詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

ルキノ・ビスコンティ監督「異邦人」

2021-06-07 19:41:53 | 映画

ルキノ・ビスコンティ監督「異邦人」(★★★★)(KBCシネマ1、2021年06月07日)

監督 ルキノ・ビスコンティ 出演 マルチェロ・マストロヤンニ、アンナ・カリーナ

 ルキノ・ビスコンティは「異邦人」のごとにひかれたのだろうか。「異邦人」の何を撮りたかったのだろうか。
 映像は、大別して三つある。ひとつは顔のアップ。これを近景と呼んでおく。二つ目は人の全身が映る中景。もうひとつは自然(たとえば海)の遠景というか、なぜ人の動きが小さくしか見えない広い空間を映したのかわからない映像。
 アップ、近景では、目のちょっとした動きが意味を持つ。マルチェロ・マストロヤンニは、表情が目まぐるしく変わるという顔ではない。顔の表面に、うっすらと脂肪がついていて、表情筋がそのまま表情をつくる感じではない。でも、目が動くとき、顔全体も動いたように感じられる。アンナ・カリーナにかぎらず、ビスコンティ映画に出てくる女優は目が鋭い。口が大きい。大声で笑う。非常に野性的な感じがする。イングリット・バーグマンのように「知的な女性」という印象から遠い。野生の女、という感じ。そして、その野性味が、男の「知性」を浮かびあがらせる「補色」のような働きをする。例外は、この映画には出ていないアラン・ドロン。アラン・ドロンは、ビスコンティの映画のなかでは、野蛮な(野生の)欲望をもった男優だ。目というよりも、口を大きく開けて「肉体」を覗かせるとき、野蛮が剥き出しになる。
 ビスコンティの映画では、男は基本的に「口」では演技をしない。笑わない。目で、誰にも理解されていない自分というものを、具現化する。目が、自分の悲しみだけをみつめている。この映画でも、マストロヤンニは、そういう演技をしている。
 ほかの男優は、マストロヤンニとは違って、「口」で、つまり「ことば」で演技をしている。口を大きく開けて、ことばに意味を持たせる。マストロヤンニは、ことばも目と同じように、自分をみつめるためにしかつかわない。最後の方に牧師との対話があるが、このときでさえ対話というよりも、自分と向き合っている。けっして神(絶対に自分ではないもの)とは向き合わない。そう考えると、口を大きく開けてことばを発するとき、他の男たちは「神」に向かって自分はこういう人間であると主張しているのかもしれない。もし対話というものが男たちの間で成立するとすれば、間に「神」を置くことによって対話していることになる。法廷がまさにそれ。この映画では「法」を間に検察、弁護側がことばを戦わすというよりも、「神」を間において激論している。マストロヤンニの演じる主人公は「神」を拒絶しているから、誰とも「対話」にならないのだ。「不条理」というのは、なぜ、その人が「神」を拒絶しているかわからない、という意味かもしれない。
 まあ、こんなことには立ち入るまい。私は「神」を見たことかないから、何を書いても空論になる。
 私が中景と呼んだシーンでは、据えつけられたカメラの前を人が横切ったりする。こういうシーンはいまでこそ珍しくないが、この映画がつくられた当時は珍しかったのではないだろうか。主役の動きが、他の人物の動きによって瞬間的に見えなくなるということはなかったと思う。いわゆる誰でもない存在(神)の視線のように、主人公にかぎらず登場人物の姿をくっきりと映し出している。そして、このことは逆に言えば、ビィスコンティは「神」の立場から、この映画をつくっていない、ということになる。ある瞬間には、目の届かない世界がある。目が届かないところでも、何かが起きている、ということを語っている。
 この印象が、遠景になると、まったく違う。人間は非常に小さい。海辺では、海があり、砂浜があり、空がある。それは人間とはまったく関係なく存在している。言いなおすと、その自然のなかで人間が何をしようと、自然は関知しない。これは、人間が何をしようと「神」は関知しない。責任をとらない、ということを語っているかもしれない。
 こんなことを書くつもりではなかったのだが(マルチェロ・マストロヤンニの顔についてだけ書くつもりだったのだが)、ここまで書いてきたら、突然、思い出すのである。「異邦人」の主人公は、殺人の動機(?)について「太陽がまぶしかった」と言う。これを「神」がまぶしかった、と言いなおすとあまりにもキリスト教的になるのか。「神」とは言わず、「人間の行動に関知しない存在がまぶしかった(その存在に目が眩んだ、自分を見失った)」と言いなおせば、どうだろう。関知しないを関与しないと言いなおせば、「異邦人」の最初にもどれるかもしれない。母が死んだ。その死に対して、主人公はどう関与できるか。もちろん死を悼むという関与の仕方はある。それは死後のことである。母が死んでいくとき、息子は、その死にどう関与するのか。看病する、介護するという「関与」の形があるが、そういうことは、たぶん「異邦人」の主人公にとっては「関与」とは言えないものだろう。だいたい、施設にあずけるという形の「関与」はしている。人間には、関与できないことがらがある、と主人公は知ってしまった、ということだろう。
 こうした認識をもつ人間の行動は、「神」の関与・関知を人間存在の条件と考えるひとからは「不条理」に見える。でも、それは逆に言えば、「神」の存在を実感していない人間から見れば、「神」の関与・関知を絶対的と認める人間が「不条理」になる。ビスコンティは、たぶん、「神」の存在、「神」が人間に関与・関知しているとは認めない哲学を生きたのだと思う。「神」が関与・関知するとしたら「自然」に対してだけである、と感じていたのではないだろうか。
 そして、「神」が関知・関与する「人間の自然」というものがあるとしたら、それは「造形=顔、美形」というものだと信じたのではないか。そう考えると、ビスコンティが美形にこだわる理由も、なんとなく納得できる。「神」が関与・関知した美形が、人間社会のなかで苦悩する。それをしっかりみつめる愉悦。それがビスコンティの本能なのか、と思った。マストロヤンニは、とびきりの美形ではないが、苦悩する顔は(その目の悲しみは)、もっともっと苦しめと言いたくなるくらいに美しいからね。苦しめば苦しむほど、美しくなる男--というのは「不条理」でいいなあ。

