詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

朝吹亮二「雪 降りつづけ」

2020-01-10 23:06:13 | 詩(雑誌・同人誌)
朝吹亮二「雪 降りつづけ」(「ミて」149、2019年12月31日発行)

 朝吹亮二「雪 降りつづけ」と、とりあえずこう表記してみたものの、作者の意図をくみとったタイトルの紹介ではない。見開きのページの中央に(雪 降りつづけ    朝吹亮二)とレイアウトしてある。そして本文は、

一 の雪   は  すべ の 音を鎮  降 つもり りつ き
どこ でも 平を拡げ ゆく の り され 無  コード の傷
の うに 配が繰 返さ るう に近づ  くるわ   思い し
てい  たしの  ヒョウそ 翡 の その のようにしな 尻 
わた は い出し い  もふれ  の  配だ  体のかた を
し 気 だ  もど にい の たし ユキ    の 翠の瞳 
まり 遠  原わ し  術 も学 で  たを呼  かあ  の

 という具合でつづいて行く。文字が頻繁に空白になっている。さて、この空白をどう読むか。
 ためしに少し空白を埋めてみる。

一片の雪の結晶はいますべての騒音を鎮めて降りつもり降りつづき
どこまでも地平を拡げてゆくその塗り潰され無音のレコード盤の傷
のように気配が繰り返されるように近づいてくるわたしは思い出し
ていたわたしの遠いヒョウその翡翠の羽その鞭のようにしなる尻尾
わたしは思い出している

 雪が思い出させるものと、雪が隠して行くもの。それが空に舞う雪片のように交錯する。そして、その隠されたもの(空白)を想像するとき、私は朝吹のことばを追いかけながら私の過去を思い出している。雪を見た記憶を。
 「翡翠」は雪の白との対比から飛び出してきたが、「ヒョウ」は「雹」だろうか、それとも「豹」だろうか。あるいは「〇〇ヒョウ」というカタカナことばだろうか。そこでつまずいて、あとのことばが動かなくなった。
 このあと詩は「熱」とか「肌」とか「愛」ということばとともに動き、そこには「吐(く)」という動詞や「息」も動くので、昔のおんなのことを書いているのだろうなあと勝手に想像する。
 女の名前は「ユキ」である。
 記憶だから、とぎれとぎれ。脈絡もあるようでない。だから、最後まで「文」として完成させる必要もない。もともと詩は「意味」ではないから、こうやって切断と接続をテキトウにたどれば充分なのだとも思う。
 で、こういうことをやってみて思うのは。
 私は「ヒョウ」につまずいたが、それ以外は「文章」にはならないが、愛の行為を思い出す肉体の愉悦と淋しさを思い、なんだか自分を見るような錯覚に陥る。
 ことばというのはいつでも、他人のことばを読んでいても、結局自分の肉体を読むことだと知らされる。



 この「日記」をアップしたあと、読者の山本育夫さんから「よく空白を埋められましたね。驚く」という感想をもらった。
 しかし、私の「穴埋め」は、実は嘘を書いたのだ。
 私は詩の感想を書くとき、詩を引用する。しかし、その引用は作為的である。言い換えると感想も作為的である。ときどき嘘を書く。嘘の方が「詩的」というか、おもしろいと思うからである。
 あるとき、ある作者から、「その詩は、次のページにつづいている」という指摘を受けたことがあるが、それは私が知っていて省略したのである。
 今回の場合も、「正解」は解っているが、あえて「誤読」した部分がある。「誤読」することで、私(谷内)を出したかったからである。「正解」は、いつでもどこでも、誰にでも導き出せる。「1+1=2」は、私が書くまでもない。
 で、全行を引用し、全行を穴埋めしてみよう。

