谷川俊太郎「ことばを覚えたせいで」(「現代詩手帖」2020年01月号)
谷川俊太郎「ことばを覚えたせいで」には非常に共感する部分と、まったくわからない部分がある。
作品は前半が散文で、後半が行分けになっている。前半は、詩というよりも「ことば」を中心に据えて散文と詩の関係を書いている。
この第一段落を読んだとき、谷川の書いている「言葉」はそのまま「意味」に置き換えられると思った。
すると、第二段落では「言葉」が「意味」に取って代わっている。
これは、言葉と意味を入れ替えても通じると思う。「意味のおかげで人間は言葉というものに取り憑かれるようになった。」この方が、私には自然に感じられる。
ここから第一段落にもどる。そして、「言葉」を「意味」と読み直してみる。
意味を覚えたせいで、意味では捕まえるの
が不可能なものをどうしたら良いのかわから
ない。僕ら人間は意味で出来ているのだから、
意味以上の、あるいは意味以外の世界を意味
で知ろうとするのは無理だろう、と誰もが言
うけれども、好きな音楽を聴いていると、音
楽には意味の能力を超えた何かがあると思う。
書き換えて私が感じるのは「意味以外の世界を意味で知ろうとするのは無理だろう」の二度目の「意味」以外は、「意味」であっても不自然ではないということ。「意味で知ろうとする」というのは、しかし、単にそういう「言い回し」になれていないだけで、「翻訳」の世界にはありそうな表現のようにも思える。つまり、論理的には(散文的には?)成り立ちうる文章(ことばの動き)に思える。
二段落全体を引用する。
谷川俊太郎「ことばを覚えたせいで」には非常に共感する部分と、まったくわからない部分がある。
作品は前半が散文で、後半が行分けになっている。前半は、詩というよりも「ことば」を中心に据えて散文と詩の関係を書いている。
言葉を覚えたせいで、言葉では捕まえるの
が不可能なものをどうしたら良いのかわから
ない。僕ら人間は言葉で出来ているのだから、
言葉以上の、あるいは言葉以外の世界を言葉
で知ろうとするのは無理だろう、と誰もが言
うけれども、好きな音楽を聴いていると、音
楽には言葉の能力を超えた何かがあると思う。
この第一段落を読んだとき、谷川の書いている「言葉」はそのまま「意味」に置き換えられると思った。
すると、第二段落では「言葉」が「意味」に取って代わっている。
言葉のおかげで人間は意味というものに取
り憑かれるようになった。
これは、言葉と意味を入れ替えても通じると思う。「意味のおかげで人間は言葉というものに取り憑かれるようになった。」この方が、私には自然に感じられる。
ここから第一段落にもどる。そして、「言葉」を「意味」と読み直してみる。
意味を覚えたせいで、意味では捕まえるの
が不可能なものをどうしたら良いのかわから
ない。僕ら人間は意味で出来ているのだから、
意味以上の、あるいは意味以外の世界を意味
で知ろうとするのは無理だろう、と誰もが言
うけれども、好きな音楽を聴いていると、音
楽には意味の能力を超えた何かがあると思う。
書き換えて私が感じるのは「意味以外の世界を意味で知ろうとするのは無理だろう」の二度目の「意味」以外は、「意味」であっても不自然ではないということ。「意味で知ろうとする」というのは、しかし、単にそういう「言い回し」になれていないだけで、「翻訳」の世界にはありそうな表現のようにも思える。つまり、論理的には(散文的には?)成り立ちうる文章(ことばの動き)に思える。
二段落全体を引用する。
言葉のおかげで人間は意味というものに取
り憑かれるようになった。確かに人間は動物
と違って、意味なしでは社会生活を送れない。
だが、意味のおおもとにあるもの、言葉で名
付ける以前にそこに存在するものに迫るのが、
散文とは次元の違う詩の狙いだと考えたい誘
惑から逃れるのは難しい。それだけが詩の目
的だとは考えていないが、詩を書こうと身構
えると、どうしてもその方向に意識が働く。/
