とうてつ「走る名」ほか(「現代詩手帖」2021年06月号)
「現代詩手帖」の「新人作品」の選者が交代した。06月号から小池昌代と岡本啓。一回目の「選考」。
とうてつ「走る名」、張文経「にているものたち」、羽田野新「還元・再構成「家族」」と読み進み、私は、非常にとまどった。(張文経の「経」は正字だが、私のワープロは正字をもっていないので、通用字体で代用した。)
何にとまどったかというと、区別がつかない。内容も、文体も違うはずなのだけれど、とても似ている。それぞれの作品に「署名」がなければ、私はひとりの作品と思って読んだかもしれない。
どこが似ているか。その具体的な指摘はむずかしいのだが。
とうてつ「走る名」を読んでみる。
ハレルヤ
馬の名前なんて知らない
乗るのは
初めてではないが
「馬の名前」は二通り読むことができる。馬の種類の名前。たとえば、サラブレッド、アラビア馬……。もうひとつは馬一頭ずつの名前。ハイセイコー、ディープインパクト……。とうてつはたぶん後者の意味でつかっている。「走る名」は「走る馬の名」と読むことができる。名前を知らなくても、人間は馬に乗ることはできる。しかし、名前を知っていると知らないでは、「乗り方」がかわってくる。「名前」を知っているということは、それは自分ではないと知ることだが、同時に自分ではないがゆえに自分といま密接な関係を持っていると知ることでもある。密生な関係、親密な関係であるからこそ、「名前」でその存在を明確に把握する。「名前」を意識するとき、そこには無意識の一体感がある。嫌いなひとであっても(馬であっても)、「名前」を意識するとその存在が自分にかかわってくる。
とうてつの詩には「奥武島に住む大城さん」という固有名詞が出てくる。一方、「名前を忘れてしまった先生」も出てくる。その中間項(?)の存在として、「馬」がいる。「名前」をまだ知らない。でも、知りたいと思っている。
詩の最後の連。
卒業生に
花束を渡しに生徒が予定通り走り出して
その隙に
幸福も絶望もただでは済まない
そんなことはわかっている
わたしの乗っている
馬の名前はなんですか
知ってどうなるわけではないが、というわけではない。たしかにかわるのだ。知った瞬間に、「馬」は「わたし」にとってかけがえのないものになるのだ。たとえば「奥武島に住む大城さん」になるのである。
問題は。
なぜ、とうてつは、名前を知ったあとの「馬」を書かないか、である。「名前」を知る前の「馬」と自分との関係を、「奥武島に住む大城さん」「名前を忘れてしまった先生」を引き合いに出して書くかということである。
ここには何か、奇妙な「回避」がある。「回避」されているものを、書かれていないものを、たぐりよせて書こうとする矛盾のようなものが書かれている。変な言い方だが。たぶん、これを、書こうとして書けないものをたぐりよせ、ことばにすることが詩であると定義しなおせば、この詩を「入選」として選んだ小池、岡本の意識につながるか。小池も岡本も、書こうとして書けないものに向き合い、それをたぐりよせ、ことばにしようとしている作品に現代性を感じているのだろう。
張文経「にているものたち」は、ずーっと一般名詞を書いたあとで(たとえていえば、「馬」あるいは「サラブレッド」と書いたあとで)、「すべての人の子の名前」という一行が出てくる。これは「固有名詞」のようであって、「すべて」がつくことで逆に「ひとりひとり」が消えて「群」になってしまっている。そういうことを書いたあとで、
ぼく、に似た
いなくなれない ひとが言うとき
また待つことをはじめる
いる、いない
をひとつにする
空のことば、といき、に
ふれる
「いなくなれない」「いる、いない/をひとつにする」が象徴的である。ひとつにするのは「空らことば、といき」そのものではなく、そういうことばをひきよせる張自身である。そして「ひとつにする」ではなく「「ひとつになる」とき、張は「いなくなる」ことができる。
とうてつは「わたしの乗っている/馬の名前はなんですか」と詩をしめくくっているが、その静かな疑問は、「わたしの名前を知っていますか」というかなしい叫びというよりも、馬の名がなきらかになったとき、「わたし」は「〇〇という名の馬に乗った人間」といして名前を消せるのだ。自分に最初からついている名前を消して、(その自分をいない状態にして)、新しくひとと出会いなおすことができる。そういう屈折した欲望、何か人間本来がもっている欲望とは逆の、矛盾した感情がここにあるように思える。
羽田野の作品は「父」「母」「姉」という二行ずつ減っていく断片で構成されているが、「父」「母」「姉」は入れ替えが可能に見える。つまり、それは「父」「母」「姉」ではなく、あくまでも羽田野の別の「名前(呼称)」にすぎない。
「固有名詞」として確立されていない「わたし(自己)」を、「固有名詞」は持たないが一般名詞(概念)を持った存在の「名前(固有名詞)」を問うことを通して、まさぐっている。そういうことばの運動として読むと、三人の作品は、まったく同じものに見えてしまう。
概念と戦う「固有名詞という概念」の自己主張、自己拡張の運動。概念体としての自己確立の運動というよりも、固有名詞を他者にあずけ、無名(一般名詞)をめざすうん象。そして、共存。
これは、なんとういか、鈴木志郎康がやっていたこととは、まったく逆だね。鈴木は「プアプア」という「固有名詞」を確立した上で自己拡張をめざした。概念(一般名詞)と闘い、それを個人のものとして所有するには、まず自己という肉体がないといけない。これが半世紀(それ以上になるのかも)前の詩のことばだとすれば、いま、ひろく試みられているのは、とても抽象的だ。「肉体」をもたない運動のように見える。「肉体/固体」を消す運動、その敬したによって個性的であろうとしている。しかし、この個性(固有性)は、あまりにも「抽象的」だ。そのため、とても似ていると感じてしまう。たまたまかもしれないが。
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