詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

「予告された殺人の記録」の訳文

2022-01-03 21:36:23 | その他(音楽、小説etc)

 ガルシア・マルケスの「予告された殺人の記録」。野谷文昭の翻訳で新潮社から出ている。私が持っているのは1983年4月5日の発行。
 信じられないような「誤訳」がある。バジャルド・サン・ロマンから大事な家を大金で奪われた老人が「二年後」に死亡する。しかし、翻訳では「二カ月後」になっている。「底本」が違うのかもしれないが、私のもっているスペイン語版は「2年後 dos años después」である。「dos meses después 」ではない。私の読書の手伝いをしてくれているスペイン人は、私とは違う版を持っているのだが、「dos años después」である。別の友人が送ってくれたPDFでも「dos años después」である。
 この初歩的な「誤訳」はどうして生まれたのか。
 また、「二カ月後」ならば、ストーリーの展開は違ってきたかもしれない。大騒ぎになって、バジャルド・サン・ロマンは結婚できず、したがって小説の一番の事件「殺人」が起きなかった可能性もある。
 いまはどうなっているか知らないが、問題が多い訳である。

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なぜ、安倍晋三なのか(2)(情報の読み方)

2022-01-03 21:02:59 |  自民党改憲草案再読

なぜ、安倍晋三なのか(2)(情報の読み方)

 あまりにばかばかしいので書くのをやめようかと思ったが、このばかばかしさは書かずにおいたらきっと問題になる。
 2022年01月03日読売新聞(西部版・14版)の4面に、「語る新年展望」の2回目。だが、ノンブルは「1」のままである。そして、なんと「1日掲載の続き」とカットの下に注釈がついている。これはほんらい、1面に「頭出し」があって、そのつづきであることを知らせるためのものである。「1日掲載の続き」ならば「2」になるはずである。1日の紙面で1面に「頭出し」(といっても、分量から言うとトップ記事になるはず)をして、それを4面で受ける。それが、どういう理由かわからないができなかった。しかし、同時掲載ができなかったらできなかったで「2」にしてしまえばいいのに、それもできないので「1日掲載の続き」になった。
 背景には二つの理由がある。
①1日の紙面会議で1面トップを何にするかで、編集局内で対立があった。1月1日の1面トップというのは、当日決まるというよりも、綿密に準備するのがふつうである。安倍のインタビュー記事で決定済みのはずだった。それが当日の局デスクが反対し、4面掲載になった。
②しかし、取材側(聞き手 編集委員・尾山宏)では「1面トップ」(4面に連動)ということで、安倍と話をつけてきた。それが急遽変更になったために、連載の2回目を「2」にするのではなく、あくまで「1」であることを強調するために「1日掲載の続き」とことわりを入れる。なぜか。「2」にすると、1日の新聞を読んでいない読者(元日に政治面まで読むような読者は少ない)は「安倍は2番手か。1番手はだれだったのだろう。(やはり、安倍はもう過去の人なのだ)」という印象を持つ。これではいけない。安倍への「約束違反にもなる」。だから、なんとしても「1」であることを印象づける必要があったのだ。
 ここからわかること。
 読売新聞内部にも「安倍晋三信奉者」以外の人間がいる。しかし、それは完全に「安倍信奉者」の勢力を上回っているわけではない。「安倍信奉者」の勢力は、新聞の「体裁」の変更を要求し、押し通すだけの力を持っている。連載を「2」にしても何の問題も起きない(少なくとも、読者は、また安倍のつづきかと思うだけである)のに、「印象操作」にこだわり、それを押し切るだけの力を持っている。
 これは、日本の政治の「先行き」を予測する上で、とてもおもしろいことだ。自民党内にも、安倍ではだめだという勢力と、やっぱり安倍でないとだめだという勢力が拮抗しているのかもしれない。読売新聞は「安倍でないとだめだ」に肩入れし、その方向で「印象操作報道」を試みていることになるのだが、たぶん、他のマスコミもその方向に向かって動くのだろう。そして、安倍が「再々登板」をするという方向で動いていくのだろう。
 今回の記事の最後にこう書いてある。

 私の体調はだいぶ回復しました。ただ、薬の投与は続いており、完全に、というわけではありません。再々登板の可能性をよく聞かれますが、私が「もう1回挑戦します」と言ったら、みんな腰を抜かすでしょうね。それは考えていません。

