示すものだけではなく、それが指し示さなかったもの、指し示すことを拒んだものをより強く出現させることがある。「意味」とはことばの延長線上にあるだけではない。そのことばが生まれてきた場(出発点)よりも「過去」をも同時に暗示してしまう。そして、その「暗示」のなかには、表面上の「意味」以上のものが動いている。
季(とき)は菩提樹
散華のはちす
には 母の陣痛(いたみ)を記せない
産まぬ契り
うまん うましめん
流し棄てた頭蓋
血の干潟には
洪水さえとどかない
新月のほねに
熱(いき)れる夜叉 あした
生き直せるか
妊娠したが出産はしなかった。「母」になるのではなく、「おんな」を、「性」を生きようとしたことが「夜叉」なのか。
簡単には言えない。
こういうことも簡単に言ってしまってはいけないのだとおもうが、志村は「おんなの神話」を書こうとしている。「神話」によって「夜叉」を生きることを選んでいる。それが生まれなかった子供を生きることだと言っているように感じられる。
私は、そう「誤読」したい。
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