ジェフリー・アングルス「残るのは」、若松英輔「幸福論」(「現代詩手帖」2018年12月号)
ジェフリー・アングルス「残るのは」(初出「ミて」 142号、3月)に印象深い行がある。
「裏の風景」は抽象的だが、「運動場の奥に連なる丘」は具体的だ。「奥」というかぎりは「手前」がある。「前」が「表」になるだろうか。「表」はまた「出来事」でもあるだろう。日本の小学校ならば、たとえば「運動場」の「表」の「出来事」は運動会である。その記憶。運動会の風景そのものは消えたが、あのときもあった運動場の奥の丘は、いまも存在する。それは、いまの「出来事」だ。いま、ここにあらわれてくる。
その不思議な「関係」を思う。ジェフリー・アングルスが小学生のとき「運動会」というものを体験したかどうかわからないが。私は、作者の体験ではなく、自分の知っていることをジェフリー・アングルスのことばを読むことで確かめるのだ。
また、この詩では「例えば」ということばも、とても印象に残る。この「例え」は「比喩」ではない。「暗喩」「直喩」「換喩」でもない。あえて言えば、「見本」だ。「言い換え( ことば) 」ではなく、「実物 (もの) 」なのだ。「運動会」は「もの」ではなく「こと( 出来事) 」なのだが、そこには実際に動いた自分自身の「肉体」という「もの」がある。その「手触り」のようなものが、そのまま「丘」につながっていく。「実際にあるもの」。目の前にあるもの。
「暗喩」「直喩」「換喩」のどれでもいいが、そのときつかわれる「ことば」はたいていの場合、「いま/ここ」にはない。けれど、ジェフリー・アングルスは、「いま/ここ」に、そして「永遠」に「ある」ものを語る。「例えば」ということばをつかって。
*
若松英輔「幸福論」(初出、詩集『幸福論』3月)。
こういう抽象的というが、一種の宗教的なことば、その指し示す「世界」というのは、私は好きではない。「意味」が強すぎて、うさんくさい。
でも。
この三連目はいいなあ。
「闇」ではなく「薄暗い」が「現実」なんだなあ。「闇」とか「光」だと「比喩」がそのまま「抽象」(意味)になってしまう。「薄暗い」は「抽象」になりにくい。あいまいだ。それが「現実」を感じさせる。
「光」なんか、どうでもいい。重要なのは、「あなた」と「いる」という事実なのだ。「現実」なのだ。それを人が何と呼ぼうが関係ない。
「闇」と「光」が「対」なら、「あなた」と「わたし」も「対」である。「対」は向き合っているが、「対立」ではなく「出会い」である。
「闇」と「光」がであったら、どうなるか。どちらにも「抽象」されず、「薄暗い」という、あいまいで、どうしようもないものになるのかもしれない。でも、それがいい。
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ジェフリー・アングルス「残るのは」(初出「ミて」 142号、3月)に印象深い行がある。
通りすぎるものはすべて消え
裏の風景だけが残存する
例えば 小学校の細やかな
出来事の代わりに残るのは
運動場の奥に連なる丘
「裏の風景」は抽象的だが、「運動場の奥に連なる丘」は具体的だ。「奥」というかぎりは「手前」がある。「前」が「表」になるだろうか。「表」はまた「出来事」でもあるだろう。日本の小学校ならば、たとえば「運動場」の「表」の「出来事」は運動会である。その記憶。運動会の風景そのものは消えたが、あのときもあった運動場の奥の丘は、いまも存在する。それは、いまの「出来事」だ。いま、ここにあらわれてくる。
その不思議な「関係」を思う。ジェフリー・アングルスが小学生のとき「運動会」というものを体験したかどうかわからないが。私は、作者の体験ではなく、自分の知っていることをジェフリー・アングルスのことばを読むことで確かめるのだ。
また、この詩では「例えば」ということばも、とても印象に残る。この「例え」は「比喩」ではない。「暗喩」「直喩」「換喩」でもない。あえて言えば、「見本」だ。「言い換え( ことば) 」ではなく、「実物 (もの) 」なのだ。「運動会」は「もの」ではなく「こと( 出来事) 」なのだが、そこには実際に動いた自分自身の「肉体」という「もの」がある。その「手触り」のようなものが、そのまま「丘」につながっていく。「実際にあるもの」。目の前にあるもの。
「暗喩」「直喩」「換喩」のどれでもいいが、そのときつかわれる「ことば」はたいていの場合、「いま/ここ」にはない。けれど、ジェフリー・アングルスは、「いま/ここ」に、そして「永遠」に「ある」ものを語る。「例えば」ということばをつかって。
*
若松英輔「幸福論」(初出、詩集『幸福論』3月)。
闇にあるとき 人は
もっとも 強く
光を感じる そう
言った 人がいます
あなたが わたしの
心に 残していった
この 暗がりも
光との 出会いを
準備する
ものなのでしょうか
こういう抽象的というが、一種の宗教的なことば、その指し示す「世界」というのは、私は好きではない。「意味」が強すぎて、うさんくさい。
でも。
でも わたしは
薄暗い 場所で
あなたと いられれば
それで 十分だった
この三連目はいいなあ。
「闇」ではなく「薄暗い」が「現実」なんだなあ。「闇」とか「光」だと「比喩」がそのまま「抽象」(意味)になってしまう。「薄暗い」は「抽象」になりにくい。あいまいだ。それが「現実」を感じさせる。
「光」なんか、どうでもいい。重要なのは、「あなた」と「いる」という事実なのだ。「現実」なのだ。それを人が何と呼ぼうが関係ない。
明るいところで
ひとり
何をしろと
いうのでしょう
「闇」と「光」が「対」なら、「あなた」と「わたし」も「対」である。「対」は向き合っているが、「対立」ではなく「出会い」である。
「闇」と「光」がであったら、どうなるか。どちらにも「抽象」されず、「薄暗い」という、あいまいで、どうしようもないものになるのかもしれない。でも、それがいい。
*
評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』を発行しました。190ページ。
谷川俊太郎の『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
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「詩はどこにあるか」10・11月の詩の批評を一冊にまとめました。
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注文してから1週間程度でお手許にとどきます。
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(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料250円)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
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(3)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料250円)
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