詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

外国人材

2018-11-15 10:56:09 | 自民党憲法改正草案を読む
外国人材
             自民党憲法改正草案を読む/番外247(情報の読み方)

 2018年11月15日の読売新聞朝刊(西部版・14版)。1面の見出し。

外国人材 介護最多6万人

 「外国人材」とは何か。「介護最多6万人」を手がかりに考えると、外国人労働者のことである。「政府は14日、外国人労働者の受け入れ拡大を検討する14の業種別に、2019年度から5年間の受け入れ見込み数を公表した」と書き出しにある。
 なぜ「外国人労働者」としなかったのか。目新しいことばに出会ったときは、そこに何かが隠されていると読むべきである。読売新聞が独自に考え出したことばなのか、政府の意向を受けてそう表現したのか。他の報道機関がどう表現するか、そを見てみないとわからない。
 この「外国人材」に呼ばれる外国人労働者の問題は、3面に解説記事が掲載されている。「14業種人数 根拠示さず」という見出しで問題点を指摘しているが、私は見出しになっていない部分(記事)に注目した。

(1)外国人技能実習生で問題となっている失踪をどう食い止めるか、社会保障制度の悪用をどう防ぐかも課題だ。

 「外国人技能実習生」は「技能実習生」ではなく「単純労働者」が実態ではないのか。「単純労働者」を「技能実習生/人材」と呼び変えて、実態を隠していることに問題の発端がある。
 言い換えると、「実習生」が「実習生」としてきちんと処遇されていれば、彼らは「失踪」などしないだろう。「失踪」の理由を作っているものは何かという視点からの考察がなされていない。
 カット写真に、富山県のかまぼこ工場で働くベトナム人の「技能実習生」が登場している。私はかまぼこ工場で働いたことがないから推測で言うのだが、この「実習生」がしている仕事は5年間かけないと身につかないものなのか。せいぜいが1日見習いをして、それからすぐに働けるような「単純労働」なのではないのか。5年間、そういう仕事をして、どういう「技能」をベトナムに持ち帰るというのか。工場のシステム、経営の方法まで学べるのか。そういうことはせず、ただ「単純労働者」として5年間も低賃金でこきつかう。これでは、もっといい「仕事(高賃金)」を求めて、失踪したくなるだろう。
 「社会保障制度の悪用を防ぐ」というのも、ひどい言い方である。日本にきて、日本で働いていれば、日本の社会保障制度の適用を申請することにどんな問題があるのか。人権をもったひとりの人間としてではなく、使い捨ての労働者という視点で見るから、社会保障制度が悪用(?)されている、と感じるのだ。日本人が支払った税金が外国人をすくうためにつかわれるのはおかしいという発想が生まれる。同じ社会に生きているなら、そして外国人が日本人を助けてくれているなら、もっと外国人を大切にしないといけない。

(2)人手不足で24時間営業の中止に追い込まれた外食チェーンは多い。外国人労働者を確保できれば、営業時間の拡大だけでなく、労働需給が緩み、人件費負担を軽減できるとの思惑もある。

 「人件費軽減」と書かれているのは「日本人の賃金を引き下げることができる」ということである。簡単に言いなおすと「外国人は時給 600円で働いている。日本人なら 660円だ」という具合に賃金を、安いレベルに引き下げるということ。「働きたいのなら(金が必要なのなら)、この条件をのめ」ということだ。「思惑もある」ではなく、これが本当の狙いなのだ。日本人の賃金も引き下げる。そうすることで企業の利益を上げる。そのための政策なのだ。
 外食産業が引き合いに出されているが、人手不足が深刻な介護現場も、そうなるにちがいない。いまでも仕事が厳しく低賃金が問題になっているのに、それにさらに拍車がかかるということだ。
 外国人労働者を5年間で使い捨てながら、低賃金を守る。できるなら、さらに低賃金にするためのシステムなのである。

(3)日本建設業連合会の山本徳治事務総長は、「外国人が就労期間中に職を失うこともある。失職者にどう対応するのか、政府は考えるべきだ」と指摘する。

 建築工事が終われば仕事がなくなる。「職を失う」というより、雇用している会社そのものが「受注」がないので労働者を抱えていられない。だから、首にする。そういうとき、どうするのか。それこそ(1)で取り上げた「社会保障制度」が問題になる。安倍は、こういう「人権」に関わる問題をまったく気にしていない。目先の「経済利潤」しか理解できない。「外国人は母国へ追い返せばいい」と思っている。言い換えると「労働人口の調整弁」として外国人を利用しようとしている。

 「外国人労働者」の人数をどうするか、ということではなく、「人間」とどう向き合うか、という視点が欠如している企業の利益をどう確保するか(その見返りに自民党への献金、安倍へのわいろをどう確保するか)ではなく、私たちは人間としてどう生きるべきなのかという哲学が完全に欠けている。
 安倍はもちろんだが、追及する野党の方も意識が十分とは言えない。
 (2)で見たように、「外国人労働者」に適用されるシステムは必ず日本人にも適用される。「外国人にできることが、なぜ日本人にできない」というような「精神論」も出てくるかもしれない。「ほしがりません、勝つまでは」が復活する。戦場は「グローバル化した世界市場」である。すでに、日本は中国に負けている。このことが、安倍には、とうてい我慢できないことなのだろう。だから、「経済戦争」での敗北を、武器をつかった戦争で取り返そうと、戦争もはじめるだろう。そのために憲法が改正されようとしているということも忘れてはならない。
 「外国人労働者」の問題と、憲法改正は、深いところでつながっている。外国人はどうなってもいい。日本の労働者もどうなってもいい。企業さえもうかればいい。企業が自民党に献金し、安倍が潤うなら、それでいい。それ以外のことは、安倍は考えていない。

