徳永孝「新地質時代」、池田清子「しょうじの破れ」、青柳俊哉「傍らを」ほか(2021年09月06日、朝日カルチャーセンター福岡)
受講生の作品。受講生が作品を書いたときのことを語り、そのあと感想を語るという展開を試してみた。この方法はあまりやらない。3回目かもしれない。いつもは作者が何を書こうとしたかを気にしないで、ただどう読んだかを突然語り始める。感想が終わるまで作者は黙って聞いている。一通り感想が終わったら作者を交えて語り合う。今回は順序が逆。
新地質時代 徳永孝
月が昇ってきた
にぶくオレンジ色に光る月
薄闇の地上では
救急車が先を急ぐ
また誰かの命が
危機に瀕している
今夜、月では新しい生命が生まれる
青の地球とは異質の存在
これは新しい共生のチャンスか?
それとも長い戦いの始まりか?
果てしない時の末の
両星の子孫達は
今夜を新時代の始まりとして
記憶するだろう
徳永「一連目、二連目は現実。現実からストタートして、どれだけ想像、連想を広げていけるかを試してみた。最終連に悩んだ」
これに対して「タイトルが新地質時代なのに、最終連には地質ということばがない。新時代と新地質時代の関係がわからない」「二、三連目の展開の後、地球で命が消え、月で命が生まれる。この対比がいい」「三、四連目の展開、その飛躍が印象的」「四連目の新しい生命が生まれる、というのは、もっと具体的なイメージの方がいいと思う」という感想が聞かれた。
「新地質時代」については「人間の生きている時代というよりも、もっと長いスパンのことを呈示したかった。人間の歴史を超えた変化の予感のようなもの」
そうであるなら、やはり「新しい生命」「新しい共生」だけでは、わかりにくいだろう。受講生が指摘したように「新しい生命」が何か具体的なものとして書かれていた方が「人間の限られた時代」を超える感じがするだろう。「地質」につながる何かを「暗喩」として書くことかできれば、この詩は、もっと深くなるだろう。
*
しょうじの破れ 池田清子
小学生のとき
朝 学校に行くと
校門わきの掲示板に
私の詩が書いてあった
黒板に チョークで
『しょうじの破れ』
あまりのまさかで
それはそれは驚いた
中身は全く覚えていない
その頃
障子は日常の中にあった
たたみの部屋ばかりで
ふすまと障子を開け閉めしていた
障子は いつもどこかが破れていたような
父の障子張りを見るのも好きだった
今の我が家にも障子がある
一か所だけ破れている
正月前には つぎはぎをするだろう
でも、障子には悪いが
何の感傷もわいてこない
小学生の私は
何を思い、何を感じ、何を詩にしたのだろう
その頃の
自分の感性がいとおしい
池田「悲しみや寂しさを詩にしたいと思っているがなかなか詩にならない。できない、とわかって小学生のとき書いたこと最初の詩のことをを思い出した。悲しみや寂しさを書こうとは思わず、ただ見たものを書いたのではないかと思う」
「最終連の、何を詩にしたのだろう/その頃の/自分の感性がいとおしい、には感情があふれている」「感情は悲しみ、寂しさだけではない。この詩にも感情はあるのではないか」という指摘があった。私もそう思う。どんなことばにも思想、感情はある。晩御飯は何にしよう。きのうカレーだったから、きょうは違うものにしよう、ということばにも「同じものを食べたくない、食べさせたくない」という思い(楽しく食事をしたい)という思想がある。それはカントの考えている「形而上学」と違うわけではない。(人間はどうやったら幸せになれるかを考える以上の思想はない、と私は思っている。それを考えないことばは思想ではない。)
「子供のときの気持ちと、いまの気持ちがはっきり対比されている」「中身を覚えていないが、書いたことを覚えているのはいいなあ」という指摘。
どこが一番好きか、と聞いてみると。「障子は いつもどこかが破れていたような/父の障子張りを見るのも好きだった、の二行は自分の記憶と重なるので、好き」。
この感想は、とても大事なことを語っている。
読者は、作者のことばのなかに作者の行動や考えを読み取るだけではない。自分の「体験」や考えていることを読み取る。そして、それが重なっているのを感じると、親近感を覚え、そのことばが好きになる。
これは逆に言えば、自分のことを正確に語れば、おのずとそのことばに他人も重なることができるということになる。特別なことを書こうとしなくても、詩の世界は広がっていく。
それはまた別の言い方もできる。一連目の「あまりのまさかで」、三連目の「でも、障子には悪いが/何の感傷もわいてこない」という行に対して「いつもの池田の口調があり、それがいい」。
