詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

池澤夏樹のカヴァフィス(6)  

2018-12-25 10:14:02 | 池澤夏樹「カヴァフィス全詩」
6 蝋燭

未来の日々は我々の前に立ち並んでいる、
火をともした一列の蝋燭のように--
金色で、熱く、生き生きとした蝋燭の列。

過ぎ去った日々は我々の背後にある。
消えてしまった蝋燭がみじめに並んでいる。
一番近いものはまだくすぶっている。
そして、溶けて曲った冷たい蝋燭の列。

 「未来」と「過去」が対比される。しかしカヴァフィスの眼は未来を見ない。過去しか見ない。過去を明確にするために未来が対照されているにすぎない。
 だからこそ私は「一番近い」に傍線を引く。「一番近い」は別のことばで言えば「一本」である。そして、それは「一列」と対比されている。
 なぜ「一番近い/一本」に目を向けるのか。「過ぎ去った日々」と複数形で書かれているが、どの日もひとつとしておなじではない。複数にはなれない。未来はひとつの輝かしい表情しか見せないが、過去と違う。他人から見ればどの日々も他の日々と変わらないように見えるかもしれない。けれど、カヴァフィスにとって、その日は他の日とは違う。
 さらに「一番近い」は「きのう」ではなく、「三日前」かもしれないし、「一週間前」かもしれない。そうだとしても「一番近い」のである。「くすぶる」ことによって「一番近く」に「なる」。そして「一番近い」は、「二番目に近い」「三番目に近い」をへて「いちばん遠い」までつづく。つまり……。

暗い列がなんと速やかに伸びてゆくことか、
消えた蝋燭がなんと速やかに増えてゆくことか。

 「伸びる/増える」ことによって「列」になるのだが、「列」は「一本」によって明確になる。「一本ずつ」が「列」になる。「一番近い一本」から「過去」は始まる。どれもが棄てられない過去として、自己主張してくる。

 池澤は、

 この蝋燭はやはりギリシャ正教の教会で用いられる、黄色くて鉛筆くらいの太さのひょろひょろのものだろう。

 と書いている。なぜ、そう限定しなければならないのか、私にはわからない。


カヴァフィス全詩
クリエーター情報なし
書肆山田


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