石毛拓郎「コーヒールンバ異聞」(「飛脚」28、2021年05月10日発行)
石毛拓郎「コーヒールンバ異聞」は「新作」ではない。末尾に「自薦詩篇(2021・5・5改作、再録)」という注がついている。書き出しには「……2011・7・10 むかしアラブの偉いお坊さんが……で始まる「愛の歌」にも、死の灰は降り積もる。」という注がついている。「コーヒールンバ」を知らないひとがいる時代だから。あるいは、その歌を知っている人の方が少ないかも。
さーあて そのリズムは
小鳥のさえずりではない
そうとも そのメロディーは
野草の悲鳴でもない
あそこで 自販機がうたっている
さーあて。
この詩の感想はむずかしい。
書き出しの注釈からわかるように、東日本大震災の被災地に、自販機がある。その自販機から「コーヒールンバ」の曲が流れてくる。これを、どうつかみ取るか。
石毛は「リズム」と書いている。それから「メロディー」と書いている。そのあとに「自販機」ということばが出てくる。その「自販機」ということばのリズム。そしてメロディー(旋律)。石毛が意識しているかどうかはわからないが、「自動販売機」を「自販機」というときのリズム。私は、そこに、奇妙な「違和感」を覚える。実を言うと、私は「自販機」ということばが嫌いなのだ。だから「違和感」を覚えるのだと思う。なぜ嫌いかというと、ことばが軽いからだ。
私はあるとき、若者が(私より若いというだけのことだが)、ラブホテルを「ラブホ」と言っているのを聞いたとき、やはり何とも言えないいやな感じを覚えた。「実態」がない、という感じ。「自販機」も、私には「実態」がない存在に聞こえるのである。
そこにあるのに、「実態」がない。逆に言えば「ことば」だけがある。しかも、その「ことば」は「記号」なのだ。
「存在」というよりも「ことば」の「記号化」が進んでいる、と私は感じてしまう。「記号化」することで、軽くなる。情報処理が早くなる。そして処理された情報だけが反乱し、その出発点にある「実態」が希薄化する。見えなくなる。そういうことが起きていると思う。
それが、被災地の「自動販売機」でも起きている。「自動販売機」が「自販機」になるように、東日本大震災、東京電力福島原発事故が「3・11」という記号の下に隠されてしまう。
石毛の詩は、そういうことを書いているわけではないが、私は、そういうふうに読んでしまう。2011年ではなく、2021年だから、そう感じるのかもしれない。「事実」の記号化が進んだ。これを事実の風化が進んだと言い直すこともできるかもしれない。その「記号化」した「3・11」のなかで、「自販機」が「コーヒールンバ」を歌っている。
だーれも いない
瓦礫の片隅で
歌詞のないうたを うたっている
軽快なリズム
ここちよく ながれるメロディー
だーれも いない
瓦礫の片隅で
自販機がひとりで うたっている
蛍光電飾が
哮哮と 夕暮れにきらめいて
「だーれも いない/瓦礫の片隅で/歌詞のないうたを うたっている」同じことばが繰り返され、繰り返したあと違うことばがかわる。「軽快なリズム/ここちよく ながれるメロディー」が「蛍光電飾が/哮哮と 夕暮れにきらめいて」にかわる。
この変化に触れた瞬間、私は見てはいけないものを見てしまったような気になる。「ラブホ」と聞いて、聞いてはいけなかったものを聞いたのとは逆の気持ち。「記号」ではなく、「記号化」を拒んでいるものがそこにある、それを見せつけられた気持ち。
この書き方は矛盾している。
ほんとうは、それを見逃してはいけない。だから、これこそ見たかったものだ、というのが「正しい」感想なのかもしれないが、私は「3・11」という記号に支配されてしまっていて、見なければならないものなのに、見てはいけないものを見たと感じるようになってしまっている。その、いやな感じが、そこに含まれているために、こんな書き方になるのだろう。
「蛍光電飾」「哮哮」。いまどき、だれが、こんなことばをつかうか。つかわない。だからこそ、それは「記号」ではないのだ。それはあえて言えば、石毛の「肉体(欲望/あるいは本能)」である。剥き出しの、醜い裸である。ことばにし、世界に存在させたもの、それはすべて「石毛の肉体」である。だから「自販機」も「石毛の肉体」なのだが、その「石毛の肉体」のなかで「リズム」「メロディー」「自販機」と「蛍光電飾」「哮哮」がぶつかりあっている。
それは、さらにこうかわっていく。
異国の軽快なうた コーヒールンバ
うたって ごらん
自販機 変奏コーヒールンバ
瓦礫の山に こだまする
ニヒルな愛のうた
遠く崩れ落ちた 原発建屋がみえる
子どものあそぶ 声もない
理不尽な寂寥 コーヒールンバ
だれも通わぬ 瓦礫砂漠
異彩を放つ コーヒールンバ
瓦礫の片隅で
自販機は ただひとり
うたを うたっている
そこだけが やけに明るい
コーヒールンバ!
