詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

三角みづ紀「パプリカミュージアム」

2020-01-04 10:24:04 | 詩(雑誌・同人誌)
三角みづ紀「パプリカミュージアム」(「現代詩手帖」2020年01月号)

 三角みづ紀「パプリカミュージアム」はセルビアに滞在したときの詩である。三角は市場と出会う。彼女を引きつけたものはパプリカである。

粉になっているもの
ペーストになっているもの
赤いものたち

それを ください
もっと 少しだけ

赤いビニール袋をさげて
私たちは帰路につく
市場の匂いが
衣類にまとわりついて
それ以上に
パプリカの赤が
この土地に染みている

その赤は血ですか
ニイハオと声をかけられる
こんにちはと返す

中身はみんな赤いのだから
みんな同じひとりのひとだ

 池井の書いている「ほんとう」と重なるものを感じた。三角は「ほんとう」とは書かずに「みんな同じ」と書く。「根源」という意味である。そして、それは「一」という意味でもある。
 根源は「一」。そこからさまざまなものが生まれてくる。それら違って見える。「すき」に見えるときもあれば、「すきじゃない」に見えるときもある。池井は、その区別を、区別がないところまでさかのぼって、そこから「すき」を選びとって、「ひらく」という動詞になってほしいと呼びかけていた。
 三角は、あるひとはたまたま「ニイハオ」という挨拶になり、三角は「こんにちは」という挨拶になるが、根源はひとにであったら挨拶するという「ひとつ」の運動であることを知る。そしてその「ひとつ」を「ひとり」ととらえなおす。「ひと」ととらえなおす。この根源としての「一」からは、もちろん「ボン・ディア(ブエノス・ディアス)」としいさつする「ひとり」も生まれてくる。
 そして、私が最後に書いた「ひとり」はスペインの土地ともつながる。「みんな同じ」は「ひと」だけではないのだ。パプリカも土地も同じ「一」から生まれてくる。だからこそ三角は、

パプリカの赤が
この土地に染みている

 と書くのだが、これは土地の赤がパプリカの赤に結実しているということと同じである。すべては往復する。あるいは循環する。というよりも、「一」(ほんとう)のなかへ帰りながら、ふたたびかたちあるものとして生まれなおす。
 この最初の一歩を三角は「返す」という動詞で肉体にしみこませている。思想にしている。






*

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嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(60)

2020-01-04 09:24:22 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (走りながら見たどこかの薔薇の花だろう)

 薔薇の花から過去を思い出している。「薔薇」を思い出しているのか。あるいは、そのときの自分を思い出しているのか。しかし、「走りながら」を思い出しているか、「見た」を思い出しているのか、区別することは難しい。
 思い出すということは誰もがするが、何を思い出しているのか、それを特定することは難しい。
 なぜか。

やすらかな小径が その横を通つていたのだろう

 想像が含まれるからである。そして、ほんとうに思い出したいのは、その「想像」ということもある。欲望、本能は、事実を勝手に動かしてしまう。真実を求めるのだ。









*

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