自分と同じものもあれば、自分と違うものもある。それを見つける喜び。
*
傍らを 青柳俊哉
わたしの傍らを水鳥が歩む
わたしの心が 鳥のいのちの中に
こんなに親しく立たされていることを鳥はしらない
わたしたちを隔てているのは 水にうつるかげ
鳥は 白い羽のレモンのような曲線を
一月の 堰からあふれおちる波の扇の方へすべらせていった
わたしは 鳥の中で新鮮な川の重みとしぶきの光に
ふれることができる わたしはさらに強く掻いて
水面が白い条の帯に変転する場へすすんでいった
わたしたちは落下する水の壁に砕け 霧のように空へそそぐ
吹きおろす水素のような光につつまれ 空をながれる
わたしたちは形をかえつづける 水鳥のかげだった
青柳「家の近くの室見川。昼に河畔で弁当を食べているとき、カモメや鴨が、自分のことを気にせずに泳いでいる。自分と鳥の境界がなくなって、一体化している感じ。そのことを書こうとした。肉体は個別のもの、隔たっているが、一体になる感じを書きたかった」
「説明を聞いて、情景がよくわかった。一体化していくという感じが、わたしたち、ということばになっている。だからここちよい」「鳥と私が一体化した感覚はないので、ステキだなと思った。一体化を感じられたらいいなろうなあ、と思う」「鳥とだけ書かれていたことばが、レモンのような曲線、波の扇というイメージにかわる。動いていくイメージが美しい」
青柳「一連目の水にうつるかげと、最終連の水鳥のかげだった、のふたつのかげ、意味の違いをこえていくところに工夫した」
私は、一連目の「親しく」ということばに感動した。鳥と私との一体化。それは「親しい」という感覚のなかにある。でも、鳥はまだそれを知らない。鳥は「わたしの心」を知らないままかもしれないが、青柳は、変わっていく。そこにおもしろさがある。
一連目で「鳥のいのちの中に」と書かれているが、二連目では「鳥の中」と「いのち」が省略される。この段階で、「一体化」は進んでいる。
一連目のことば数に比べると、二連目、三連目はことばが多くイメージがぶつかりすぎる気がするが、多彩に動くイメージ、イメージの反乱が青柳の特徴である。
*
受講生の作品を読んだ後、佐々木安美の「針金ハンガーをくわえたカラス」(『息』、栗売社、2021年07月09日発行)を読んだ。
針金ハンガーをくわえたカラスが
空を飛んでいくのが見える
二度 三度 旋回しながら遠ざかっていく
あの 坂道の途中に立ち止まって見あげている
白髪まじりの男をぐるっと見下ろしたあと
二度 三度 旋回しながら遠ざかっていく
真上からのアングルでは
坂道にへばりついているようにしか見えない
白髪まじりの男の思考が
陽光に塵をまき ざわっと崩れる
針金ハンガーをくわえたカラス
針金ハンガーをくわえたカラス
私が受講生に問いかけたのは、まず「白髪まじりの男」と作者(佐々木)との関係である。別人か、同一人物か。別人にも見えるし、作者にも見える。さらには別人であったとしても、その男に感情移入して、その男になっているとも読むことができる。
さらに、「真上からのアングルでは」行ではじまる三連目は、視点がカラスになっているので(カラスの立場で男を見ているので)、佐々木はカラスになっているとも考えられる。男とカラスと佐々木が一体になっている。
最終連の「ざわっと崩れる」はわかりにくいことばである。
私は「男の思考(佐々木の思考)」が「完結しない」と読んだ。「結論」がでない。何か言おうとするが、完成しないまま(結論をだせないまま)、中途半端で終わる。「針金ハンガーをくわえたカラス」が二階繰り返されるところにそれが象徴されている。一連目は「針金ハンガーをくわえたカラスが/空を飛んでいくのが見える」とした「文章」だった。最終連では「針金ハンガーをくわえたカラス」がどうしたのかわからない。述語がない。さらには、「針金ハンガーをくわえたカラス」を佐々木がどうしたのか、それもわからない。「見た」のか「想像している」のか「思い出している」のか。それこそカラスに何らかの「思考/感情」を託そうとしているのか。
「結論を出さない」、いま、あるがままをこうして、こう書いている。このぼんやりとした「いま」を私は妙に納得してしまう。「針金ハンガーをくわえたカラス」を見たい、と思う。そのとき、私はカラスになるか、白髪まじりの男になるか、佐々木になるか。見てみないと、わからない。
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