 「再々登板」を一応否定する形になっているが、安倍が再々登板に挑戦するといえば、「みんな腰を抜かす」のではなく、「みんなから袋叩きにあう」というのが一般的な見方ではないのか。少なくとも私は「腰を抜かさない(驚かない)」。石を投げつけてやりたい気持ちになる。そういう人がいることを安倍は認識していないし、聞き手の尾山宏もきっとにこやかに「いやそんなことはありませんよ」と言いながら、記事の締めはこれでいいですね、というようなことを語ったのだろう。「みんなを驚かしてやりましょう。やっぱり安倍さんしか頼りになる人はいないんですよ」とかね。だからわざわざ「私の体調はだいぶ回復しました」と言わせてもいるし、それを印象づけるように、最後に語らせている。

 胸くそが悪いというか、腹が立って仕方がないというのは、こういうことである。今回の安倍の記事で読むべきことは、安倍の思想ではなく、安倍をよいしょし、まだ安倍に縋ろうとしているマスコミがあるということ、それはどういう報道の仕方をするか、ということだろう。
 読売新聞の姿勢が、非常によくわかる連載のスタートである。

 

 

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谷川俊太郎詩集『虚空へ』百字感想(26)

2022-01-03 14:36:35 | 谷川俊太郎『虚空へ』百字感想

谷川俊太郎詩集『虚空へ』百字感想(26)

(欲は涸れず)

欲は
涸れず
死に
向かう

善悪
不問
美醜を忘れ

庭の
若木
見守る

守られて
いる

 三連目。若木「を」見守るか、若木「が」見守るか。「美醜を忘れ」のつづきで言えば「若木を見守る」だろう。しかし、私は「若木が見守る」と読んだ。だから四連目は「若木に見」守られていると自然につづいた。

 

 

 

 


(死は私事)

死は
私事
余人を
許さない

悲苦を
慎み
生は静まる

色から
白へ
色から
黒へ

いつか
透き通る
現世

 「死は私事」というが、死は実感できるのだろうか。「死んだ」と私は納得できるだろうか。想像できない。私の知っている人は死を「自覚」して死んで行ったように見えるが、自覚は予測にすぎない。不透明だ。

 

 

 

 

 

(残らなくていい)

残らなくていい
何ひとつ
書いた詩も
自分も

世界は
性懲りもなく
在り続け

蝶は飛ぶ
淡々と
意味もなく
自然に

空白が
空を借りて
余白を満たす

 「淡々」「意味がない」「自然」。三つが同じものとして書かれている。「空白」を「余白」にかえるとき、谷川は「空」を借りている。「淡々と/意味もなく/自然に」だろうか。これは谷川の蝶になった夢だろうか。

 

 

 

 

 

 

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Estoy loco por espana(番外篇130)Jose Enrique Melero Blazquez

2022-01-03 10:48:38 | estoy loco por espana

Obra Jose Enrique Melero Blazquez
IND,2022

Al mirar el trabajo de José, me sorprendo lo flexible que es el hierro.
Pero no solo es flexible.
La superficie es rugosa. El óxido está a punto de invadir el interior.
El hierro está vivo mientras lucha contra el óxido invasor.

Al igual que este trabajo, el trabajo de la serie "nudo" también tiene algo que recuerda a un dulce japonés llamado "kinako nejiri".
José conoce este dulce?

ホセの作品を見ていると、鉄はこんなにしなやかなのか、と驚かされる。
しかし、ただしなやかなだけではない。
表面がざらざら荒れている。錆が内部へ侵略しようとしている。
その侵略してくる錆と戦いながら鉄は生きている。

この作品もそうだが、「結び目」シリーズの作品も、どこか「きなこねじり」という和菓子を思わせるものがある。
ホセは知っているだろうか。

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Estoy loco por espana(番外篇129)Joaquín Llorens

2022-01-03 10:45:09 | estoy loco por espana

Obra Joaquín Lloréns
T. Hierro óxido
58x37x29
S. M. N.

 

Es el Mediterráneo al atardecer o el Mediterráneo al amanecer?
Las suaves olas parecen un humano nadando o un delfín.
El rojo muy silencioso del óxido es impresionante.
Las sombras en las paredes nos recuerdan la profundidad y transparencia del mar.
Muchisimas gracias por hermosa obra.
un abrazo fuerte.

夕焼けの地中海か、それとも朝焼けの地中海か。
穏やかな波は泳いでいる人間にもやイルカにも見える。
錆のとても静かな赤が印象的だ。。
壁の影は海の深さと透明感を思い起こさせる。

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