谷川俊太郎『どこからか言葉が』(3)(朝日新聞出版、2021年06月30日発行)
朝日カルチャーセンター福岡の受講生といっしょに「夕闇」を読んだ。(6月21日)
夕闇に向かって
椅子に座っている
隣の部屋から明りがもれているが
そこにいた人たちは
もうこの世界から立ち去っている
私は十分に苦しんでいない
私のからだの
いちばん深い淵で
誰かがチェロを練習している
音楽以前の素の音が
私のこころの琴線に触れる
私はまだ十分に苦しんでいない
ことばが先にたって
こころがその後をたどってきた
からだはことばを待たずにいつもそこにいた
夕闇が濃くなって
遠い空に光が残っている
悲しむだけで私は十分に苦しんでいない
「私は十分に苦しんでいない」と谷川は書いているが、「なぜ苦しまなければいけないのか」という、しごくまっとうな感想がまっさきに聞かれた。こういう疑問から始まるのは、とてもおもしろい。谷川の詩だからといって、感動する必要はない。おかしいとおもうところは、おかしいと言わないと、ことばは正直に動かない。
私もわからない。
私にわかることは、「私は十分に苦しんでいない」「私はまだ十分に苦しんでいない」「悲しむだけで私は十分に苦しんでいない」と、連がかわるごとにことばが少しずつかわっていること。「まだ」が追加され、「悲しむだけで」と言いなおされている。
これは、どう思う?
「悲しむも自分のことだけれど、苦しむには相手が必要」と、いきなり哲学的というか、形而上学的というか、考えさせられることばが飛び出した。「悲しみを生きているだけで、苦しみを生きていない」「亡くなったひとと対比が感じられる。悲しむは追悼の感じ。苦しんでいないは、死んでいない、ということを指すのでは」
私は何を感じていたのだったっけ、と思うくらい、激烈なことば(感想)にふりまわされてしまった。何を感じていたのか、忘れてしまった。
谷川は、死を感じている、死を待っている、ということ?
「そう思う」
そこから「なぜ、苦しまないといけないのか」「なぜ、死なないといけないのか」という最初の感想に戻るのだろうか。
今回は、谷川の詩を読むだけではなく、受講生の詩の感想を語り合うことがメインだったので、時間が少なく、駆け足で谷川の詩を読むことになった。それで、この「私は十分に苦しんでいない」はそのまま保留しておいて、ほかに印象的なことばはないか、気になることはないかを聞いてみた。
まず「そこにいた人たちは/もうこの世界から立ち去っている」の「そこにいた人たち」とはだれのことだろうか。聞いてみた。
「現実のだれかというよりも、架空の人、概念、抽象的な人ではないだろうか。この世界から立ち去っているは死んだというよりも、時間の経過をあらわしているだけではないだろうか」
私は、単純に、これは谷川の両親のことかなあ、椅子に座っているひとは谷川かなあと思って読んでいたので、とてもびっくりさせられた。
では、二連目の「誰かがチェロを練習している」というのは、誰?
「子ども時代の自分」
「いや、「からだの/いちばん深い淵で」と書いているから、ことばが生まれる前、ことばになる前の抽象的な人間では」
うーむ……。
「私は、三連目の、ことば、こころ、からだという順番がわからなかった。からだがあんて、こころがあって、ことばがある、と思う」
「意識を逆転させて書かれているのでは? 逆さまに時間を動かしている」
時間の流れと、意識(認識の動き)を重ね、単純に過去から未来、というのではなく、今から過去を振り返るような動きを、ことば、こころ、からだ、ということばとの順番と重ねて読むのか。
でも、二連目に、からだ、こころ、が出てくるよね。三連目だけ読むと、ことば、こころ、からだの順番だけれど、二連目を意識すると、からだがあって、こころがある。ことばのかわりにチェロがあるのかもしれない。
「音楽以前の素の音、が谷川らしい」
ことば以前のことば、未生のことば、という言い方が谷川の詩にはよく出てくるように思う。チェロの響きは、未生のことばのようなものかなあ。
でも、よくわからない。
わからないことは、わからないままにしておく。むりやり答えを出さず、気が向いたら考えてみることを「宿題」にして、講座はおしまい。「答え」をだすことではなく、考える、考えること、感じたことをことばにすることで詩に近づいていくことが講座の狙いなので。
と、ここで打ち切っていいのだけれど、私が思ったことを少し追加しておく。
三連目の、
ことばが先にたって
こころがその後をたどってきた
からだはことばを待たずにいつもそこにいた
というのは、谷川のこれまでの人生の「反省」なのかもしれないと思う。谷川が自分のいままでを振り返ってみると、まず「ことば」が先にあった。その「ことば」にあわせて「こころ」を整えてきた。ことばがつくった道をこころが歩いてきた。一方、「からだ」の方は、ことばとは無関係に(ことばつくった道を歩いていくというのではなく)、いつでも「そこに」いた。「そこ」というのは、どこかなあ、むずかしいなあ。たぶん、「ことば」が生まれるその「場」というものかなあ。
フランス語に「y 」という不思議なことばがある。「il y a」「on y va 」「allons-y」というときの「y 」見たいな感じ。
谷川が二連目でつかっていることばを借りて言えば、「からだの(人間の無意識の)いちばん深いところ」で思い描いている「場」。いちいち意識(ことば)にするのがややこしい「場」といえばいいのかなあ。
「からだ」はたしかにそこに「いる」。だけど、からだは十分に生きていない。生きてきたのは「ことば」と、ことばを追いかけてきた「こころ」。「からだ」は「ことば」「こころ」に比べると、ほんとうに味わうべきものをまで味わっていないという感じがあるのだろうか。
一人の受講生が言ったように、谷川は無意識に死を意識しているのだろうか。
私は少し違うことを考えた。谷川は両親の死(不在)を苦しんでいない、と読んだ。それは、ふたりは生きているということだ。「からだ」はたしかに存在しない。けれど「こころ」と「ことば」は、まだこの世(世界)に生きている。「遠い空に光が残っている」ように、この世界に残っている。一緒に生きているから、苦しくはない(苦しんではいない)と言っているように思える。
「悲しい」ことは悲しい。悲しむことはある。しかし、それは「苦しむ」にまでは達しない。それは、とても静かな「喜び」のように感じられる。
「苦しんでいない」ことを反省(?)しているのだったら、ことばのトーンは違ったものになるだろうと思う。
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