天童大人『ドラゴン族の神-アンマに-』(七月堂、2021年08月30日発行)
天童大人は声が大きい。詩を、大声で読む。そのことが詩集にも書かれている。わざわざ書くことではないのかもしれないが、きょう取り上げるのは、大声ではない詩である。「Bine・Bine」。どう発音するのかもわからないが、私はこの詩から「大きな声」ではないが、「揺るぎない声」を聞いた。
白いシーツの上
健やかにのびる淑やかな黒い肢体
遠目には誰にもわからない
Bine・Bine
微かに腰を動かす度に
触れ合い沸き立つ
Bine・Bine
決して他人には
見せてはいけないもの
誰にも見せられないもの
「Bine・Bine」が何かわからない。誰かの「声」だろうか。そう想像してしまうのは「シーツの上」「黒い肢体」という状況と、「腰を動かす」「触れ合う」「沸き立つ」という動詞、さらには「他人には/見せてはいけないもの」という禁止のことば。どうしてもセックスを思い浮かべる。
そう思っていると、詩は、こう展開する。
Bine・Bine
静かなベッドで生みだされる音
の調べを聴く
と男と女の愛の営み
の深さが分かると
Bine・Bine
やはりセックスを描いている。でも「Bine・Bine」は何? まず「静かなベッドで生みだされる音」と説明され、「音」は「調べ」と言いなおされる。「音」はきっと人間の耳に入り、人間の「肉体」のなかで「調べ」にかわる。「肉体」によって浄化された「音楽」。
「声」かもしれない。ベッドのきしむ「音」かもしれない。あるいは肉体が「触れ合う」ときの「音」かもしれない。肉体が「触れ合う」とき肉体の奥から「沸き立つ」官能の「声」かもしれない。
でも、その「音/声」を聞くのはなんだろう。「耳」だろうか。「耳」を超える何か、「肉体」そのもの、「肉体」を統合している「力」かもしれないなあ。「肉体」の外で鳴る「音」ではなく、「肉体」のなかで鳴っている音。それが聞こえるのは、「愛の営み」をしている二人だけである。
「決して他人には/見せてはいけないもの/誰にも見せられないもの」とあったが、「見せた」としても「聞こえない」だろう。「調べを聴く」のは愛を営んでいる男と女だけなのである。
世界には、他人には「聞こえない声」がある。
これを「大声」で叫ぶには、難しい。大声を発してしまえば、その大声に「聞こえない声」がかき消されてしまう。
でも、ことばにしたいのは、その「聞こえない声/音」である。
Bine・Bine
揺れる車中
恥じらいながら
聲を落として教えてくれた美形の詩人
の握りしめた掌のなかに
強い香りを塗り籠めた黒いBine・Bine
これがほんとうのBine・Bineなのか
「Bine・Bine」は「音/声」ではなく、「もの」なのか。いったい何なのだろう。
詩は、こう締めくくられる。
彼女の原色鮮やかな括れた衣服の内に
巻きつき擦れ合い見えぬ
Bine・Bine
から 一瞬 烈しく触れ合う音が聴こえた
差し出された「Bine・Bine」という「もの」ではなく、天童が受け止めるのは、あくまでも「Bine・Bine」という「音」である。そして、その「音」を天童は「Bine・Bine」という「声」にする。
美形の詩人の「肉体」で鳴っている「調べ」を、天童の「肉体」が聴き取り、それを「ことば」の調べにかえる。ここに、「肉体」が「声」を発するときの不思議な「共感」があるのだが、さて、これを「どんな大きさの声」で発するのか。「大声」では「聞こえない音」はかき消されてしまうかもしれない、と私は最初に書いた。しかし、それはあくまで他人が発している「音/声」である。もし、それが天童の「肉体」をくぐり抜けた後ならば、どんな「大声」でも、その秘密の「調べ」は聴こえるだろう。「大声」を圧倒して、強い余韻のように「大声」の底から沸き上がってくるだろう。
そういうことを思った。
私は、詩の朗読を聞くのが好きではない。「ことば」は自分のペースで読みたいからである。私は「ことば」を聞くのではなく、「ことば」を読んで「ことば」で考えたいからだ。
しかし、この詩は、「朗読」を聞いてみたいと思った。「Bine・Bine」がどういう「音/調べ」で「声」にされるのか聞きたいし、それが実際に私の耳にどう響くかを確かめてみたいと思った。それがどんなものであれ、そこには天童の「肉体」を通り抜けることでたしかなものになる何か、揺るぎない何かがあるはずだと思うからだ。
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