詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

山下修子『空席の片隅で』

2020-01-21 09:52:57 | 詩集
山下修子『空席の片隅で』(東夷書房、2018年、06月10日発行)

 山下修子『空席の片隅で』は東日本大震災、東京電力福島第一原発事故のことを書いている。
 どうしても戻ってきて何度も読む行がある。「蝶の浴衣」の中に出てくる。

家はやがて朽ち果て、あたり一帯は荒れ野ではなく、原野と化す。
弘ちゃんの見通しは的確だ。
地図からも、やがては消える。
私は、どんな言葉をかけたらいいのか。それがわからない。
ただただ聞き続け、弘ちゃんの話すその内容を、肯定するだけだ。

 「肯定する」。
 このことばの前で、私は立ち止まる。
 「家はやがて朽ち果て、あたり一体は荒れ野ではなく、原野と化す。」この悲劇を肯定していいはずがない。でも、それでは、どうすればいいのか。
 「わからない」。
 「わからない」から「肯定する」。このときの「肯定する」は「被害者を肯定する」という意味である。生きているその人を「肯定する」、という意味である。
 それ以外の意味を持ちようがない。
 つまり、それ以外にできることはない。

「会いたいなあ、近くに来たら、寄ってね!」

 それはいつのことばだろうか。震災前に聞いた声か、震災後に聞いた声か。答えはあって、答えはない。 
 そして、なかには「肯定できない」こともある。「花は何処」。

交差点の歩道に立って
プラカードを掲げる 午後
悪意の悪罵が 目の前を過ぎて行く
「おまえらは 〇〇かあ--」
〇〇は □□の場合もあれば
△△のこともある
週に一度の立ちんぼは 一時間

 罵声を浴びせていくひと。その「批判(声)」を「肯定する」ことなどできない。でも、山下は反論を書いていない。書かなくても、この詩を読むひとに反論がわかるからか。そうなのかもしれない。しかし、私は少し違うことを考える。
 山下は、浴びせられた声を「批判」はしない。いや、批判はするが、そこに生きている人間を「否定しない」。生きている、ということを「肯定する」。それが、たとえ自分の思いと違っていても。
 「蝶の浴衣」に戻ってみる。

家はやがて朽ち果て、あたり一体は荒れ野ではなく、原野と化す。

 こういう状況を「肯定する」ことはできない。しかし、それを否定し、次に進むためには、いま、こういうことが起きているということを「肯定する」ということろから出発するしかない。
 事実がある。
 事実を見ないことには、どこにもゆけない。
 山下のいう「肯定する」は「事実の存在を認める」ということである。「存在」を認識するということである。

 私たちは、どこまで「事実の存在」と向き合うことができるか。
 「蝶の浴衣」には、こういう部分もある。「弘ちゃん」を訊ねてゆく。だが、返答がない。

「もう一度、呼び鈴をおしてみたら?」

 しかし、その部屋は静まり返っている。何の音もしない。このところ具合が悪く、塞ぎ込んでいると言っていた。人に会ったり出かけたりも面倒。気持ちに張りを持てないとも。だから、予感はあった。多分、訪ねても無理だろうと・・・・。実は、私にもそういう時期があった。在宅でも居留守はあり、なのだ。

 「肯定する」は「受け入れる」ということである。
 もちろん「受け入れる」ことのできないものもある。あるけれど、それを「否定する」だけでは何かがこぼれおちていく。
 複雑な気持ち、の複雑さがこぼれ落ちていく。
 山下は、そのこぼれ落ちそうなものの、傍に寄り添っている。「肯定する」は、「寄り添う」ということでもあるのだ。









*

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嵯峨信之『小詩無辺』(1994)を読む(3)

2020-01-21 08:49:31 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
                         2020年01月21日(火曜日)



皺一つない告白

 「泉」は港の比喩か。
 「告白」を「皺一つない」と修飾する。このとき「告白」ということばが微妙に動く。そうか、「告白」というのは何かしらの「皺」を持っているのが普通なのか。「皺」は何かを隠したためにできる「乱れ」のようなものだろう。
 そこに書かれているのが「皺一つない」なのに、想像力に迫ってくるのは「皺」の「意味」である。「皺」が比喩になっている。
 ここには比喩がもう一度比喩になるという不思議な運動がある。「港」というタイトルを忘れてしまいそうだ。







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