詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

青柳俊哉「彫塑」、池田清子「旅」、徳永孝「虹と心」

2021-09-29 14:55:53 | 現代詩講座

青柳俊哉「彫塑」、池田清子「旅」、徳永孝「虹と心」(2021年09月20日、朝日カルチャーセンター福岡)

 カルチャー講座受講生の作品。

旅  池田清子

もし 飛行機に乗らなくていいのなら
行ってみたい場所がある

パリのモンマルトルの丘にのぼり
モンパルナスの通りにあるカフェをのぞきたい

モディリアーニ、ピカソ、ユトリロ、キスリング、スーチン
若い画家たちの集うカフェ
高級で、画商やパトロン達もいるような音楽もあるカフェ
その頃の空気を感じたい

いや もういっそのこと
その時代に行けるのなら
カフェの一番隅っこでいい
彼らの表情とかをじっとずっと見ていたい

『モディリアーニー!』

 「じっとずっと見ていたいに共感する」「キスリング、スーチンというあまりなじみのない名前が出てくるところ、画商、パトロンも登場するのでリアリティーがある」という声。
 この詩は「もし 飛行機に乗らなくていいのなら/行ってみたい場所がある」と書き出されているが、実際に書かれているのは「行ってみたい場所」というよりも「行ってみたい時代」である。「行ってみたい場所」というとき、ふつうは「いまの場所」を考えるが、池田は「過去の場所」である。その「過去」を特徴づけるのが「モディリアーニ、ピカソ、ユトリロ、キスリング、スーチン」。固有名詞によって、自然と「ある時代」が浮かび上がってくる。これはなんでもないことのようだけれど、ことばの呼応の仕方が自然で正直である。だからこそ「その頃の空気を感じたい」が自然に響く。「その頃の空気」をどう説明するか。難しいが「感じたい」の方にことばの重心をうつして、「彼らの表情とかをじっとずっと見ていたい」と「肉体」そのものの行動に置き換えて言っている点に説得力がある。
 そのあとに自然に、正直に「モディリアーニー!」ということばが出てくる。あ、池田はモディリアーニーが好きなんだ、とわかる。モディリアーニーが好きだから、彼が生きていた時代のパリへ行きたいのだと伝わってくる。
 この作品は、当初、最後の行が「楽しいだろうなあ」だった。しかし、それでは、意味はわかるが、もっと他のことばの方がいいのではないのか、という指摘があった。それを受けて、池田は「モディリアーニー!」に書き換えた。この推敲は効果的だと思う。たくさんの画家の名前が二連目に出てきたが、最後にモデイリアーニーひとりが出てくる。このことで、池田はモディリアーニーが一番好きなのだとわかる。
 せっかくモディリアーニが好き、というところまで書いたのだから、ただその時代に行ってみたいだけではなく、その時代に行ってモディリアーニを目撃した(出会った)ときのことを書き加えるのもいいと思う。名前だけではなく、そのときの様子を書き加えるとまた違った世界が広がると思う。

彫塑  青柳俊哉

夏の光が野をながれ
母と少女が波を踏みわけて行く
朝の空が大きな羽を振り
ふたりは洗った衣を風に懸ける
山と空は 巨大な明るさにみちて
宇宙に吹きぬけている

ふたりはこの土地の水脈に
光がふれてのびる樹木と草の葉
同じ土と太陽の成分に育まれていた
朝の光がふたつの像にうちよせる
山も空も 巨大な明るさにみちて
宇宙に吹きぬけていた

 「母と少女の像がある。光があふれている情況が美しい。山と空はから始まる二行が一連目と二連目に出てくるが、とても印象的」「一連目の宇宙に吹きぬけているが二連目で宇宙に吹きぬけているたに変化する。一連目ではバラバラだったものが二連目で一体化していく感じがいいなあ」という声。
 受講生も私も「彫塑」というタイトルに影響されて「母と少女」を「像」だと思ったが、私たちの感想を聞いて、青柳は「土地から生まれた命の象徴として書いた。人間から植物に変化していく大きな動きを書きたかった」と語った。人間が人間の世界に納まるのではなく、自然(植物)と融合して「宇宙」そのものになる感じ、ということだろうか。
 「いる」と「いた」の変化をどうつかみ取るかは難しい。私は「いる(現在形)」を主観的、「いた(過去形)」を客観的(事実になってしまった)と感じるが、「いる」の方がいま現在という感じがするので「客観的」と感じる受講生もいた。「いま/いる=リアリティ=客観的」ということだろうか。
 この詩のなかでの大きな変化は「いる/いた」とは別にもうひとつあるように思う。「朝の空」と「朝の光」である。「朝の空」は私には「遠い」感じがする。「朝の光」は近い、身近という感じ。遠くにあった「朝(の空)」が近くに押し寄せる。(詩ではうちよせる、と書いている。)押し寄せて、「母と少女」の体を貫き、「宇宙に吹き抜け」る。そのときふたりは宇宙そのものになる。

虹と心  徳永孝

雨あがりの青空に
所々かかる薄雲
その上に広がる
半月状の虹

太陽 雨 青空
雲 虹 月
何の意味も持たない
純粋な物理現象なのに
美しいと感じる

美とは何なのだろう

物理・科学の自然法則に従って
生物が出現し進化してきた
そこに働くのは全くの偶然で起る突然変異と
生存に有利か不利かによる自然淘汰だけ

人間も
何の価値評価もしない進化の法則に
ただ従って出来てきたはずなのに
喜怒哀楽 善悪に心が動く
時には嵐のように

心とは何だろう

 「美と心の対比がコンパクトに書かれていて、新鮮な印象がある」「純粋な物理現象と喜怒哀楽、善悪との対比がおもしろい。虹から始まるところもおもしろい」という声。
 「美」と「心」の対比。客観的な存在としてそこにある「何か」。それを美しいと感じる。そのときの美しいと感じる心とは何か。人間が他の存在と同じように「進化の法則」にしたがって誕生したのなら、なおのこと、何かを美しいと感じる、その心とは何かが気になる。考えてみなければならない問題である。
 こういう哲学的なテーマは重要である。
 この作品は、最初は「物理・科学の自然法則に従って」から始まる四連目がなかった。「人間も/何の価値評価もしない進化の法則に/ただ従って出来てきたはずなのに」が唐突な印象があるので、もう少し書き込んでみたらというアドバイスをし、それを反映させたのが現在の作品。人間の存在を「自然(物理)」現象と対比させている。ただ、書かれていることは「虹(現象)」とは違って「論理」である。ここがむずかしい。詩は「論理」を整合的に書くというよりも、「論理」にならないものを具体的に書き、読者に感じさせる(刺戟する)ものだと思う。
 「正しい論理」を書いた後で「何だろう」という質問を提出するのは、むずかしい。「論理」は正解以外を許さないからだ。一方、詩は、正解か間違っているかを判断しない。好きか嫌いかによって選ばれる。

 

 


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