詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

アマンダ・ステール監督「マダムのおかしな晩餐会」(★★)

2018-12-12 19:44:53 | 映画
アマンダ・ステール監督「マダムのおかしな晩餐会」(★★)

監督 アマンダ・ステール 出演 トニ・コレット、ハーベイ・カイテル、ロッシ・デ・パルマ

 ロッシ・デ・パルマ(アルモドバルが起用したスペインの「泣く女」のような女優)を予告編で見かけたので、見に行った。パリで働くメイド役。晩餐会の出席者が13人なのは不吉、ということで急遽、「レディー」のふりをする。
 あとはおきまりのドタバタなのだが、どうしても「紋切り型」。
 監督はアマンダ・ステール。はじめてみる監督。原作も彼女が書いている。フランス人らしい「いじわるな紋切り型」が随所に隠れている。アメリカ人は金にこだわる(成り金趣味)、イギリス人は醜いのにゲイが多い。スペイン人は宗教熱心で貧乏。でも、フランス人は恋愛を上手に渡り歩くしゃれ者。
 つまり、「しゃれ者」の視点から、成り金が引き起こしたドタバタを、イギリス人とスペイン人に演じさせ、それぞれの「よそもの」を「みせもの」にしている。登場人物では、トニ・コレットの恋人とハーベイ・カイテルの恋人だけが傷つかずに、テキトウに恋愛を楽しんでいる。トニ・コレットの恋人なんて、トニ・コレットが裸でプールに飛び込んできたのに、知らん顔して帰ってしまうからねえ。彼にとっては、単なる遊びということを、さらっと描いている。
 さて、これをスペイン人が見たら、どう思うかなあ。
 ロッシ・デ・パルマはベッドの枕元には、キリストの幼子とマリア様の絵を飾っている。「だれの絵?」と聞かれて、だれが描いたかではなく「キリストとマリアの顔が大事なのだ」と答えるところは、いかにもスペイン人らしいが、そう感じる私も「紋切り型」でスペイン人を見ているのかも、と少し反省したりする。
 ロッシ・デ・パルマの一途な感じはなかなかいいんだけれどね。
 これをもしペネロペ・クルスが演じたら、逆に「品」がなくなるだろうなあ、とも思う。晩餐会のハイライト(?)の「おっぱいには三種類ある、おちんちんにも三種類ある」というジョークは、ロッシ・デ・パルマが言うから「味」が出る。気取らずに、脇目もふらず生きていく、という逞しさが、そのまま「人柄」となる。
 ラストシーンは、フランス人ならではの「装ったクール」である。
 身分がばれて、失恋し、トニ・コレットの家を去っていくロッシ・デ・パルマ。この恋の一部始終を書いていたハーベイ・カイテルの息子に、ロッシ・デ・パルマに勘違いの一目惚れをしていた男が聞く。「結末は?」「まだだ」「人はだれでもハッピーエンドが好き。主人公は走っていき、雨のなかでキスをする」。さて、去っていったロッシ・デ・パルマは男に追い掛けられ、雨のなかでキスをするか。これを監督は観客にまかせている。どう判断するかは、観客次第。どう答えても、監督は「ばかねえ」と笑うつもりでいる。こういう終わり方は「余韻」ではなく、「いやみ」である。
 ロッシ・デ・パルが出ているので★2個にした。何度でも見たい顔である。
(2018年年12月12日、KBCシネマ1 )

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