詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

テリー・ギリアム監督「テリー・ギリアムのドン・キホーテ」(★★★★★)

2020-01-25 19:01:55 | 映画
テリー・ギリアム監督「テリー・ギリアムのドン・キホーテ」(★★★★★)

監督 テリー・ギリアム 出演 アダム・ドライバー、ジョナサン・プライス、ステラン・スカルスガルド

 「ドン・キホーテ」は二重の「誤読」の物語である。「二重の」というのは、騎士道物語の誤読と、現実の誤読ということだが、二重に誤読してしまうと、どちらを誤読したのかわからなくなる。騎士道物語を誤読したために、現実の世界で騎士道を発揮しようとしたのか、現実の世界を誤読したために騎士道精神を実現しようとしたのか。
 しかし、それはどうでもいいことなのだ。
 人間は「誤読」せずにはいられない存在なのである。他人が語ること、他人の行動は、あくまで他人のものであって、私のものではない。私には私のことば、私の現実がある。二つがぶつかったとき、かならず違いがあり、それを乗り越えるためには、いままでとは違うことをしなければならない。だから知らずに間違ってしてしまう誤読は「誤読」ではない。単なる勘違いだ。間違っていると知っていて、なおかつその間違いへ向けて動いていく誤読こそが「誤読」なのである。
 ドン・キホーテ(ハビエル)は「間違い」であることを知っている。それが「物語」なのか「現実」なのか、簡単には言えないが、どちらかが間違っていると知っていて、その間違いのなかへ突入していく。間違いであることを引き受け、間違いの向こう側へ行こうとする。「誤読」しなければ「真実」というものには達することができないと知っているのである。
 さて。
 「間違い(誤読)」を引き受けることだけが「真実」だと知ってしまった人間に何ができるか。
 この問題をテリー・ギリアムは映画づくりとからめてつきつめる。「誤読」を映画にすることで考え始める。映画というものは(あるいは文学というものは、と言ってもいいが)、「現実」ではなく「嘘/虚構」である。いわば「間違い」であり、「誤読」を増幅させたものである。一度、この「誤読」を引き受けてしまったものは、そこからは逃れられない。どこまでも「誤読」を生きるしかない。「わざと」誤読し、「誤読」を語ることで、自分の信じている「真実」に近づくのである。
 それはだれのものでもない。「誤読」を引き受ける人間だけがふれることのできる「真実」である。
 クライマックスの、ドン・キホーテが月へ旅立つシーンが象徴的だ。目隠しをして「偽」の天馬に乗る。まわりでドン・キホーテをたぶらかす人間が冷風を送り、さらに熱風を送る。それにあわせてドン・キホーテは、大気圏を抜け出した、太陽に近づいたと「ことば」を語る。それはもちろん「間違い(現実の誤読)」だが、そのことばを引き出した人間の方はどうか。「現実」を見ているのか。ドン・キホーテのことばにあわせて冷たい体験の外を思い、さらに熱い太陽の近くを思い描く。ドン・キホーテのことばにあわせて「現実」をつくりかえ(捏造し)、その想像力に加担する。このとき「真実」は、どこにあるのか。「真実」とは何なのか。大気圏の外は冷たい、太陽の近くは熱い、というのは「真実」ではないのか。もしそれが真実だとすれば、ドン・キホーテのことばは「真実」にならないか。
 この問題に、簡単に答えを出してしまうことはできない。あるいは意味がない。
 だいたいドン・キホーテが「だまされている」と自覚していないかどうかもわからない。目隠しをするのはなぜなのか。だまされたふりをして、周りの人間をだましているのかもしれない。知っていることを語るため、宇宙の「真実」を語るために、だまされたふりをしているのかもしれない。
 ここに「誤読」のいちばんの醍醐味がある。知らないふり(無知のふり、狂気のふり)をして「真実」を語りたいと欲望しているのかもしれない。言い換えると、ひとは自分の言いたいことを言うためなら、進んで「誤読」をするのである。「誤読」というかたちで、自己主張する(自己実現する)。
 そして、「誤読」は引き継がれていく。「真実」も引き継がれていくが、それ以上に「誤読」が引き継がれていく。だいたい「真実」を引き継ぐというのは「誤読」の最たるものであって、ほんとうは「誤読」しか引き継がれていないのかもしれない。
 セルバンテスの書いた『ドン・キホーテ』は、いまも古典として残っているし、新訳も出たりする。しかしさまざまなドン・キホーテのどれが「真実」と呼べるものなのか、テリー・ギリアムの「誤読」がセルバンテスの考えていた「真実」なのか、だれにもわからない。(小説の「ドン・キホーテ」のなかにさえ、ニセモノの「小説・ドンキホーテ」が出てくる。)読者が、映画を見たひとが、自分に引きつけて「真実」を引き継ぐのである。つまり「誤読」するときだけ、「真実」が引き継がれるのだ。
 ラストシーン。サンチョ・パンサを演じさせられ続けてきたアダム・ドライバーがドン・キホーテになる瞬間、うーん、涙が流れます。スペイン語の簡略版と文庫本で途中までしか読んでいなかったので、感動のあまり牛島信明訳の「ドン・キホーテ」(絶版)を古本で注文してしまった。

