詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

estoy loco por espana (番外29)ホアキンの作品(補足)

2018-12-17 14:31:14 | estoy loco por espana
 Joaquin Llorens Santaのアトリエを6月に訪ねた。完成品もあったが、制作途中のものがあった。むき出しの鉄の感じが生々しく、印象が強烈だった。
 その作品は、さまざまな色を施されて展覧会に並んだ。
 彩色された作品の方が純粋にみえた。
 むき出しの鉄のときは、鉄の内部にいくつもの純粋さがうごめいていた。彩色されることによって、そのうちのひとつが選び出された。感情が統一され、まっすぐにひとつの方向を目指している。
 ただし黒はない。ホアキンはラジオのインタビューで、「黒は私が着ている」と冗談を言っていた。
 闇(黒)が光に洗われて、ひとつの輝きをもつ、ひとつの色になる。その動きをホアキンは制御しているのかもしれない。

Visité el taller de Joaquin Llorens Santa en junio. Había productos terminados, pero había algo en medio de la producción. La sensación de hierro desnudo era fresca y la impresión era intensa.
Ese trabajo se alinearon en la exposición con varios colores.
La obra pintada parecía pura.
En el caso del hierro al descubierto, se metió mucha pureza dentro del hierro. Al ser coloreado, uno de ellos fue escogido. Las emociones se unifican, apuntando hacia adelante en una dirección.
Sin embargo, no hay negro. Joaquín estaba entrevistando a la radio y en tono de broma decía "El negro es mi ropa".
La oscuridad (negro) se lava en la luz, se convierte en un color con un brillo. Joaquín puede estar controlando el movimiento.
Joaquín sabe que hay más de un color detrás de un color.



展覧会に展示されているときとは作品の表情が違っている。
室内の明かりのなかで、沈黙を集めて、さらに静かになっていく。
La expresión de la obra es diferente a la que se exhibe en la exposición.
A la luz de la habitación, reúno el silencio y se vuelve más tranquilo.



部屋の中に置かれると、ホアキンの作品はとても静かだ。
彼の作品は落ち着きをもたらしてくれる。
Cuando se coloca en la habitación, el trabajo de Joaquín es muy tranquilo.
Su obra provoca inquietud.







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伊藤比呂美「チャパラル」

2018-12-17 07:56:11 | 2018年代表詩選を読む
伊藤比呂美「チャパラル」(「現代詩手帖」2018年12月号)

 伊藤比呂美「チャパラル」(初出『たそがれてゆく子さん』、8月)。

この土地に二十数年住み果てて
チャパラルということばを知った

 と始まる。つづきを読むと「竜舌蘭」の類の草木のように思えるが、よくわからない。「翻訳できない」という行を含んで、チャパラルの野(山)を歩く。
 そのあと、最終連。

どんぐりが生るのを見た
コヨーテの呼ぶのを聞いた
コヨーテの食べ残しを見た
それはうさぎの尻尾だった
月がのぼるのを見た
日がしずむのを見た
日がのぼるのを見た
雨が降るのを見た
雷が鳴るのを聞いた
人と出会って、人と別れた
花が咲くのを見た
咲いた花が枯れるのを見た
枯れ果てたのを見た

 「見た」「聞いた」が繰り返される。知覚動詞をとりはらうと「神話」になる。でも、伊藤は、これを「神話」にしない。あくまで伊藤個人の体験に閉じ込める。
繰り返される「見た」「聞いた」は、一連目に出てきた「知った」と、どう違うのだろうか。私は違わないと思う。伊藤にとって「見る」「聞く」は「知る」ことである。「知る」というのは、最終連のことばを借りて言えば「出会う」である。だから「別れる」はきっと「記憶する」である。「忘れない」である。
で、この「知る」「記憶する」「忘れない」を、私は「見た」「聞いた」というこことばがつかわれていない部分に補って読む。

それはうさぎの尻尾だった

それはうさぎの尻尾だと「知った」。そのうさぎの尻尾を「記憶する」。そのうさぎの尻尾を「忘れない」。
ここから最初の連に戻る。

この土地に二十数年住み果てて
チャパラルということばを知った

は、

この土地に二十数年住み果てて
チャパラルということばを「記憶した/忘れない」

 そう読み直すと、そうか、伊藤は「この土地」をいずれ離れるという意識をこめて書いているのだな、と「誤読」できる。すでに「離れた」のかもしれない。でも、けっして「忘れない」。そのために書く。




*

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