詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

稲川方人「はなぎれのうた」

2018-12-02 13:37:58 | 2018年代表詩選を読む
稲川方人「はなぎれのうた」(「現代詩手帖」2018年12月号)

 稲川方人「はなぎれのうた」(初出「三田文学」秋期号、17年11月)を読みながら、詩は、いつからこんなに長くなったのだろうと思った。こんな長い必要があるのか。

いまは店を閉めた無人の豆腐屋のガラス戸に
伊野町の四辻に揺れている影を
いつまでも大切にと
紙切れが貼ってある
夏の陽にも
冬の陽にも
それは少し濡れながら人の眼を避け
思慕の行方にためらっている
飛行機雲が消えていく虚空にも
笑う人や
泣く人がいて
電線の風が鳴ると彼らの声が鎮まる
約束のような死者への思いが尽きず
海の名を宛名にした手紙に
新しい日付けを添えて
僕は来た道を帰り
帰った道をまた戻る

 「風景」(光景)をただ描写していく。光景は比喩になり、抽象を重ねて意味になるか、ならないか。意味になることを拒んで、折れ曲がっていくようでもある。そういう視点から見れば、これは江代充の詩の方法に似ているかもしれない。違うのは、江代の詩が短いのに対して、稲川の詩が長いという点である。
 私が引用したのは作品の書き出しの方である。「思慕の行方にためらっている」までで、十分に完結していると思う。ここまでは、私はとても「いい気持ち」で読み進んだ。
 それ以後は、それまでの行に別の行を重ねることで、抽象(意味)を促しているように思えた。
 「飛行機雲が消えていく虚空」は「店を閉めた無人の豆腐屋のガラス」と重なる。人のいない店のガラス戸。そのガラスの「虚空」に、飛行機雲の空が映っているようにも感じられる。ガラスはそのまま「虚空」になって、空にひろがる。飛行機雲は、張り紙である。張り紙が飛行機雲である。「泣く人/笑う人」の対比は「夏の陽/冬の陽」と重なる。「人目を避け」は「声が鎮まる」、「死者への重い」は「思慕の行方」と重なる。「ためらっている」は「来た道を帰り/帰った道をまた戻る」に重なる。
 重なったからといって、そこからはっきりした「抽象/意味」が出てくるわけではないが、まだ書かれていない「意味」を見つけ出そう、自分のものにしようとしている運動を感じる。
 で。
 読み通すと、私の感じでは一篇の詩というよりも、「一冊の詩集」と言う感じがする。たぶん、数行ずつの短い詩として、一冊の詩集として読んだなら、私は感動したと思う。詩と詩が呼び合って、静かに変化していく。読み進むたびに、さっき読んだばかりのことばが違う音で鳴り響く。そしてそれが、まだ読んでいない詩のことばを静かに育てる、あるいは生み出すという印象となってひろがっていくように思う。

ヒバの木々の下に桃色の水晶は光り
小さな墓がいくつも並んで海鳴りを聞いている
「東京ワルツ」の千代田照子さん
昭和二十九年の春に
母の細い歌があなたを真似ておりました

 豆腐屋のガラス戸は「水晶」に、「あなた」は「千代田照子」にと重なる。「死者」は「千代田照子」なのか「母」なのか。ふたりとも死んだのか。「母の細い歌があなたを真似ておりました」という「翻訳調」のことばの動きも、反復しながらの前進を感じさせる。この一行のなかに、すでに「言い直し」があるのだ。

遠いところにいるあなたの憂慮
それを僕は誰にでも伝えてみたかった
どんな文字も竪琴を乗せるあなたの膝の上で
意味を紡いでいるから
拙い国、暴力の国
小さな命の群れの
その怨みは優しい怨みだから
決して途絶えることのないよう
決して奪われることのないよう

 どこで切断するか、読者によって違うと思うが、私はこうやって、あえて「切断」することで稲川を「抒情詩」と「誤読」したい。






*

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高橋睦郎『つい昨日のこと』(147)

2018-12-02 09:53:41 | 高橋睦郎「つい昨日のこと」
147  久留和海岸

 「久留和海岸」がどこにあるか、私は知らない。高橋の住む街の近くなのかもしれない。そう感じさせることばが動いている。

国道からの下り坂の 片方にはそよぐ木群
下りきると 小さいが本当の浜 本当の漁港
曇り空をわずかに輝かせる日没が 確かにあり
走りまわる子ら 漁網をつくろう大人たち
ここにあるのは 本当の日常 本当の人生

 「本当」が何度も繰り返される。「本当」は「確か」ということばで言いなおされている。しかも、それは「確かにあり」という形で動いている。「ある」が実感として書かれている。だからこそ、「本当」ということばを含まない、

曇り空をわずかに輝かせる日没が 確かにあり

 が美しい。「本当」の日没は、晴れ渡った日ではなく「曇り空」でなければならない、という気持ちにさせられる。空だけではなく、雲も光に染まるのだ。久留和海岸へ出かけ、日没を見てみたい。

本当の自分をとり戻すために ときにはここに来よう
そう決心して 来合わせたバスに 跳び乗った
決心を本当の決心にするため 振り返らなかった

 この詩集の高橋は、高橋が老人であることを強調しているが、この詩には老人の匂いがしない。青春の純粋さがある。「本当」をはじめて発見したときの「若さ」が輝いている。「老人( 時間) 」を発見し、「時間 (永遠) 」を夢見る青春の特権。「老い」や「敗北」は常に青春が発見する抒情だ。
 だから「若さ」には「決心」が似合う。「振り返らない」が似合う。見てしまったのだから。「決心」とは、いつでも決して振り返らないものだ。振り返らないことによって「決心」は「本当」になる。同時に「見てしまったもの」が「本当」になる。

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