(2020年01月25日、ユナイテッドシネマキャナルシテイ、スクリーン11)
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アルメ時代30 盗人猫

2020-01-25 11:50:32 | アルメ時代
30 盗人猫



ときどきまやかしの静寂を披露する
首を伸ばして虚空をみつめる
尻尾で床を磨いているが
動かしている自覚がないので
止めることができない
見られていることには気づかない
何をしていいかわからず
ちょっと爪を研いでみる
きょうの線はきれいに引けたと悦に入る
上調子にひらめいてしまう
おもむろに声を出してみる
「意識はいくつもの層にわかれている
いま引いた一本の線を一つの層と仮定する
もう一つはこれだ
少し離れたところにある
それはけっして交わらない だから
跳びうつる間を測ることが大事なのだ」
とんでもない話だ
いったい何を引用しているつもりなのだ
正確な記憶がないから
脈絡のある話ができないだけなのに
自己弁護を交えてことばをつないで
先手を打ったつもりでいる
思いつくままというやつだ
信用されていないのに
深い感銘を与えたと思い込む
図に乗って先に進む
ごみ箱に足をひっかけたかと思うと
ブロック塀に跳び乗る
だれもあとをつけられないのは
歩みがオリジナルだからだと錯覚してしまう
さらに唐突になって
「ひとつ教えてやろう
芸術とは対象との一定の距離だ
つかず離れず渡り歩くことだ
距離を精密に測れるよう
敏感な髭を生やしたまえ」
昨夜の恋狂いで荒れた声で
どこへでも出入りする
とがめられないのは重要視されていないためだ
という考えは思いつかない
責任がないことを自由と思い込む
無視されたことを受諾と勘違いし
言うだけ言うと離れていく
屋根に移り木に移ろうとするが
自分の話に酔ってしまっているので
爪をひっかけることができない
くるっとまわってアスファルトに落ちる
しかし何が起きたか理解できない
痛さにうめくことがないので
綱渡りをしたという反省がないばかりか
失敗したことに気がつかない
日向をさがしてゆっくりすわる
体をなめまわす
きれいになったところで
集まってきた新入りに話を聞かせる
「恋のために磨くんじゃない
ノミや抜け毛、あらゆる汚れを
のみこみ消化してこそ
しなやかな対応ができるようになる」
だがクロやミケやブチの
垢でしめった耳にはなじまない
目を細めてくすぐったそうな顔をするだけだ
鼻の頭にミルクの滓をつけた奴
帰る場所を知ってる奴だけがニヤリと笑う
「私がきのう読んだ本に
鴎は塩からい魚の肉ばかりで暮らしている
という一行があって笑ってしまった
ほんとうのことはいつでも滑稽だ
あんたの話にはユーモアが欠けるなあ
ホンモノとは言えない
猫をかぶってだれにといりるつもりかな」
しばらく目のなかをのぞきこむが
大きな欠伸をすると首を伸ばして虚空をみつめる
いま聞いた話を聞いてくれる相手を探し始める





(アルメ250 、1987年06月25)
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嵯峨信之『小詩無辺』(1994)を読む(7)

2020-01-25 09:17:04 | 『嵯峨信之全詩集』を読む

青い花

小さな恋ほどの露草の花を
はげしい驟雨がぬらしていつた

 「小さな恋」とは嵯峨の恋。それは「いま」というよりも「記憶」だ。
 その「記憶」を驟雨が激しく濡らして行った、と書くとき、嵯峨の記憶のなかに何が去来しているか。
 「はげしい」と書かずにはいられない何かだ。「はげしさ」が驟雨の形をとったのだ。名詞が修飾されるとき、名詞の意味よりも、修飾語(形容詞)の方に作者の思いがこめられている。形容詞は用言、一種の「動詞」である。用言をつかうとき、つかうひとの肉体は無意識に動いている、と私は感じる。用言に、私の肉体自体が誘われる、と言い直すことができる。







*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
『誤読』販売のページ
定価の下の「注文して製本する」のボタンを押すと購入の手続きが始まります。
私あてにメール(yachisyuso@gmail.com)でも受け付けています。(その場合は多少時間がかかります)
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