詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

アルメ時代22 壊れた木の椅子を分類する

2020-01-06 22:00:04 | アルメ時代
22 壊れた木の椅子を分類する



   1
 懐疑に属するもの/曲線の輝き。まがるとき、一本の直線がもちはじめる艶。ひめられた水分が浮きでて、静かに広がっていく時間を、埋めるように満ちてくるあつい息。男は木をまげながら、思い出す。ある日、同質のものを女の体に見たことがある。女もまた直線から曲線へ変形していく生き物であるか。(これは視覚から出発し、見ることを放棄した精神、あるいは不在を透視する精神の領域に属することがらでもある。)

   2
 仮説に属するもの/しなる曲線のなかで用意される抵抗。抵抗のなかで用意される亀裂。復元を願うものと復元を拒むものが同じひとつの名で呼ばれる。抵抗--それはひとつの意志である。模索する男は、美しさはすべてその仮説からはじまることを知る。(これは触覚、体験の領域と重なりながらはみだした場所で明らかにされることである。あるいは突然の破壊にはじきかえされる予感のなかにのみ訪れるものであるか。)

   3
 独断に属するもの/たわむ存在であろうとするものを、ねじれた状態ととらえなおす男の網膜。しなやかさを生きる弾力を、不徹底な構造と見る男の触覚。内部に分け入り、力を分類し、鍛え、整えなおそうとする男の筋肉。(これらは虚無に属する力の差用である。存在を価値でとらえなおすのは誤った哲学である。想像力が不気味なのは、優しさが含まれているからであることを忘れた男の方法である--と女は言った。)

   4
 秩序に属するもの/濃密なニスのにおいを破ってあらわれる色。偶然の冬、断念の弱い光。どこにでもある符号が密接さを生成するとき、男の視覚をかすめるのは女である。この必然は失なわれたとき確実になる。(しかし、これは主観に属するものと呼ばれることもある。何に最初に触れたかによって自在に変形していく物語、あるいはどの領域に引き寄せるかで決定されることだからである。)




(アルメ244 、1986年09月25日)
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estoy loco por espana (番外46)Joaquinの作品

2020-01-06 10:38:42 | estoy loco por espana


想像力の海を泳ぐイルカ。
イルカが泳ぐと、その前に静かな水面が広がる。
いまは夜。
水面には見えない星が映っている。
イルカと海と星はひとつになっている。


Un delfin nada en el mar de la imaginacion.
al nadar el delfines nadan, se extiendan las tranquilas aguas antes de el.
ahora es de noche.
una estrella invisible se refleja en la superficie del mar.
el delfin, el mar y la estrella estan unidos.
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嵯峨信之『OB抒情歌』(1988)(62)

2020-01-06 00:00:00 | 『嵯峨信之全詩集』を読む
* (山陽の夢まどかなれ--)

わたしは東京行特急に乗つている女に電報を打つてきたばかりだ

 「山陽」は山陽線ということか。このとき「わたし」はどこにいるのか。東京にいるときも、「東京行特急」というかどうか、私は、首を傾げてしまう。
 そして、ここに「九州弁」を感じるのは私だけだろうか。
 嵯峨は宮崎県の出身。詩は共通語で書かれ特に「九州弁」というものは見当たらないのだが、この「東京行」にそれを感じた。
 私の感じでは九州のことばは「起点」が必ずしも「自分」にない。主観的ではない。奇妙に客観的なときがある。たとえば10時50分を、英語のように「11時前10分」というような言い方をする人がいる。共通語なら「11時10分前」だろう。そしてこのときは共通語は「11時」が強調されるのだが、こういう「強調(主観)」を好まない風潮があるように思う。
 さて、問題の一行。

私は特急で東京へ向かつてきている(来る)女に電報を打つてきたばかりだ

 私が東京にいるなら、そういう表現にしないと、落ち着かない。「東京行特急」では、私は山陽線よりももっと西、つまり九州(宮崎)かどこかにいることになる。

 この詩のつづきは、

野原にむかつてわたしは七面鳥を放ちたい
それはラジオの声がはげしい風圧に弓なりにしなつて
窓からとびこんできたためではなく
夕日が寒暖計工場の上を通つているためでもない

 と奇妙なことばの動きをするのだが、それが「東京行特急」にも反映されているとは考えにくい。

 これは私だけの感覚かもしれないけれど、すこし気になった。





*

詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
オンデマンドで販売しています。100ページ。1500円(送料250円)
『誤読』販売のページ
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私あてにメール(yachisyuso@gmail.com)でも受け付けています。(その場合は多少時間がかかります)
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