詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

谷川俊太郎詩集『虚空へ』百字感想(28)

2022-01-05 11:56:55 | 谷川俊太郎『虚空へ』百字感想

谷川俊太郎詩集『虚空へ』百字感想(28)

(小さな黄色の花)

小さな黄色の花に
小さい白い蝶がとまった
見る歓び
今日が始まる

大きな混沌に
宿る
小さな秩序

タンブラーが
指を離れ
床へ落ちていく
一瞬

時を
凍らせる
言葉という破片

 「見る歓び」を、私は、花の歓び、蝶の歓びと読みたい。床に落ち砕けるガラス。そのとき「凍る」のも、ガラスのことば、床のことばと読みたい。ことばは詩人だけのものではない。

 

 

 

 

(姿なく)

姿なく
その道を行く
あのひとは誰?

時を嘲り
死を友として
未知の幻へ
人をいざない

終わりなく
問いつつ
答え

かりそめの
コーダに憩う
あのひとは
誰?

 姿がない。でも、どうして「あのひと」が見えたのか。「その道」は実在なのか。最初に存在するのは「道」なのか「ひと」なのか。私は「ひと」と読む。「ひと」を思い浮かべたとき、そこに「道」が始まる。

 

 

 

 

 

(昨夜から)

昨夜から今朝へ
夢無く
生きた

幾万の
胎児とともに
秋桜の
蕾とともに

眠りの
無心
目覚めの
苦に

些事の
淡い

 「目覚めの/苦に」の「に」は何だろうか。後に何が省略されているのか。この問は「些事」か。私は判断しない。ただ、この「に」につまずいた、と書く。その瞬間、見えたとも言えない「光」、暗い光を感じた。

 

 

 

 

 


(水平線で)

水平線で
陽炎に
揺れている
遠い誰か

そこへと
夢が
泳いで行く

頑なに
沈黙する
椅子と

言葉の
無垢受胎の

 「頑な」と「無垢」。「頑な」には意思があるが、「無垢」には意思がない。だから「頑な」には拒絶感がともなうのに、「無垢」は逆に拒絶感がない。「無垢」がさまよいだすのは「幻」に騙されてか。

 

 

 

 

コメント (1)
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