 

 

 


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高柳誠『フランチェスカのスカート』(4)

2021-06-07 08:00:00 | 高柳誠「フランチェスカのスカート」を読む

 

 「親方」は「印刷所」の親方を描いている。活字の父型を彫る。それは完璧な美しさをもっている。しかし、一文字一文字が完璧であればいいというものではない。活字は、

               美しさにおいて自立しながら、全体の
  調和に奉仕するだけの親和性を身におびていなければならない。

 きょう私が棒線を引いたのは「親和性」ということばである。高柳のことばは「親和性」をめざしている。「親和性」の定義はむずかしいが、高柳は「調和に奉仕する」と説明している。
 細部は独立しているが、全体は調和している。これを「親和性」がある、と呼んでいる。
 これを具体的に言い直したのが、書き出しと、締めくくりである。その間にはさまれた「中身」には、この作品のテーマである「活字」のことが書かれているのだが、その細部を支える要素として、親方の「人間性」が語られる。そこに「親和性」の源がある。
 こうである。

  親方は、無口で頑固で無愛想と三拍子そろっているからとっつきは
  悪いものの、相手によって対応を変えることのない公正な人だ。

  おかみさんがぼくに冷たく当たったあとなど、だれもいないときを
  見はからってクッキーやパンなどを突然差しだし、「食べるか」と
  だけ言い残して奥に引っこんでしまう。きっと感情を表に出すのが
  照れくさいのだ。

 「相手によって対応を変えることのない」人間に見えるが、活字の一つ一つに気配りし、全体の調和を考えるように、常に人の「調和」を考えている。「調和」を意識した結果として「親和力」がある、ということだろう。これをまた「感情を表に出」さないことと言い直している。
 もし高柳の作品に問題があるとしたら、それは「調和」がとれすぎている、感情の暴走によって破綻することがないということかもしれない。
 「ぼく」よりも「親方」の方に、高柳の生き方が反映されていると私は感じる。

 

 

 

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