「言葉」と「意味」が交錯したあと、「散文」と「詩」が新しい次元で動き始める。「散文」を「意味」、「詩」を「意味以前」と言い直せば、「詩」はさらに「言葉以前」という具合に言い直せるかもしれない。
たぶん、谷川はそう考えているのだと思うが、私はこの部分につまずく。
「言葉で名づける以前にそこに存在するものに迫る」というのは「詩」だけの仕事ではない。「散文」もまた「言葉で名づける以前にそこに存在するものに迫る」、つまり「意味として定着する以前にそこに存在するものに迫る」運動をしていると考える。
私は「散文」と「詩」を区別しない。詩を読んで感動するときも、散文を読んで感動するときも、まったく同じだ。いままで存在していた「意味(言葉)」が壊れて、その壊れた部分から新しい動き(意味を捕まえようとする何か)が生まれるとき、私はそれをおもしろいと感じる。
だから、谷川が書いている、この「誘惑」の部分には、とても違和感を覚える。
途中を省略して(この省略した部分に谷川の書きたいことが凝縮しているのかもしれないが)、後半の行分けの部分。
広々とした青空のどこかから
白い雲のひと刷毛が現れて
風に流れるいとまもなく
すぐ消え失せるのを赤ん坊が見ている
老人の私もそれを見ているが
赤ん坊と違って私はそれを言葉で見る
その情景は私の内部から外部へ跳ぶ
私の中ですでに時は止まっている
私が共感したのは「その情景は私の内部から外部へ跳ぶ」という一行だ。「情景を描写する言葉」が谷川の内部から、谷川の外部へ跳ぶ。跳び出す。ことばが情景をつくっていく。ことばが描写している「領域」が「世界(情景)」である、と私も考える。逆に言うと、「言葉」になっていない部分は「世界(情景)」でもないし、「私(の意味)」でもない。谷川がそう考えるかどうかわからないが、私は、そう考えている。
だから私にとっては、「世界(情景)」はいつも不定形であり、同時に私自身も不定形である。「意味」は、そのつど現れては消えるものであって、一瞬も固定化しない。
そう読みたいのだが、その次の、「私の中ですでに時は止まっている」という一行が、なんとも不可解である。完全につまずいてしまう。
谷川は私とはまったく違うことを考えている。
それは私と谷川は別人なのだから当然のことなのだが、当然だとわかっていても、どうしてことばがこう動くのか掴みかねる。
情景が、谷川とは別個に外に存在するのではなく、谷川の内部から言葉と同時に跳び出すことで出現するものであるのなら、「私の中で時は新しく動き始める」のではないのか。どうして「止まる」のか、それがわからない。「情景/意味」を確立する言葉は、「確立された時(流動しない時/普遍の時)」とともにある、ということなのか。
詩はつづく。
書かれた情景は一枚の水彩画のように
意識の額縁に収まっている
赤ん坊を抱いて私は散歩から帰る
日常が当然のように戻ってきて
やがて西陽が家並みの向こうに沈む
詩が言葉と別れて闇に消える
「書かれた情景」は「言葉」によって「書かれた情景」。つまり、「意味」を固定化された情景ということになるだろうか。「意識」は「意味」と同じだろうか。「意識の額縁」とは「散文」におさまってしまった、と言うこともできるかもしれない。
「日常」もまた「意味」と読み直すことができるかもしれない。あるいは「散文」と読み直した方が、最終行の「詩」と結びつき「意味」になりやすいかもしれない。
赤ん坊になって、雲を見つめた。そのとき、赤ん坊の言葉にならない言葉が谷川の肉体の内部から外に跳び出して詩になった。「言葉で見る」と書いているけれど、その「散文的な説明」はいままで存在しなかったものなので、「詩」なのだ。その記憶をことばにゆだねて、谷川は「日常」へ引き返すというのだが……。
うーん、説明っぽすぎないか。赤ん坊と一体になった一瞬は、どうして消えたのか。どこへ消えたのか。「詩が言葉と別れて闇に消える」とょうのは、それこそ、いわゆる「散文」の文体ではないだろうか。
*
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