詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

小池昌代『黒雲の下で卵をあたためる』

2020-01-08 21:54:26 | その他(音楽、小説etc)


小池昌代『黒雲の下で卵をあたためる』(岩波現代文庫、2019年12月13日発行)

 小池昌代『黒雲の下で卵をあたためる』には、単行本に追加した三篇がある。そのうちの「きみとしろみ」はゆで卵の「黄身と白身」なのだが「きみ」は同時に「君」をも含んでいる。岩本正恵が訳したクレア・キーガンの「別れの贈り物」(『青い野を歩く』の一篇)を読むという体裁をとっている。
 そのなかにこんな文章が出てくる。

読み進めるうちに、わたしのなかに、一人の女が生々しく形作られていった。
                               (166ページ)

 このことばは小池の「本質」のようなものをあらわしている。「他人」なのに、それが「わたし」の内部で「女」を生み出していく。主人公を自分のことのように感じる、と言い直してしまえば、誰もが感じることなのかもしれないが、それを「女」と対象化し、しかも「生々しく」とつかむのが小池の特徴だと思う。
 「生々しさ」については、小池は、こう言い直している。
 ゆで卵をつくるとき、殻が割れて白身がはみだすときがある。このはみだした白身を岩本は「リボン」ととらえている。小池は、

それを「脱腸」のようだと思いながら、いつだってその様子をじっと見ていた。その無為の時間の肌触りが、こんな箇所を読むと、蘇る。そうして読む時間をふくらませる。
                               (176ページ)

 「時間をふくらませる」(時間がふくらむ)。時間が、それまでと「異質」なのものになる。異質といっても、それはむしろ「ほんとう」になる、ということだ。あ、この時間こそが「ほんとう」だと感じる。
 それを「生々しい」と読んでいる。
 「生々しくない」時間は、客観的に描写できる「物理」の時間ということになるかもしれない。けれど人間は、時計で測れる物理の時間を生きているのではない。時計では測れない時間を生きている。「ふくれた」は、つまり、時計の時間から「はみだした時間」ということになるだろう。
 問題は、と書くと、語弊があるかもしれないが。
 問題は、そういう時計の時間からはみだした「ほんとう」の時間は、ゆで卵からはみだす白身のような形をとるとは限らないということだ。
 「別離」には、そのことが書かれている。梅酒をつくっている。梅酒の梅はもいでつくる。しかし、なかには自然に落下する梅もある。その梅は青梅ではなく、むしろ成熟している。それが枝から落ちる瞬間を、梅が木から「別離」する瞬間を見たことがないなあ、と「わたし」は思う。
 この見たこのない完全な別れ(ほんとうの別れ)について考えているうちに、「わたし」は「将来を約束した」男と別れたときのことを思い出す。「わたし」は「約束」を信じていたが、男は「黙って」去った。

あの時、はっきりとした破棄の言葉があれば、別れの言葉があれば、わたしは前に進めただろう。長く、この衝撃を引きずったけれど、歳月は流れ、わたしはその後を生き、今も生きていて、この顛末も忘れた。けれど落下した梅について書くうちに、なぜかあの時の記憶が蘇ってきた。
                               (226ページ)

 ここにもまた「ほんとう」がある。そしてこの「時間」もまた、過去から「ふくれあがって」、いまを突き破ってあらわれたものだといえるだろう。
 「蘇る」は「生き返る」であり、それは常に「生々しい」。小池の書いている「蘇る」の前に「生々しい」ということばを補うと、小池が書こうとしているものがよりはっきりと見えてくると思う。実際、いま引用した文章の二つの「蘇る」の前に「生々しく」を補って、「生々しく蘇る」という形にして読んでみるといい。小池が直面しているのは「生々しさ」だということがわかる。
 また最初に引用した文章から「生々しく」を省略してみればいい。省略しても「意味」は通じる。

読み進めるうちに、わたしのなかに、一人の女が形作られていった。

 しかし、何かが物足りない。逆に「形作られていった」を「蘇った」にしてみるとどうなるか。

読み進めるうちに、わたしのなかに、一人の女が生々しく蘇った。

 小池が、主人公を自分自身と感じていることが実感できる。一人の女の「時間」が「ふくれて」、生々しく「蘇った」のである。つまり、小池は、そうやって自分自身になるのである。「ほんとう(ほんもの)」になるのである。
 「生々しく」は小池のことばの運動の「キーワード」である。






*

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アルメ時代24 秋の花

2020-01-08 18:03:59 | アルメ時代
24 秋の花



ビルの壁が斜めに降ってくる光を受け
具象と抽象のあいだをさまようので
私は一本の木を求める
梢の幾枚かが明るく輝き
残りは肌寒い影にのみこまれている
そんなアンバランスな木を
窓から見つめていたい
木と私との距離を利用して
たぶん私は物語をつくる
雨に叩かれて芽吹いた木の葉が
思いがけない角度で電話線をこすったが
いまはだらしなく濁っている、と
時間の枠組みをつくる
それから女を出したりひっこめたり
季節の変わり目に吹く風のように
急に向きを変えたり温度を変えたりする
二、三のことばを引用する
ときには見せ消ちを残し
陰影をつくっていく
どうにもならなくなったときは
湿っているアスファルトのにおい
その底にある土を呼吸する樹液
のようなものを狙ってみる
つまり私の物語が木に似ることを願いながら
遠近法の中心へもどる
それから象徴というものを考える
「象徴とは思考をやめたとき
ふいにあらわれてくるものである」
という行を挿入すべきかどうか
しばらく頭を悩ませたりする
そうするうちに宇宙は動いていって
木がビルの影にのみこまれて
なんとなく秋はおわる




(アルメ246 、1986年12月25日)
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嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(64)

2020-01-08 09:59:23 | 『嵯峨信之全詩集』を読む

* (それが人の世というものです)

 どういうものが人の世か、具体的なことが(しかしかなり抽象的に)書かれたあと、最後の二行。

大きな夜がしずかに傾斜する窓ぎわで眠ります
ある大きな手からわたしにだけつづいているいつもの深い眠りに

 「ある大きな手」とは「わたし」を超える存在である。それと「わたし」がつながっている。「わたしだけに」と嵯峨は書いている。ここに詩人の「特権」がある。それは認めるしかないのだが、私はこの「特権」が嫌いである。
 「特権」があるから「人の世」を、人とは違った生き方で生きていける、という考え方には異を訴えておきたい。





*

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