詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

北條裕子『補陀落まで』

2018-12-18 10:34:56 | 2018年代表詩選を読む
北條裕子『補陀落まで』(思潮社、2018年08月10日発行)

 北條裕子『補陀落まで』。「現代詩手帖」2018年12月号には「半島」が収録されているが、私は「時の庭」が好きだ。

寡黙な秋を前にして
丈の高い百合が
小さな百合をかき抱いて
揺れていて。
背の高いものたちがあらぬ方向をむいて
庭中に
てんでに乱れ咲いて。
そうだ 皆 いってしまったね。

  庭にはたくさんの花が咲いている。それは「あらぬ方向を向いて」「てんで」に咲いている。しかし、「丈の高い百合」だけは違う。「小さな百合をかき抱いて」いる。
 ただし、北條は、私が書いた順に目を向けたわけではない。まず百合に目がゆき、そのあとで他の花々に目を向けている。丈の高い百合が小さな百合をたき抱いている、ということが最初なのだ。このとき「百合」と「かき抱く」を分離することはできない。百合を見たのか、かき抱くという動きを見たのか。分離できないのだけれど、私は分離してみる。北篠は「かき抱く」という動詞を見たのだ。
 だからこそ他の花々は「あらぬ方向を向いて」「てんで」に咲いている、と描写される。他の花々は、もう一つの花を抱くという形では咲いていないのだ。「かき抱く」という動詞に、北條は特別なもの、北條だけにわたる「意味」を見ていることになる。小さな百合を北條自身だとすれば、丈の高い百合は、実際に北條より背がガ高いか、年上かのどちらかだろう。「いってしまったね」を意識すれば、そのひとは死んだことになる。北條よりも年上の可能性が高い。もちろん背も高いし、年上でもあるということもある。いずれにしろ、「小さな」北條が頼りにしていた人なのだろう。
 途中いろいろなことが書いてあるが、その最終連。

鎖骨に受ける 死線を避け
風を束ね
その行く先を整える。
(風は不実ではないのだから)
囁く声を無視して 顔をあげると
たくさんの陽の道筋が 広がっているのであった。

 「行く先を整える」の「整える」が美しい。「整える」に先立つ「束ねる」が「整える」を導いているのだが、この「束ねる」には最初に引用した部分の「かき抱く」が響いている。「かき抱く」は「束ねる」である。そうすると、おのずと「行く先」が整えられる。「かき抱く」とき、「そっちへ行ってはいけない、こっちだよ」と引き止める力が働いている。その「引き止める」力を感じるはずだ。抱かれた人は。
 だが、なぜ引き止められ、かき抱かれ、整えられるのか。
 最後になって、やっとわかる。
 「行く先」というのは無限にある。しかし「小さい」ころは、その「無限」がわからない。かき抱かれて(守られて)育ってきて、成長し、その腕を離れた瞬間、「たくさんの(陽の)道筋が 広がっている」ことに気づく。守られてきたから、いま、無限に広がるものがみえる。「陽の」というのは「比喩」である。明るく、輝かしい道が「たくさん」ある。そのどれを選んでもいい。それがわかるときが来るまで、「丈の高い百合」は「小さな百合(北條)」をしっかりとかき抱いてくれていたのだろう。
 ことばの奥に「ありがとう」が響いている。

 「たくさんの陽の道筋が 広がっているのであった。」は、「水面」では、

未だ剥いたことのない時間を
あらためて
明日と
名づける

 と言いなおされる。さらに、こうも言いなおされる。

水滴をはじく羽毛の鳥を
脇にかかえ 息をとめ
沼と呼ぶ 水のひろがりを
いっしんに かきわけていく

 「ひろがり」ということばは「広がっている」としっかり呼応している。ひろがりの中から(たくさんの道筋のなかから)、自分の選んだ道を「いっしんに」進んでゆく。「いっしん」は「一心」であり、その「一」には「束ねる」という動詞が生きている。




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