詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

白石かずこ「最初に鳥が飛ぶ」、野村喜和夫「骨なしオデュッセイア」

2018-12-11 08:58:23 | 2018年代表詩選を読む
白石かずこ「最初に鳥が飛ぶ」、野村喜和夫「骨なしオデュッセイア」(「現代詩手帖」2018年12月号)

 白石かずこ「最初に鳥が飛ぶ」(初出『白石かずこ詩集成Ⅲ』6月)の書き出し。

最初に鳥が飛ぶ
空ではなく 鳥が飛ぶ
舟が浮かぶ
  どこへ ではない 西陽か朝やけか知らないが
太陽が空にウインクしてできた
             あついヒトミだ

 詩だなあ、と思う。何が詩か。リズムが詩だ。
 「空ではなく」というのは、とても奇妙な表現である。「空」が「飛ぶ」ということはない。「意味」だけを考えるなら「空ではなく」は不要である。しかし、その不要な部分が詩である。余剰/過剰が詩なのだ。「空ではなく」という短いリズム、歯切れのよさが、空が「飛ぶ」ということがあってもいいと錯覚させる。
 空を飛ぶ鳥を見たことを思い出す。鳥は空に止まっていて、空が動いている、という風に見える。そのとき「空が飛ぶ、鳥ではなく」ということばが動く。そういう錯覚を「空ではなく」ということばは否定するのだが、否定されることで、逆に可能性として「空が飛ぶ」が見えてくる。
 この錯乱をつくりだすのはリズムだ。
 このリズムに乗って「舟が浮かぶ」が唐突にやってくる。「どこへ ではない」と白石は書くが、私は「水ではなく 空に」と思う。「空ではない」ということばが動いたときから、主役は「空」なのだ。
 「西陽か朝やけか知らないが」は、もう、「空」のことしか書いていない。
 けれど、主役というか、主語は、固定されない。

太陽が空にウインクしてできた
             あついヒトミだ

 「あついヒトミ」は「太陽」のことだろう。太陽が空にウインクする、そのウインクは太陽である。太陽と空の、主役の位置はあっと言う間に交代してしまう。
 このスピードは「鳥」と「空」が交代したときよりも加速している。



 野村喜和夫「骨なしオデュッセイア」(初出『骨なしオデュッセイア』6月)。

 ストッキングに「文字」が印刷されている。文字が印刷されたストッキングを履いた若い女を見た。あるいは女が履いているストッキングに文字が印刷されていたのか。同じことだが、まったく違うことでもある。
 で、ことばが、こんなふうに動く。

文字列を読み取るためには、ふくらはぎとの距離を、
もっともっと縮めなければならない、
ふくらはぎは女に、女は公共に、
属している、それをつかまえるという、
わけにもいかない、秋の柔らかい陽射しが、
いや人口の冷たい光が、まだらにふくらはぎに、
文字列にあたる、私は追う、何が、
何が書かれているのだろう、読み取るためには、
まず公共から女を離し、女からふくらはぎを離し、
ゆっくりとそれを、本のように、
まるみを帯びた肉感的な本のように、
持ち上げなければならない、

 「属している」という動詞があり、その対極に「離す」という動詞がある。何が何に属しているのか、何を何から離すのか。これは「任意」である。つまり、言い換えることができる。いちおう、「ふくらはぎ(ストッキング)」に属している(書かれている)「文字列」を、「ストッキング(ふくらはぎ)」から離すという風に読むことができるが、いったん離されてしまえば、ほんとうに「文字列」が「ストッキング(ふくらはぎ)」に属していたのか、それとも「ふくらはぎ(ストッキング)」に「文字列」が属していたのか、よくわからない。
 主語と対象。その間で動く動詞。動詞を中心に見直すと、主語と対象(目的語)は、あっという間に入れ代わる。これは言い換えると、ほんとうに存在するのは「動詞」だけであるということになる。
 (私は、いつでもこの視点から詩を読むのだが。まあ、それは、おいておく。)
 だから、ほら、こうやって詩を読むと、野村が「ふくらはぎフェチ」だから女のふくらはぎ、ストッキング、文字に目がいってしまったのか、文字に目が行って、ストッキングに目が行って、よくみるとそこにふくらはぎがあり、ふくらはぎにたどりついたときに野村は「ふくらはぎフェチ」になるのか、区別がつかなくなる。
 こういうことが起きるのは、やはり、ことばにリズムがあるからだ。
 野村は、私の印象では、昔はとってもめんどうくさい詩を書いていた。でも、最近はことばがひたすらリズムに乗って動く。その結果、どこへ行くのか、そんなことなんか気にしていないという感じで書いている。私は、こういう詩が好きだ。



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