アラブの砂漠。石油の宝庫。原発の反対側(?)にあるもの。そしてコーヒールンバ。そういうものも意識されているか。
ことば(意味)はいつでも「後出しじゃんけん」のように、テキトウに変えることができる。感想と言おうが、批評と言おうが、大差はない。だから、私はいつでも「後出しじゃんけん」を叩き壊すために、また別の詩の感想を書く。感想を「意味」に閉じ込めたくない。
その曲が「コーヒールンバ」とわかったとき、石毛は何を思ったか。それはわからない。けれど、過去に聞いたことがある、その曲を知っているということだけは確かである。その自分が知っている「確かなもの」を頼りに、いまおきている「記号化」を叩き壊さなければならない。「3・11」の記号化の動きを叩き壊さなければならない。
いま、この詩から、私が感じるのは、そういうことだ。
そして、この安直な感想も、絶対に叩き壊さなければならない。
私は感想で何が書いたのか。きっと他人には、わからないだろうなあ。でも、書いておきたいことなのである。
**********************************************************************
★「詩はどこにあるか」オンライン講座★
メール、skypeを使っての「現代詩オンライン講座」です。
メール(宛て先=yachisyuso@gmail.com)で作品を送ってください。
詩への感想、推敲のヒントをメール、skypeでお伝えします。
★メール講座★
随時受け付け。
週1篇、月4篇以内。
料金は1篇(40字×20行以内、1000円)
(20行を超える場合は、40行まで2000円、60行まで3000円、20行ごとに1000円追加)
1週間以内に、講評を返信します。
講評後の、質問などのやりとりは、1回につき500円。
(郵便でも受け付けます。郵便の場合は、返信用の封筒を同封してください。)
★skype講座★
随時受け付け。ただし、予約制(午後10時-11時が基本)。
週1篇40行以内、月4篇以内。
1回30分、1000円。
メール送信の際、対話希望日、希望時間をお書きください。折り返し、対話可能日をお知らせします。
費用は月末に 1か月分を指定口座(返信の際、お知らせします)に振り込んでください。
作品は、A判サイズのワード文書でお送りください。
少なくとも月1篇は送信してください。
お申し込み・問い合わせは、
yachisyuso@gmail.com
また朝日カルチャーセンター福岡でも、講座を開いています。
毎月第1、第3月曜日13時-14時30分。
〒812-0011 福岡県福岡市博多区博多駅前2-1-1
電話 092-431-7751 / FAX 092-412-8571
**********************************************************************
「詩はどこにあるか」2021年5月号を発売中です。
137ページ、1750円(税、送料別)
オンデマンド出版です。発注から1週間-10日ほどでお手許に届きます。
リンク先をクリックして、「製本のご注文はこちら」のボタンを押すと、購入フォームが開きます。
<a href="https://www.seichoku.com/item/DS2001411">https://www.seichoku.com/item/DS2001411</a>
*
オンデマンドで以下の本を発売中です。
(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料別)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072512
(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料別)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073009
(3)評論『高橋睦郎「深きより」を読む』76ページ。1100円(送料別)
詩集の全編について批評しています。
https://www.seichoku.com/item/DS2000349
(4)評論『高橋睦郎「つい昨日のこと」を読む』314ページ。2500円(送料別)
2018年の話題の詩集の全編を批評しています。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168074804
(5)評論『ことばと沈黙、沈黙と音楽』190ページ。2000円(送料別)
『聴くと聞こえる』についての批評をまとめたものです。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168073455
(6)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料別)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
https://www.seichoku.com/user_data/booksale.php?id=168072977
問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com