夏野雨『明け方の狙撃手』(思潮社、2018年11月30日発行)
夏野雨『明け方の狙撃手』。「月食」の二連目。
「まるくて、すこしずつとがっていた」という矛盾の直列が夏野のことばの特徴のひとつだと思う。この矛盾は「きみのてのひらの骨と、水かきの消えた部分」という形で繰り返される。そして、繰り返しによって運動の法則に整えられた後、抽象化とかというか、哲学化というか、「意識」としてして言いなおされ、「それが記憶と言うの、残ったほうが、それとも、通り過ぎてゆくほうが」ということばになる。
ことばがことばになるとき、ことばになった方が「意識」なのか、ことばにしなかった方が「意識」なのか、実際は、よくわからないときがある。だからこそ、「まるくて」と言った直後に「すこしとがっていた」と言いなおさずにはいられない。言いなおすことによって「意識」は「全体」を獲得するということだ。
そういうことばの運動によって夏野の詩は形作られている。
「白熊と炭酸水」には、こんなことばの運動がある。
「明け方とはいわず、夕暮れと呼ばない」という部分に矛盾の直列がある。それが「ただ太陽、とだけ呼びとめ」ということばの中でひとつになる。
さらには、こんなことばの運動もある。
「微かに音がしたはずだけど、ちっとも聞こえなかったよ」というとき、どちらが現実で、どちらが意識か。この区別は、実はできない。
そこに詩がある。
つまり矛盾が詩なのだ。
詩をくぐり抜けることで、ことばは「比喩」から「抽象」へ、「抽象」から「意味」へと動いていく。「時間の粒」という意識でしかとらえられないものをつかみ取り、それを炭酸の白い泡という現実の中へ強引に引き返していく。
このときの「炭酸の泡」とか「瓶が落ちる」とか、かなりなつかしい「抒情」のことばが動くというのが、夏野のもうひとつの特徴である。ちょっと見には、「きれいなことば」のあつまりを詩と考えているのだろうか、というような疑問も起きる。
昔々、タイガースというグループがあった。沢田研二がジュリーと呼ばれていたころだ。その歌を思い出させるようなものが、ときどき出てくる。ロックンロールに疲れた耳には、それが新鮮なのかもしれないが、私は、少しとまどう。
たとえば、次のようなことばの運動に。
この部分は、「時間は充満し少しずつ移動しているようです」と書き出されている。つまり、「時間の移動」を言いなおしたものが「わたしは 鳥でした」以下の部分なのだが。
だから、私の言い方はかなり不親切というか、意地悪なのかもしれないが。
私は、こういう「定型」になってしまったことばは美しいと呼んでいいのかどうか、かなり疑問に思っている。
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夏野雨『明け方の狙撃手』。「月食」の二連目。
靴についてきた砂粒を、机の上に並べてみた。すべてが破片
だったから、まるくて、すこしずつとがっていた。出自を尋
ね、また、答える。いつかみた更新世の、氷河時代の、名残
なのだと、欠けた部品を示して、言った。きみのてのひらの
骨と、水かきの消えた部分に、残されず剥落してゆく、ねえ
それが記憶と言うの、残ったほうが、それとも、通り過ぎて
ゆくほうが。
「まるくて、すこしずつとがっていた」という矛盾の直列が夏野のことばの特徴のひとつだと思う。この矛盾は「きみのてのひらの骨と、水かきの消えた部分」という形で繰り返される。そして、繰り返しによって運動の法則に整えられた後、抽象化とかというか、哲学化というか、「意識」としてして言いなおされ、「それが記憶と言うの、残ったほうが、それとも、通り過ぎてゆくほうが」ということばになる。
ことばがことばになるとき、ことばになった方が「意識」なのか、ことばにしなかった方が「意識」なのか、実際は、よくわからないときがある。だからこそ、「まるくて」と言った直後に「すこしとがっていた」と言いなおさずにはいられない。言いなおすことによって「意識」は「全体」を獲得するということだ。
そういうことばの運動によって夏野の詩は形作られている。
「白熊と炭酸水」には、こんなことばの運動がある。
その仄
あかるい色彩を、明け方とはいわず、夕暮れと呼ばないで、
ただ太陽、とだけ呼びとめ、心中していく。
「明け方とはいわず、夕暮れと呼ばない」という部分に矛盾の直列がある。それが「ただ太陽、とだけ呼びとめ」ということばの中でひとつになる。
さらには、こんなことばの運動もある。
白熊が近づいて、ふいに手が滑って、炭酸水の瓶が落ちる。
白い泡が広がって、微かに音がしたはずだけど、ちっとも聞
こえなかったよ。でも確かに時間の粒たちを、僕らは一緒に
吸い込んだんだ。
「微かに音がしたはずだけど、ちっとも聞こえなかったよ」というとき、どちらが現実で、どちらが意識か。この区別は、実はできない。
そこに詩がある。
つまり矛盾が詩なのだ。
詩をくぐり抜けることで、ことばは「比喩」から「抽象」へ、「抽象」から「意味」へと動いていく。「時間の粒」という意識でしかとらえられないものをつかみ取り、それを炭酸の白い泡という現実の中へ強引に引き返していく。
このときの「炭酸の泡」とか「瓶が落ちる」とか、かなりなつかしい「抒情」のことばが動くというのが、夏野のもうひとつの特徴である。ちょっと見には、「きれいなことば」のあつまりを詩と考えているのだろうか、というような疑問も起きる。
昔々、タイガースというグループがあった。沢田研二がジュリーと呼ばれていたころだ。その歌を思い出させるようなものが、ときどき出てくる。ロックンロールに疲れた耳には、それが新鮮なのかもしれないが、私は、少しとまどう。
たとえば、次のようなことばの運動に。
わたしは 鳥でした ピアノ
を弾く人をみていたのです 森の瀬戸際の明るい場所でした 木々がそこだ
け光を用意してくれたようでした 男の人がピアノを弾いていました 黒い
ピアノでした つやつやとした表面に空がうつって水のようにみえました
音階ははじめとぎれとぎれに ためすように落ちてきました 近くの木の葉
がその一粒を受けてはじくのにこたえて音は大きくなりました
この部分は、「時間は充満し少しずつ移動しているようです」と書き出されている。つまり、「時間の移動」を言いなおしたものが「わたしは 鳥でした」以下の部分なのだが。
だから、私の言い方はかなり不親切というか、意地悪なのかもしれないが。
私は、こういう「定型」になってしまったことばは美しいと呼んでいいのかどうか、かなり疑問に思っている。
*
「高橋睦郎『つい昨日のこと』を読む」を発行しました。314ページ。
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なお、私あてに直接お申し込みいただければ、送料は私が負担します。ご連絡ください。
「詩はどこにあるか」10・11月の詩の批評を一冊にまとめました。
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オンデマンド形式です。一般書店では注文できません。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。
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(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
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(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
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(3)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
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(4)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
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