詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

服部誕『息の重さあるいはコトバ五態』(2)

2021-09-11 11:04:05 | 詩集

 

服部誕『息の重さあるいはコトバ五態』(2)(書肆山田、2021年08月31日発行)

  前回は野沢啓『言語隠喩論』に突き合わせすぎたかもしれない。今回もその影響が尾を引くだろうけれど、服部誕『息の重さあるいはコトバ五態』の感想の続きを書いてみる。
 「迷路をめぐる簡明なメモ」は

  迷路であることの要諦は以下の二点にある

  まず第一に 迷路はスタートとゴールがなければならなない

 第二のポイントは「第一」の説明が終わった後に書かれるのだが、この「第一」の一行を読んだだけでも服部のことばの動きの特徴がわかる。一行目に書かれている「二点」の「二」。これを意識することが服部の論理のポイントである。
 迷路には「スタート」と「ゴール」という二つの要素が必要である。
 しかし、これはあくまで「論理」上のことである。

  ただしこの地上に実際に構築された迷路においては
  あなたには出発点しか明示されていない
  ゴールはたしかにどこかにあると信じて
  迷路をただひたすらに進んでゆくことになる

 つまり、「ゴール」も「ある」と「ない」の「二つ」存在することになる。「一つ」はつねに「二つ」に分かれていく。これが服部の論理のポイント。
 だから、こう言いなおされる。

  第二に 迷路には行き止まりと分かれ道がある

 しかし「分かれ道」があったとしても、

  あなたは分かれ道でどれかひとつを選んで歩き続けてゆきさえすればよい
  分かれ道のない迷路はもはや迷路とはいえない
  それは迷路ではなく ただの長い曲がりくねった一本の道である

 「分かれ道」はどちらかを選択した瞬間、すでに「分かれ道」ではなくなる。「長い曲がりくねった一本の道」。「二」はいつも「一」に収斂する。「一」は「二」に分裂し、「二」は「一」に収斂する。それが服部の「論理」の運動の特徴である。
 この「二」に分かれることを、鴎外ならば「参照」というかもしれない。「一つ」のことをまた別の「一つ」の視点から眺める。そうするとその「一つ」が立体的に見えてくる。迷路は歩き通したものには「長い曲がりくねった一本の道」となるかもしれないが、その「一本」を明確に意識するためには、たどりなかった「分かれ道」が必要である。いくつもの「分かれ道」を「参照」するときに初めて「長い曲がりくねった一本の道」が生まれてくる。「一」と「二」は別個のものだが、同時に「不可分」のものである。
 こういうとき、私がつかった「参照」ということばは何を意味するだろうか。それは「隠喩」に似ていないか。「迷路」は「不可分の一と二の結合」を浮かび上がらせないか。そして、「迷路が不可分の一と二の結合」であるという意識が、「迷路であることの要諦は以下の二点にある」に先取りされていないか。
 そして、この「一」と「二」は、実は「一」と「二」という構造ではなく、詩のなかに出てきた「進む」「歩く」という動詞に視点を当ててみていくとき、もっと簡単になる。「スタート」は「入る」、「ゴール」は「出る」と言いなおせば、そこに描かれているのは、すべては人間が動くことの「様相/状況の描写」になる。「迷路」は人間が生きていくとき必然的に人間の目の前にあらわれてくるものになる。だからこそ、服部は「迷路」を題材に詩を書いている。人間が、野沢のつかっていたことば(ハイデガーのことば?)「自己投企」が生み出す「迷路としての世界」が「暗喩」として浮かび上がることになる。
 野沢が、この服部の詩に、高倉勉や氷見敦子の詩に感じた「隠喩」を読むかどうかはしらないが、ここにも「隠喩的世界」がある。

 「きのう女を殺したという記憶」は「プールの底/水没した家」のなかを漂う男を描いている。

  首を絞めて殺した若い女の死体を昨日
  おまえはこの家つまり広いプールのどこかに隠した
  ところが今日になっておまえは
  何人かの連れといっしょに
  この家の中で何かを捜しているのだ
  (略)
  おまえは何か分からないものを
  みんなといっしょに捜し回りながら
  おまえが隠した死体の在り処を
  みんなに見つからないように捜している
  おまえはおまえ自身が
  捜しものを捜し当てたいのかどうか分からないでいる

 ここにも「迷路」と同じ「一」と「二」の交錯がある。「隠す」と「捜す」のどちらが「ゴール」なのか分からない。わからないからこそ「隠しているものを捜す/捜しているものを隠す」ということが、いまを生きていることの「隠喩」になる。この「複数」の交錯は「事実」と「真実/真理/心理」でもあり、「真理」が「心理=思想」として強く意識されるほど、それは「隠喩」になるということだろう。

 きのうの野沢啓『言語隠喩論』だ書きそびれたが、高倉勉、氷見敦子の詩に共通した「降りる」は「鍾乳洞の底へ降りる」であり、「地底へ降りる」である。それは隠されている世界へ降りる、隠されている世界にあるものを「ことば」によって外へ出すということである。「表層」ではなく、「深層」に「事実/真実」があるという視点がここにある。隠されているものを「捜し」、それを明らかにする。「隠しているもの/隠されているもの」を外(表)に出すのだから、それは「隠喩」そのものでもある。「隠喩」は「隠したまま、それを表す」のだが。「隠したまま」だけれど、隠されているものが強烈に見えるというのが「隠喩」だろう。
 そして、「隠喩」が明らかにするものは隠されているものであるから、同時にそれを隠しているものの存在も明らかにするだろう。特に高倉の詩は高倉個人の肉体の問題ではなく沖縄の歴史にかかわってくるものだから、それを隠しておきたいという人間の存在をどうしても浮かび上がらせてしまう。沖縄の歴史を隠しておきたいという権力の存在を暗示する。社会性が強くなる。ことばが社会と直接的に結びつく。いま生きている社会と、必然的に、ことばが向き合うという形になる。そういうことばは、インパクトが強い。
 服部の、殺したか殺さないかわからない(現実か夢かわからない)「捜す/隠す」とは違う広がりを持っている。だが、高倉、氷見の作品が「隠喩」なら、服部の詩もまた「隠喩」である。
 なぜこんなことを書くかというと、野沢の論は「詩」という言語運動を、他の言語運動とは別格においている点が気になるからである。きっと「隠喩」についてもどんな隠喩でも隠喩として認めるというのではなく、野沢が考える「射程」を持ったものだけを隠喩として評価するという視点があるのではないか、と気になるからである。詩に特権を与えすぎていないか、それが気になるのである。もしかしたら野沢は、あることばに「特権」を与えていないかと、それが気になるのである。

 

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