詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

石毛拓郎「コーヒールンバ異聞」

2021-06-03 21:17:54 | 詩(雑誌・同人誌)

石毛拓郎「コーヒールンバ異聞」(「飛脚」28、2021年05月10日発行)

 石毛拓郎「コーヒールンバ異聞」は「新作」ではない。末尾に「自薦詩篇(2021・5・5改作、再録)」という注がついている。書き出しには「……2011・7・10 むかしアラブの偉いお坊さんが……で始まる「愛の歌」にも、死の灰は降り積もる。」という注がついている。「コーヒールンバ」を知らないひとがいる時代だから。あるいは、その歌を知っている人の方が少ないかも。

  さーあて そのリズムは
  小鳥のさえずりではない
  そうとも そのメロディーは
  野草の悲鳴でもない
  あそこで 自販機がうたっている

 さーあて。
 この詩の感想はむずかしい。
 書き出しの注釈からわかるように、東日本大震災の被災地に、自販機がある。その自販機から「コーヒールンバ」の曲が流れてくる。これを、どうつかみ取るか。
 石毛は「リズム」と書いている。それから「メロディー」と書いている。そのあとに「自販機」ということばが出てくる。その「自販機」ということばのリズム。そしてメロディー(旋律)。石毛が意識しているかどうかはわからないが、「自動販売機」を「自販機」というときのリズム。私は、そこに、奇妙な「違和感」を覚える。実を言うと、私は「自販機」ということばが嫌いなのだ。だから「違和感」を覚えるのだと思う。なぜ嫌いかというと、ことばが軽いからだ。
 私はあるとき、若者が(私より若いというだけのことだが)、ラブホテルを「ラブホ」と言っているのを聞いたとき、やはり何とも言えないいやな感じを覚えた。「実態」がない、という感じ。「自販機」も、私には「実態」がない存在に聞こえるのである。
 そこにあるのに、「実態」がない。逆に言えば「ことば」だけがある。しかも、その「ことば」は「記号」なのだ。
 「存在」というよりも「ことば」の「記号化」が進んでいる、と私は感じてしまう。「記号化」することで、軽くなる。情報処理が早くなる。そして処理された情報だけが反乱し、その出発点にある「実態」が希薄化する。見えなくなる。そういうことが起きていると思う。
 それが、被災地の「自動販売機」でも起きている。「自動販売機」が「自販機」になるように、東日本大震災、東京電力福島原発事故が「3・11」という記号の下に隠されてしまう。
 石毛の詩は、そういうことを書いているわけではないが、私は、そういうふうに読んでしまう。2011年ではなく、2021年だから、そう感じるのかもしれない。「事実」の記号化が進んだ。これを事実の風化が進んだと言い直すこともできるかもしれない。その「記号化」した「3・11」のなかで、「自販機」が「コーヒールンバ」を歌っている。

  だーれも いない
  瓦礫の片隅で
  歌詞のないうたを うたっている
  軽快なリズム
  ここちよく ながれるメロディー

  だーれも いない
  瓦礫の片隅で
  自販機がひとりで うたっている
  蛍光電飾が
  哮哮と 夕暮れにきらめいて

 「だーれも いない/瓦礫の片隅で/歌詞のないうたを うたっている」同じことばが繰り返され、繰り返したあと違うことばがかわる。「軽快なリズム/ここちよく ながれるメロディー」が「蛍光電飾が/哮哮と 夕暮れにきらめいて」にかわる。
 この変化に触れた瞬間、私は見てはいけないものを見てしまったような気になる。「ラブホ」と聞いて、聞いてはいけなかったものを聞いたのとは逆の気持ち。「記号」ではなく、「記号化」を拒んでいるものがそこにある、それを見せつけられた気持ち。
 この書き方は矛盾している。
 ほんとうは、それを見逃してはいけない。だから、これこそ見たかったものだ、というのが「正しい」感想なのかもしれないが、私は「3・11」という記号に支配されてしまっていて、見なければならないものなのに、見てはいけないものを見たと感じるようになってしまっている。その、いやな感じが、そこに含まれているために、こんな書き方になるのだろう。
 「蛍光電飾」「哮哮」。いまどき、だれが、こんなことばをつかうか。つかわない。だからこそ、それは「記号」ではないのだ。それはあえて言えば、石毛の「肉体(欲望/あるいは本能)」である。剥き出しの、醜い裸である。ことばにし、世界に存在させたもの、それはすべて「石毛の肉体」である。だから「自販機」も「石毛の肉体」なのだが、その「石毛の肉体」のなかで「リズム」「メロディー」「自販機」と「蛍光電飾」「哮哮」がぶつかりあっている。
 それは、さらにこうかわっていく。

  異国の軽快なうた コーヒールンバ
  うたって ごらん
  自販機 変奏コーヒールンバ
  瓦礫の山に こだまする
  ニヒルな愛のうた

  遠く崩れ落ちた 原発建屋がみえる
  子どものあそぶ 声もない
  理不尽な寂寥 コーヒールンバ
  だれも通わぬ 瓦礫砂漠
  異彩を放つ コーヒールンバ

  瓦礫の片隅で
  自販機は ただひとり
  うたを うたっている
  そこだけが やけに明るい
  コーヒールンバ!

 アラブの砂漠。石油の宝庫。原発の反対側(?)にあるもの。そしてコーヒールンバ。そういうものも意識されているか。
 ことば(意味)はいつでも「後出しじゃんけん」のように、テキトウに変えることができる。感想と言おうが、批評と言おうが、大差はない。だから、私はいつでも「後出しじゃんけん」を叩き壊すために、また別の詩の感想を書く。感想を「意味」に閉じ込めたくない。
 その曲が「コーヒールンバ」とわかったとき、石毛は何を思ったか。それはわからない。けれど、過去に聞いたことがある、その曲を知っているということだけは確かである。その自分が知っている「確かなもの」を頼りに、いまおきている「記号化」を叩き壊さなければならない。「3・11」の記号化の動きを叩き壊さなければならない。
 いま、この詩から、私が感じるのは、そういうことだ。
 そして、この安直な感想も、絶対に叩き壊さなければならない。

 私は感想で何が書いたのか。きっと他人には、わからないだろうなあ。でも、書いておきたいことなのである。

 


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