詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

中上哲夫『川の名前、その他の詩篇』

2021-09-13 08:28:38 | 詩集

中上哲夫『川の名前、その他の詩篇』(花梨社、2021年09月01日発行)

  中上哲夫『川の名前、その他の詩篇2011~ 2021』の「無口な川のほとりで」は「川端進に」ということばがついている。私は川端進のことを知らないが、別の詩には「川端進の思い出に」とあるから、死んだ友人なのかもしれない。親友に宛てて書かれている詩だ。

もしも生まれ変わることがあるなら
製材所のような騒々しい町なかではなくて
無口な川のほとりでひっそりと暮らしたいと
たとえば映画『四万十川』のような
足下もさだかでないうちから
河原に降りていって
仕掛けておいた置き針をぐいと引き上げる
すると
金色の腹の細長いものがくねくねと上がってくるのだ
なんてったって母親が樋口可南子なんだぜ

 さて、この詩を野沢啓なら、どう読むか。「隠喩」を感じ取るか。ここには、高倉勉や氷見敦子の詩につかわれていた「降りる」という動詞がつかわれている。ただし、中上は「地底(鍾乳洞)」ではなく、降りていっても河原までだ。そして、その河原に降りていくのは中上ではなく樋口可南子である。映画『四万十川』を見ていないのでわからないのだが、たぶん、母親役だ。
 映画を見ていないから、私は勝手に想像する。「降りる」にも感情移入をする。「降りる」はふつうはしない行動である。河原へ「降りる」のはなぜか。うなぎ(たぶん)を取るためである。なぜ、わざわざうなぎをつかまえに行くのか。うなぎは、よくいわれることだが、一種の精力剤である。樋口可南子には、きっと病弱な夫がいるのだ。その夫にうなぎを食べさせるために、川に針を仕掛けておいたのだ。そういう思いを私は読み取ってしまう。書いていないから「誤読」というよりも、「妄想」だが。
 そして、その「妄想」はさらに拡大する。樋口可南子は単に夫に回復してもらいたいだけではない。いや、夫は、もう回復できないところまで病気が悪化しているのだが、「食べて元気になって」と言いたいのだ。そして、そういうとき、樋口可南子がそう思うかどうかではなく、映画を見ている観客は、樋口可南子と夫とのセックスを想像する。なんといっても、うなぎだからね。樋口可南子だからね。そして、そのうなぎを、川上は「くねくね」ということばで表現している。セックスが「くねくね」したものかどうかは一概に言えないが、そのときの人間の体はどこか「くねくね」に通じる。ふつうとは違う「しなやかさ」をもって動く。樋口可南子の「腹」は「細長く」(つまり、脂肪にまみれていなくて)、「くねくね」を強調する。
 「降りていく」の直前に書かれている「足元もさだかでないうち」も、そういうことを誘い出す。樋口可南子は「夜の布団」のなかから、夜のうちに抜け出し、河原へやってきたのだ。
 それで、どうしたのだ、と言われると、ここから先がつらい。
 別にどうもしない。思うのは、もしかすると川端進は樋口可南子のファンだったのかもしれない。川上もファンだったのかもしれない。あの樋口可南子が朝の暗いうちから川へ行ってうなぎをつかまえてくる。それを食べさせてくれる。それだけで、なにか、こういやらしい元気が出るじゃないか。いいなあ、と感じるじゃないか。
 そう、語りかけたいのかもしれない。
 高倉や氷見の詩のように、壮絶な感じはしない。あくまでも個人の思い出にとどまる世界かもしれない。しかし、私は、こういう超個人的な感じもいいなあ、と思う。自分以外の「世界」へ出て行かない決意もいいと思う。中上と川端には「なんてったって母親が樋口可子なんだぜ」と言えば通じる「共有の秘密(そこから出て行かない世界)」があるのだ。その「秘密」は私の「誤読/妄想」かもしれないが、その「誤読/妄想」のなかで、私は中上に触れる。中上に会ったことがあるわけではないが、不思議と懐かしい気持ちになる。
 もう一篇。「岩だらけの詩」。この詩は大好だ。同人誌で読んだとき感想を書いたかもしれないが、もう一度書く。

道といわず
屋敷といわず
畑といわず
野といわず
森といわず
まるで空から降ってきたみたいに
象のような岩が至る所にごろんごろんと転がっている村があるのだ
ヨーロッパのずっと北の方に
太古の昔
氷河が運んできたものらしいのだけれど
気にするものはだれもいない
昔からの知合いのように
庭に岩礁のように突き出したものを撫でながら
その家の主が片目をつぶってみせる
「呑んだくれの兄貴のように
すてきじゃないか
もし彼がいなくなったら
みんな声をあげて泣くだろうな
川が水を失ったときのように」

 私は、この庭に突き出た岩は、吉岡実が書いていた「一個の卵」よりも「よくわかる」。嘘がない。正直があふれていると感じる。私の「よくわかる」は「正直だなあ」と感じると同じ意味だ。これならだまされてもいい、という安心感。
 この岩は、たしかに「ある位置を占めている」。そこに「ある」ことによって、人を支配している。この支配は、統治というよりも、いつも一緒にいることを意識させる、かもしれない。「呑んだくれの兄貴」は迷惑な存在かもしれない。しかし、「いる」という感じが、何か安心させる。奇妙な言い方だが、「役に立たない/迷惑」な存在は、人間は役に立たなくても生きていけるというような、「強さ」のようなものを教えてくれることがある。役に立たなくても、人間は、死なないのだ。
 そういうものがいなくなったら、やっぱり人間は泣くかもしれない。
 中上の最終行は、なんともいえずに、不思議な「深さ」を感じさせる。岩は「氷河」が運んできたもの。「氷河」には「水」はないが、氷は水でできている。岩があることで、そこに見えない水が流れている、川が流れているということを想像させる。岩がなくなれば、その見えないけれど見えるもの(想像できるもの)が、ほんとうに見えなくなるのだ。これは、さびしいね。
 中上の詩は、そういうことを私に感じさせる。書かれていることば以上のことを私は想像してしまう。そういうとき、私はその詩の世界を「隠喩」と感じているということだろうと思う。中上が実際にみた「世界」ではなく、中上のことばをとおして浮かびあがってくる「世界」を私は見ているのだから。

 「彼がいなくなったら」は「彼が死んだら」に通じるだろうなあ。死んだ後でも、その人を思うとき、その人は生きている。忘れられたとき、ほんとうに死ぬ。忘れない、覚えているよ、というために書く詩もある。この詩には「〇〇に」ということばがついていないが、私は死んでしまった友人のために書いた詩のようにも読んでしまうのだった。

 

 

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