詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

福間健二「この世の空」

2018-12-15 07:12:36 | 2018年代表詩選を読む
福間健二「この世の空」(「現代詩手帖」2018年12月号)

 福間健二「この世の空」(初出「文藝春秋」7月号)。気持ち悪くなってしまった。
 全行引用する。

腑に落ちぬ世。百年前からずっと
同じことを言わされてきたが
きょうは大谷翔平がホームランと二塁打。
酒がうまい。この春からずっと
ぼくの野球少年は遠い空を見て落ち着かない。
去年の夏は藤井聡太で、いきなり将棋熱。
嘘に嘘をかさねて逃げきるつもりの政治家や役人がいて
それを許さない人たちもちゃんといて
天才もいる
この世の空、怖くなるほど青いときがある。

 世の中には腑に落ちないことが多い。だから大谷翔平や藤井聡太という「天才」の活躍を見て気分を晴らす。自分も「天才」になった爽快さを味わう。ここまでは、とても気持ちよく読むことができる。私も天才の活躍を見るのは好きだ。私は野球をしないし、見ることもないが、大谷翔平は見てみたい。大谷翔平が完封し、ホームランを打つところは見てみたい。私はミーハーである。
 では、何が気持ち悪いのか。
 後半である。嘘を重ねる政治家と役人と、それを許さない人が出てくるのだが、彼らに「名前」がない、というのが気持ち悪い。
 大谷翔平、藤井聡太は固有名詞なのだが、政治家、役人、それを許さない人は固有名詞がない。「嘘を重ねる」と「許さない」という「動詞」だけがある。「動詞」(動き)は認識するが、その「主語」は認識しない。ここが、とても気持ちが悪い。
 私は人間を判断するとき、固有名詞ではなく、動詞で判断するが、それはそれぞれの固有名詞と自分がどう向き合うかを語るためである。動詞の「主語」を「抽象」のままにしておいて動詞を問題にすることはない。固有名詞が、動詞(その人の動き)を隠す作用をしていないかどうかを明確にするために動詞を問題にする。
 福間を例にして言いなおしてみる。
 福間は詩人として確立された「固有名詞」である。多くの人が福間をすぐれた詩人だと認めている。その名声が、「福間の書いた詩はすばらしい」という形にかわり、どこに、どう感動したかを語ることなく、「福間が書いているのだから、この詩はすばらしい」と変化する。詩のなかでことばがどう動いているか、それを吟味せずに、福間という名前(固有名詞)が詩を価値づける。ほんとうにその詩がすばらしいかどうかは、詩のことばを実際に動かしてみないといけない。そのことばが自分にどう影響したのか、そこから何を考えたのか、その考えを自分のものとして引き受けることができるか、それを調べてみないといけない。
 私は、福間が書いている大谷翔平、藤井聡太についての行は、そのまま自分の「感情」として引き受けることができる。福間と「一体」になって、彼らの活躍を喜ぶことができる。大谷翔平、藤井聡太は、すごいよなあ、わくわくするよなあ(酒がうまい)。
 でも、政治家云々については、そのまま引き受けるわけにはいかない。安倍は嘘をつく。麻生も嘘しかつかない。佐川もそうだ。菅は、論理をはぐらかすだけだ。でも、前川はどうか。前川は、ほんとうのことを語らなかったか。
 「許さない人」のなかに政治家はいないのか。「許さない」を宣伝しながら、選挙になれば公明党にしか投票しない創価学会は、どういう「分類」に抽象化されるのか。
 世の中には理不尽なことがたくさんある。腑に落ちないことばかりだ。それは認識している。認識していることは、ちゃんと表明している。それでいい、というのかもしれない。「だって、長いものに巻かれないと、生きていけない」。それが「庶民」だ、というつもりかもしれない。そこまで、言うつもりはない、と福間は言うかもしれない。
 わからない。
 わからないけれど、私は気持ちが悪い。
 大谷翔平、藤井聡太は固有名詞を出して称賛するけれど、政治家や役人については固有名詞を出して批判することはない。「私はあなたを批判していません」と隠れるつもりなのだろう。
 そして「この世の空、怖くなるほど青いときがある。」というような、絶対的な「美しさ」、非情な美しさを、隠れた福間のかわりに提出して見せる。







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