詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

ガルシア・マルケス ことばの選択

2022-01-11 10:17:27 | その他(音楽、小説etc)

ガルシア・マルケス ことばの選択

 ガルシア・マルケスの「予告された殺人の記録」をスペイン語版「Cronica de una muerte anunciado 」で読んでいる。野谷文昭の訳を見ながら、スペイン人に質問しながらなのだけれど。
 双子の兄弟が、サンチアゴを殺そうと思っている。それを知ったクロチルデ(牛乳屋の女)がなんとかサンチアゴを助けたいと思い、店にくる客に「サンチアゴのこのことを知らせて」と頼む。その部分に、こう書かれている。

a todos el que pudo le pidio prevenirlo donde lo vieran.

  この「donde lo vieran 」の「donde 」がわからない。野谷は「彼を見かけたら」と訳している。私の初級スペイン語(NHKのラジオ講座の初級編)レベルでは「cuando」になる。「彼を見かけたとき」。スペイン人の友人も「cuando」と書く、と言っていた。
 もちろん全体を読めば「見かけたとき」ということはわかるのだが、なぜ「donde 」なのか、その「理由」がわからなかった。こういうとき「donde 」をつかうのは一般的かとフェイスブックのマルケスのサイトで質問してみた。
 すると、そういうつかい方はすることがあるという反応があった。殺人がおこなわれるのはサンチアゴのいる村に限られている。これは「en un lugar 」という意味を含んでいるという答えもあった。
 私は、このことばに触れて、はっと気がついた。
 殺人は、きょう、いますぐにでもおこなわれようとしている。双子はサンチアゴを待ち構えている。「いつか(時間)」はあす、来週、来月ではない。あいまいではない。「いま」なのだ。「いつか、サンチアゴに会ったら」ではだめなのだ。「いますぐに、どこでもいいから、サンチアゴに会ったら」の「どこでもいいから」が強く意識されている。広い東京ではなく、小さな村なのだ。「どこ」も限られているが、それは「いま」という「時」よりも「広い」。そういう意識があるから「それがどこであれ、サンチアゴに会ったら」という「含意」が「donde 」にはあるのだ。
 マルケスは、あえて、つまり積極的に「donde 」をつかっている。無意識ではなく、意識的に、クロチルダの「無意識」を言語化しているのだ。「いつ、いますぐに」はクロチルダの「無意識」になってしまっているので、言語化されないのだ。言語化されない「無意識」が「donde 」のなかにあるとつたえるために、あえて「donde 」をつかっている。
 いやあ、すごいなあ。
 マルケスというと「魔術的リアリズム」が有名だが、それが「魔術的」であるのは、こういう細部にこだわったことばの選択があるだろう。

 ところで。
 「donde =場所」ということばから連想したのが、日本語にもこの「donde 」に類似した表現があるなあということ。
 「彼に会った時(彼を見た時)」のかわりに「彼に会った場合(彼を見た場合)」のように「時」と「場合」が区別なくつかわれる。すくなくとも単独で取り上げると、区別がない。マルケスの問題の文章も「彼を見た場合」というふうに訳すことができるのかもしれない。でも、「場合」は三音なので、「時」より間延びしてしまう。緊急な感じがしないなあ。
 そこで、再び野谷の訳文にもどるのだが、な、なんと「時」も「場合」もないではないか。「彼を見かけたら」。意識のスピード感が、そのまま再現されている。いやあ、いい訳だなあ、と心底、感心してしまった。

 以前、入院中に野谷の翻訳を読んでいたら、突然「謹賀新年」「インチ」ということばが出てきて、この謹賀新年は何? なぜセンチではなくインチと思ったのだが、物事が解決したときに、万事これでよし、めでたい、という意味で「謹賀新年(Feliz Nuevo Ano 」をコロンビアではつかうことがあるという。また、いまはメートル法だが、以前はインチをつかっていたということだった。マルケスは状況にあわせたことばを選択しているし、野谷はそれに配慮した訳を考えているということがわかった。ただし「謹賀新年」は直訳(?)ではなく、なにかしらの「意訳」が考えられてもいいのではないかと思う。日本語で読んできて「謹賀新年」に出会うと、やっぱりびっくりしてしまう。年明けでもないのに、なぜ「謹賀新年」と悩んでしまう。野谷は「謹賀新年、めでたし、めでたし」と訳しているのだが、せめて「めでたし、めでたし、謹賀新年」にしてもらえたら、「めでたい」が先に来て、「語呂合わせ(?)」、あるいは「地口」で「謹賀新年」と言ったことが伝わるのではないか。  

 

コメント
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