詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

雨沢泰訳『白い闇』の訳文

2021-09-30 10:58:31 | その他(音楽、小説etc)

雨沢泰訳『白い闇』の訳文

  雨沢泰訳『白い闇』(NHK出版、2001年2月25日発行)の訳文は、あまりにもひどい。私の持っているのは古い版なので改定版が出ているかもしれないが。108ページにこんな文章がある。

医者の妻は時計を見た。針は二時二十三分をさしている。眼を寄せると秒針がとまっていた。情けない時計のネジをうっかり巻き忘れていたのだ。それとも、情けないのは彼女なのか、わたしなのか。

 この「情けないのは彼女なのか、わたしなのか」の「彼女」って、だれ? この小説には、おもだった女はサングラスをかけた若い女と、この医師の妻。ほかにはいない。いくら前を読み返しても「彼女」にふさわしい人間はいない。
 スペイン語訳(原文はポルトガル語だと思う)では、こうなっている。「情けない時計」以後を引用する。

 Se había olvidado de dar cuerda al maldito reloj, o maldita ella, maldita yo
                   
 たしかに「 maldita(情けない) ella (彼女)」ということばは出てくる。だが、これは「maldito (情けない)reloj (腕時計)」と医師の妻が思わず時計を罵った後、ほんとうに罵るべきなのは時計なのか、ふと思い悩む(後悔する)場面である。時計を罵ってもしようがない。情けないのは、ほんとうはネジを巻き忘れた私である。それが「 maldita(情けない) yo (私)」。
 それでは「彼女( ella )とは誰なのか。誰、ではなく「cuerda(ネジ)」なのである。「cuerda」が女性品詞だから「 maldita cuerda 」と書くかわりに「 maldita ella 」と書いている。代名詞をつかっている。そして代名詞をつかったのは、そのあとに「 yo (私/代名詞)」が来るからなのだ。
 スペイン語にしろ、フランス語にしろ、名詞に「男女」の「性別」があるということは、語学の初歩で習う。私はいまだにNHKのラジオ講座の初級編をクリアできないけれど、それくらいのことは知っている。小説を訳す人間なら、当然知っていることである。
 日本語訳には(先に書かなかったけれど)、「情けない時計」にはわざわざ「傍点」がふってある。「情けない」ということばのつかい方に特徴がある、「時計」は器械だから「情けない」という修飾語はふさわしくない、けれどサラマーゴは「情けない」ということばをつかっているといいたいのだと思う。そこまで気配りができるならば、「 maldita ella 」を「情けない彼女」と翻訳する気持ちがわからない。
 「maldito (男性形) maldita(女性形)」は時計、ネジを修飾するときは「情けない」というよりも「いまいましい、のろってやりたい、ばかな」くらいの訳の方が日本語敵だと思うが、それを「わたし」にそのままあてはめるとなんとなくおかしい。「わたし」の場合は、たしかに「情けない」の方がぴったりくる。ネジを巻くのを忘れてしまうなんて、わたしはなんて情けない(だらしない)人間なのだろう、というわけである。そこまでことばをつかいわけるのなら、なぜ「 maldita ella 」を「彼女」と訳したのか。「彼女」ということばで、あ、これはネジのことだ、とわかる日本人読者がいるだろうか。
 この小説の書き出しの文章の訳文の不適切さについては既に書いたが、あまりにもひどい訳文だね。

 ちなみに(というつかいかたでいいのかどうかわからないが)、スペインの友人に聞いてみた。この本を読むのを手伝ってくれている。「ここに書いてある ella はcuerdaのことか」。即座に、「そうだ」という返事。「ほかに何か考えられる?」という感じの答え方だった。代名詞(日本で言えば指示代名詞)が何を指すかは、どの国のことばでもむずかしいときがあるが、この部分では「 ella 」を「彼女(人間)」と思うネイティブは皆無だろう。そういう部分を「見落としている」のがなんともおかしい。原稿を読んだ編集者も「この彼女というのは誰ですか」くらい聞けばいいのに。

 

 

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Estoy loco por espana(番外篇102)Roberto Mira Fernandez

2021-09-30 09:29:31 | estoy loco por espana

Me dan una extraña impresion las pinturas, que tienen las perspectivas o las profundidades, de Roberto Mira Fernandez.
la perspectiva o profundidad de las obras

No puedo encontrar la "primera posición" cuando aparece un color a medida que se forma.

Eso me inquieta.

Así que escribo este poema como se me ocurre.

 

*

NO LO ES

 

¿Quieren cambiar los colores a una forma?

No lo es

¿Quieren cambiar las forma a un color?

No lo es

 

¿Qué representa el color cuando se convierte en forma?

No lo es

¿Qué representa la forma cuando se convertie en un color?

No lo es

 

¿Qué esconde el color cuando toma una forma?

No lo es

¿Qué esconde la forma cuando toma un color?

No lo es

 

No lo es

Quiero que me mires

No lo es

Quiero que no me mires

 

Si soy un color, ¿eres una forma?

No lo es

Si soy una forma, ¿eres un color?

No lo es

 

No lo es

No es correcto

No lo es

No es correcto

 

Cada vez que repito me acerco a ti

No lo es

Cada vez que repites te alejas de mi

No lo es

 

He visto este dibujo tuyoa

No lo es

Este dibujo tuyo me ha visto

No lo es

 

No lo es

Quiero que me mires fijamente

No lo es

No quiero que me mires fijamente

 

¿Yo lo digo?

No lo es

¿Te, dentro de en este dibujo, lo dices?

No lo es

 

Si yo soy tu

No lo es

Si tu eres yo

No lo es

 

ロベルトの絵の遠近感、あるいは深度は不思議だ。

ひとつの色が形になりながらあらわれてくるときの「最初の位置」がみつからない。

そのことが私を不安にさせる。
だから、思いつくままに、

こんな詩を書く。

 

色は形になりたいのか

そうではない

形は色になりたいのか

そうではない

 

色は形になることで何を表すのか

そうではない

形は色になることで何を表すのか

そうではない

 

色は形になることで何を隠すのか

そうではない

形は色になることで何を隠すのか

そうではない

 

そうではない

私は見つめられたい

そうではない

私は見つめられたくない

 

私が色ならば君は形なのか

そうではない

私が形ならば君は色なのか

そうではない

 

そうではない

そうではない

そうではない

そうではない

 

繰り返すたびに近づいていく

そうではない

繰り返すたびに遠ざかっていく

そうではない

 

私はこの君の絵を見たことがある

そうではない

この君の絵は私をみたことがある

そうではない

 

そうではない

私は見つめられたい

そうではない

私は見つめられたくない

 

私がそういったのか

そうではない

絵の中の君がそういったのか

そうではない

 

私が君なのか

そうではない

君が私なのか

そうではない

 

 

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