詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(59)

2020-01-03 20:08:57 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (指で輪をつくると)

梅雨晴れの青空がその円のなかを通りぬけていつた

 これは不思議なイメージだ。指でつくる輪は青空よりも小さい。その小さな円のなかを巨大な青空が通り抜ける。空ではなく「青」が通り抜けたのかも。

その夜は果樹園のような星空だった

 円を通り抜けた青が、その無数のその小さな「穴」が星になって光っている。そんなふうに読んでみる。



*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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池井昌樹「ひらいて」

2020-01-03 12:34:16 | 詩(雑誌・同人誌)
池井昌樹「ひらいて」(「現代詩手帖」2020年01月号)

 池井昌樹「ひらいて」は、こう始まる。

そっとしていて
すきじゃないなら
そんなかおして
そばにこないで

そっとしていて
すきならば
いつもだまって
そばにいて

 「すきじゃないなら」「すきならば」と反対の「意味」のことばが、この二連を対にする。そして書き出しの「そっとしていて」に意味の違いをつけくわえる。それは「そばにこないで」と「そばにいて」という違った動きを誘う。
 ここに「詩」があるのか。
 いや、ここにあるのは「意味」ではないのか。
 言い換えると、ここに感じる何かというのは「散文」の論理ではないか。
 谷川、天沢の作品とつづけて読むと、そのあたりが微妙になる。

 一連目、なぜ「そっとしていて」「そばにこないで」と言ったのか。二連目の「そっとしていて」「そばにいて」を言いたいからだ。
 ここにあるのは「意味」ではなく、「意味」を否定する「矛盾」である。だから、それが「詩」なのだと言える。
 「矛盾」をくぐりぬけることで、「矛盾」を超えるものが生まれてくる。

そっとしていて
おねがいだから
でもほんとうに
すきならば

そっとしないで
かたくなな
わたしたち
ひとのこころを

いちどだけでも
そっとひらいて

 「そっとしていて」は「そっとしないで」にかわる。この展開は、いわば矛盾を超えていく弁証法である。止揚、ということになる。
 閉ざした「かたくなな」「こころ」を「そっとひらいて」。
 最後の一行で「していて」が「ひらいて」に変わる。
 止揚の瞬間、動詞が「そっとしている」から「そっとひらく」へと、完全に別なものになる。
 この「異質」への変化が「詩」か。
 そう言えるかもしれない。
 でも、これではありまにも「散文的」な「意味」の読み方の内におさまってしまう。つまり「論理」になりすぎてしまう。「論理としての詩」。
 これでは、「数学」である。ことばの「数学」。

 この「数学」としての詩から、池井は何を言いたいのだろうか。つまり「論理」ではない何を言いたいのだろうか。

そっとしていて
おねがいだから
でもほんとうに
すきならば

 この連に出てきた「ほうとう(に)」が池井の見つめているものである。
 ひとはどんなふうにも動く。「そばにいて」「そばにこないで」。どちらもできる。どちらも「そっとしている」ことができる。外から眺めれば、どちらも同じ「かたち」をしてる。同じかたちのものが、違う「意味」を持つことができる。
 「違う」は「間違う」でもある。
 「間違えた」なら「間違い」を正さないといけない。それは「ほうとう」へ帰るというかたちでしか正せない。
 人間が帰る場所としての「ほんとう」を池井は見つめている。

 「ほんとう」は池井のこの詩のキーワードである。「ほんとう」ということばが書かれなかったから、この詩は成り立たない。




*

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estoy loco por espana (番外45)Pedro Taracena の写真(白樺の林)

2020-01-03 12:21:15 | estoy loco por espana


感想を書きたいが、ことばが出てこない。
世界を見た瞬間の驚きが、ここにある。
一瞬、私はどこにいるのか忘れる。
しかし、ここに世界があるというと確信する。

このとき、私は、何なのか。
一本の木か。林か。
そこにひろがる空気か。
光か。
鳥か。

巨大な沈黙がある。
だれもまだ何も語ることを知らない沈黙がある。

quiero escribir una impresion, pero las palabras no salen.
aqui esta la sorpresa del momento en que vo el mundo.
por un momento, olvido donde estoy.
pero estoy convencido de que el mundo esta aquí.

en este momento,
que soy yo, quie soy yo?
un arbol? un lin?
o el aire que se extiende allí?
luz?
un pajaro?

hay un gran silencio.
hay silencio que nadie sabe aun nada que decir.

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