 


#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位 
 


*

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長尾高弘『抒情詩試論?』

2018-11-15 00:40:34 | 詩集
長尾高弘『抒情詩試論?』(らんか社、2018年10月31日発行)

 長尾高弘『抒情詩試論?』には、最近見かけなくなったスタイルの詩がある。「境」という作品。

道の両側に、
並木のように連なっている、
電燈のなかの、
一本の根元に、
小さな花束が、
くくりつけられている。

 一行が短い。短さを狙っているわけではないと思うが、短い。ここに、私は少し驚いた。かつて詩が手書きだったころ、一行は短かった。ワープロが普及してから一行が長くなった。印象で言うだけなのだが、倍の長さになったと思う。
 手で、原稿用紙に書いていたときは、一行20字の「枠」が見える。20行の「枠」も見える。ことばといっしょに空白も見える。ワープロでも見えるのだが、一行の字詰め、行数が原稿用紙とは違うので、どうしても長くなるのだと思う。
 縦書きで書くか、横書きで書くか、ということも影響しているかなあ。
 どうでもいいようなことだけれど、大切なことかもしれない。
 一行の「密度」、なぜ、そのことばで一行にするか、という意識が、ワープロ以前、ワープロ以後では違ってきている気がする。
 これは詩集全体の姿についてもいえる。
 以前は十篇、十五篇というような、軽い感じ、同時に緊張感のある詩集も多かったが、最近はそういう詩集は少なくなっているなあ。

 あ、脱線したか。

 詩の続きを引用する。

誰もが、
気が付かないふりをして
通り過ぎていくが、
本当は、
ああ、
ここはそうなんだ、
と、
一瞬でも思っているのだ。

 一行にしては「情報量」が少なすぎるかもしれない。でも、一行にしたいのだ、と思う。その「一行にしたい」という意識のなかに、何か、なつかしいものを感じた。
 「ああ、」「と、」で一行として耐えられるのか。独立できるのか。独立できないかもしれない。でも独立させたい、という意識の強さを、ふと感じたのだ。

 詩集の中では「運送業」をいちばんおもしろく感じた。

もとはと言えば、
ギリギリまで粘っていたのが悪いんだけどさ、
駅に着いてみると、
終電に乗れるかどうか微妙な時間。
乗り継ぎがあるもんだから、
帰れるかどうかよくわからなくて、
駅員さんに聞いてみたわけ。

 とはじまり、乗り換えのたびに、どたばたする。それを時系列どおりに書いている。こういうとき、一行の意識って、どういうものなんだろう。
 長尾はていねいだなあ。
 省略がない。省略しているかもしれないけれど、省略しているようには見えない。この飛躍のなさ(?)というか、小学生の作文みたいな「正確な」リズムは、妙におかしい。「正確」であることが、長尾にとってはいちばん大事なことなんだろうなあ、と思う。
 で、ここから先に引用した「境」に戻ってみる。
 あの一行一行も、「正確」に書こうとして、そうなったんだなあ。
 手書きのときは、一字でも書き間違えたら、最初から全部書き直す(清書し直す)タイプの詩人だったのかもしれない。
 ワープロになってからは、訂正(修正)というのは簡単だから、そういうことも、いまの詩には影響しているかもしれない。長尾が手書きで書いているとは思わないが、「手書き」のリズムをどこかにしっかり残している。
 そんなことを感じた。





*

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高橋睦郎『つい昨日のこと』(130)

2018-11-15 00:00:00 | 高橋睦郎「つい昨日のこと」
130  愚者ばんざい

愚者ばんざい
愚者の王が選ばれた
国民は愚者の国民になった
国家は愚者の国家になった
愚者の時代は少なくとも四年
国民がさらに望めば八年

 「四年」「八年」を手がかりに読めば、これはアメリカ合衆国とトランプ大統領のことを書いているのだろう。
 しかし、

愚者は何でもし放題
しかも何の責任もなし
これほど楽しいことはない
愚者の国は毎日がお祭り
ひたすら滅亡へ歌え踊れ
愚者ばんざい愚者の国ばんざい

 この部分を読むと、日本の姿を語っているとも読むことができる。
 だれも責任をとらない国。第二次世界大戦で、ドイツはヒトラーを裁いた。しかし日本は天皇の責任を追及しなかった。ここから始まった無責任体制は、いま、安倍の元でさらに拡大している。安倍は責任をとらない。かわりに公務員が自殺に追い込まれる。

 もう、日本は滅んでしまっている。
 私は「ばんざい」ということばで皮肉りたくはない。
 「云々」も読めない安倍は、「ばんざい」を風刺とは受け取ることができないだろう。「称賛」と受け取るだろうから。












つい昨日のこと 私のギリシア
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思潮社


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