詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

サミットへの疑問

2021-06-15 18:59:11 | 自民党憲法改正草案を読む
サミット報道で、どうにもわからないことがある。
中国、ロシア、北朝鮮、ミャンマー、イランを名指しで取り上げるのなら、なぜ、イスラエルを名指しで取り上げないのか。
このことからだけでも、サミットが結局「アメリカ中心」(アメリカの世界戦略中心)であることがわかる。
読売新聞の報道によれば、バイデンは会見で「米国は価値観を共有する国々と、世界をリードする仕事に戻ってきた」と言っている。
これは「アメリカの価値観を世界に広める、アメリカの価値観以外の存在を封じ込める」である。
その象徴的な仕事が、台湾のアメリカ化である。台湾を中国から切り離し、アメリカの最前線基地にするということだろう。
民主主義の基本は、どんな意見も排除しないということにあるはずだ。
そのどんなことにもには「共産主義」も含めないといけない。
バイデンがほんとうに世界のリーダーだと言うのなら、「米国は、あらゆる価値観をもった国々との共存を目指すという仕事に戻ってきた」と言わないといけない。
サミットではコロナ対策が議題になったが、このコロナが象徴している世界の問題はひとつ。コロナウィルスは民主主義、共産主義(アメリカか、中国か)を気にしないということだ。
コロナの時代だからこそ、民主主義、共産主義の「わく」を超えて、人類が共存する方法を探る、それを実現するための「リーダー」が必要なのに、バイデンのやっていることはまったく逆のことである。
私は、一部の報道しか読んでいないが、どうにも「人類共存」へ向けての動きが提言されているようには見えない。
こんなことでいいのだろうか。
菅が懸命になって売り込んだ東京オリンピックについて「新型コロナに打ち勝つ世界の団結の象徴として、安全・安心な形で2020年東京五輪・パラリンピック大会を開催することに対する我々の支持を改めて表明する」というのだけれど、「団結」の一方で、ある国々を「排除」していては、意味がないだろう。
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金永郎『金永郎詩集』

2021-06-15 00:00:01 | 詩集

 

金永郎『金永郎詩集』(韓成禮・訳)(新・世界現代詩文庫)(土曜美術社出版販売、2019年10月31日発行)

 『金永郎詩集』を読み始めてすぐ気づくことがある。短い詩なのだが、繰り返しが多い。

  私は目を閉じた 閉じた                 (丘に仰向けになって)

  ウグイス たった二羽 たった二羽のようだ (だれの眼差しに射られたのでしょう)

 これはなぜなんだろう。
 よくわからない。
 ところが、「牡丹雪」。

  風の吹くままに訪ねて行くでしょう
  流れるままに契りを交わしたあなただから
  もしや! もしや! と耳を澄ましたのが
  愚かだとは酷いですね

  目張り紙の悲しみに身がしびれ
  降る牡丹雪に胸が張り裂け
  甲斐がない! 甲斐がない! 知らないはずはないのに
  私に愚かだとは酷いですね

 この「もしや! もしや!」「甲斐がない! 甲斐がない!」は痛切に迫ってくる。男がもう一度会いに来てくれることを願いながら、それを伝えることができずに、苦しんでいる。その苦しみは「声」にならずに、「胸の中での叫び」として迫ってくる。胸の中で、喉が破れるくらいの大声で「もしや! もしや!」「甲斐がない! 甲斐がない!」と叫んでいる。
 そして、その「叫び(大声)」は、「声」になることもできない思いを隠している。というか、それ以外のことばになりようがないのだ。思いはもっともっとある。しかし、ことばになるのは、それだけなのだ。だから、それを繰り返す。一度では足りない。ほんとうは、もっと言いたいことがある。
 全ての繰り返しがそうだとは言わないが、この「牡丹雪」では、そういう印象が強い。
 そのあとに繰り返される「愚かだとは酷いですね」「私に愚かだとは酷いですね」は、静かで、その静けさが、とてもつらい。
 そして。
 この最終行、

  私に愚かだとは酷いですね

 この行が、とても美しい。繰り返しのようで、繰り返しではない。「私に」ということばが付け加えられている。
 この「私に」に注目していえば、繰り返されることばは、自分から発せられるものだが、他人に向けてではなく、自分に向かって叫んでいるのだ。「私に」聞かせるためのことばなのだ。

  丘に仰向けになって
  はるかな青い空 何気なく眺めていたら
  私は忘れた 涙のにじむうたを
  あの空は気が遠くなるほどはるかだ

  この身の悲しみを 丘こそ知っているだろうが
  心惹かれる笑顔が ひとときでも無かっただろうか
  気の遠くなる空の下 愛らしい心 粘り強い心
  私は目を閉じた 閉じた                 (丘に仰向けになって)

 「目を閉じた」のは「私」である。だから、それは他人に言わなくてもわかる。自分のことだから。しかし、自分に言い聞かせるのだ。いまは目を閉じて、思い出すときだ、と。「愛らしい心」「粘り強い心」が私にはある。私の心は生きている、と。思い出し、言い聞かせるのである。
 「見て、紅葉になりそうよ」にも、そういう読み方はできるか。

  「見て、紅葉になりそうよ」
  みそ甕の置き台に膨らんだ柿の葉が舞い込み
  妹は驚いたように見つめ
  「見て、紅葉になりそうよ」

  秋夕が明後日に迫っている
  風がずい分吹くので心配なのだろう
  妹の心よ、私を見よ
  「見て、紅葉になりそうよ」

 「見て、紅葉になりそうよ」は妹のことばである。だから、自分に言い聞かせるというのは少し違うかもしれない。しかし、「妹の心よ、私を見よ」という一行に注目すれば、「見て、紅葉になりそうよ」ということばが「私の心」のなかにあることは一目瞭然だ。私は妹に呼びかけているのではなく、「妹の心」に呼びかけている。そして、「妹の心」が見るのは、私の顔ではなく、姿ではなく、「私の心」なのだ。
 私の心のなかに「見て、紅葉になりそうよ」ということばがしっかりと存在している、と詩人は書いているのだ。

 「牡丹雪」の「私に愚かだとは酷いですね」の「私に」ということばは原文にあるのかどうか、私は知らない。同じように、一連目の「愚かだとは酷いですね」に「私に」ということばがないのかどうか、私は知らない。もし原文が両方とも「私に」を持っている、あるいは持っていないけれど、韓成禮が日本語に訳すときつかいわけたのだとしたら、この訳は大変すばらしい。原文がそのまま持っているのだとしても、そこに詩のポイントがあると意識し、しっかり翻訳する意識もすばらしい。
 私は、ある作品の中で、どうしても書かれなければならないことば、なくても意味は通じるが無意識に書かずにはいられないことばを「キーワード」と読んでいるが、金永郎の詩のキーワードは「私(に)」であると感じた。「私」ということばが書かれていないときも、そこには「私」がいる。抒情の核として存在している。

 

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