一 の雪   は  すべ の 音を鎮  降 つもり りつ き
どこ でも 平を拡げ ゆく の り され 無  コード の傷
の うに 配が繰 返さ るよ に近づ  くるわ   思い し
てい  たしの  ヒョウそ 翡 の その のようにしな 尻 
わた は い出し い  もふれ  の  配だ  体のかた を
し 気 だ  もど にい の たし ユキ    の 翠の瞳 
まり 遠  原わ し  術 も学 で  たを呼  かあ  の
 線の かで 熱 は  わた の躰も の茎  の も  冷え
と  く くき 音の音を  て く熱 のはわ し 吐 ある 
はひき かれて   たしの肌 愛して   わた の  ヒョウ

(雪 ふりつづけ       朝吹亮二)

 月  原それ 雪が  て 無   めて り   降  づ 
  ま  地    て  雪 繰 返  る 音レ  ド盤  
 よ  気   り  れ  う   いて   たしは  出 
  るわ   ユキ    の 翠 眼  鞭      る 尾
  し 思   て るで   える は気  け肉    ち 
 た 配 けで  こ  る わ  の  ヒョウそ 翡   あ
  に い雪  た は魔 で  ん あな   ぼう  なた 
視  な  は い ずの  し   こ  もあ 茎も  冷え
 して き  無    たて ゆ  い   た の 息  い
   裂   いくわ   か    ほしい  し ユキ   

 穴埋めすると、こうなる。

一月の雪原それは雪がすべての無音を鎮めて降りつもり降りつづき
どこまでも地平を拡げてゆく雪の繰り返される無音レコード盤の傷
のように気配が繰り返されるように近づいてくるわたしは思い出し
ているわたしのユキヒョウその翡翠の眼その鞭のようにしなる尻尾
わたしは思い出しているでもふれないのは気配だけ肉体のかたちを
した気配だけでもどこにいるのわたしのユキヒョウその翡翠の瞳あ
まりに遠い雪原わたしは魔術でも学んであなたを呼ぼうかあなたの
視線のなかでは熱いはずのわたしの躰もこの茎もあの茎も冷え冷え
としてくきくき無音の音をたててゆく熱いのはわたしの吐息あるい
はひき裂かれていくわたしの肌か愛してほしいわたしのユキヒョウ

(雪 ふりつづけ       朝吹亮二)

一月の雪原それは雪がすべての無音を鎮めて降りつもり降りつづき
どこまでも地平を拡げてゆく雪の繰り返される無音レコード盤の傷
のように気配が繰り返されるように近づいてくるわたしは思い出し
ているわたしのユキヒョウその翡翠の眼その鞭のようにしなる尻尾
わたしは思い出しているでもふるえるのは気配だけ肉体のかたちを
した気配だけでもどかにいるのわたしのユキヒョウその翡翠の瞳あ
まりに遠い雪原わたしは魔術でも学んであなたを呼ぼうかあなたの
視線のなかでは熱いはずのわたしの躰もこの茎もあの茎も冷え冷え
としてくきくき無音の音をたててゆく熱いのはわたしの吐息あるい
はひき裂かれていくわたしの肌か愛してほしいわたしのユキヒョウ

 五行目だけ一部が変わっている。

わたしは思い出しているでも「ふれない」のは気配だけ肉体のかたちを

わたしは思い出しているでも「ふるえる」のは気配だけ肉体のかたちを

 もしかすると、前半の「ふれない」が誤植かもしれない。「ふるえる」の方が朝吹の語感に近いと思う。







*

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嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(66)

2020-01-10 09:10:10 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
                         2020年01月10日(金曜日)

* (約束は)

 短いことばで始まる詩の前半を省略し、最後の二行に結びつけてみる。

いま暁の冷たい雨にぬれて
花々は小さく顫えながら育つている

「冷たい雨」「顫える」は敗北や喪失を連想させる。それは求めているものではない。求めていたもの、約束したものは、それとは逆のものであったはずだ。しかし「約束」は裏切られるためにある。運命だ。そして、思い出すためにある。
 この悲しみは、しかし、青春の特権である。
「育つ」ということばが、それを象徴している。敗北しても敗北しても、あるいは喪失しても喪失しても、決して失われないものがある。






*

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