愛敬浩一『遠山立もまた夢をみる』(詩人の遠征12、洪水企画、2022年02月01日発行)
愛敬浩一『遠山立もまた夢をみる』には「失われた文芸評論のために」という副題がついている。
私はある時期から「文芸評論」というものを読まなくなった。講談社の花田清輝全集、新潮社の小林秀雄全集が家にある。あるだけだ。遠山立は、名前は聞いたことかあるが、一冊どころか、一ページとして読んだ記憶がない。だから、これから書くことは、愛敬の書いていることとはほとんど関係ないことになる。『遠山立もまた夢をみる』を読みながら、ふと思い浮かんだことの羅列になる。
私が評論を敬遠し始めたのは、たぶん、そこに「引用」が多すぎるからである。評論している(批評している?)作品の「引用」ではなく、その「引用」についての筆者の考えを補足するための「別の筆者の引用」が多いからである。何を読んでいるのか、私にはわからなくなる。
愛敬も、おなじ方法をとっている。
「1 なぜ〈吉本隆明論〉か?」は、遠山の「吉本隆明論」について書いた文章である。そこに吉本隆明の文章が出てくることは理解できる。吉本の文書を引用せずに吉本論を書くことは遠山にはできない。引用しなければ、「事実」というか、根拠というものがなくなる。
その延長線上に愛敬の評論はあるわけだから、愛敬の文章に「吉本の文書」「遠山の文章」が出てくるのは当然である。ここまでは、私はついていくことができる。(吉本も遠山も読んだことはないのだが、愛敬のことばをとおしてそこに接近していくことに抵抗を感じるわけではない。)
ところが、ここに埴谷雄高が絡んでくる。白河正芳が絡んでくる。磯田光一が絡んでくる。勢古浩爾という、私には名前も知らない人も絡んでくる。愛敬は「時代背景」というか、その当時の(あるいは、それ以降のことをふくめて)「ことばの背景」を立体的に描き出そうとしているのだと思うが、私は、ついていけない。
愛敬の感じている「実感」というものが、埴谷らの「ことば」のなかに分散してしまう。引用されている「埴谷のことば」は愛敬の知識なのか、愛敬の実感なのか。愛敬の実感を補足するための(説明するための?)知識なのか、他人の実感なのか。
ここで迷いながら、私は、こういうことで悩むなら埴谷の吉本論を直接読んだ方がいいなあ、と思ってしまうのである。私は、どうも「多数決派」ではないのだ。多くの人が言っているから、それでいいとは思えない人間なのである。ひとりひとり人間の考え方が違うのだから、自分の考えを補強する(?)ためにいくら多くの人を集めてきても意味はない、と思ってしまうのだ。「一対一」以上のことを考えたくない。いや、私の頭の容量に限界があって、「一対一」を超えると、どう考えたらいいのかわからなくなるのである。
言いなおそう。
愛敬が遠山論を書く。そのとき、遠山の書いた吉本論をテーマにする。このとき、愛敬には、「遠山の見ている吉本」とは違う「愛敬の見た吉本」が存在する。「吉本」を中心にして、愛敬と遠山が対面する。吉本を通ることで、愛敬と遠山のことが交錯する。この「愛敬-吉本-遠山」の関係をもっと知りたい。「愛敬-吉本」は「一対一」、「遠山-吉本」も「一対一」、その結果として「愛敬-吉本の一対一」と「遠山-吉本の一対一」が「統合された一対一」としてあらわれてくる。私の向き合うのは(予定している相手は)、その「統合された一対一としての愛敬」なのだが、そこに、先に書いたような埴谷やら誰それやらが絡んでくると、私が向き合う相手として想定していた愛敬の存在が遠くなる。それで、めんどうくさくなるのである。
私は、何について書いたときか忘れたが、ある詩人から「反知性主義」と批判されたことがある。「反知性主義」ということば新聞などで読んではいたが、実際にどういうことを指すのが私は考えたことがなかった。しかし、私の考え方が「反知性主義」ならそれはそれでかまわないと思う。私は「知識」というものを信じていないからである。私が「一対一」の場でつかみ取りたいのは、相手が何を「知っている」かではなく、何を「感じている」かだからである。「知っている」ことを全部捨てて「無知」になりたいというのが私の理想だからである。
私にとっての一番の「課題」は「死」である。「死」というものがあるということを私は「知っている」。そして、「死ぬ」ときは苦しいだろう、痛いだろうということも私は「知っている」。ただし、この「苦しいだろう、痛いだろう」というのは正しいかどうかわからない。死んだことがないから、わからない。そして、わからないのに、それを想像して悩んでしまうのは、私は「苦しいこと/痛いこと」がとても嫌いだからだ。
私は何年か前に網膜剥離の手術をした。手術室に入る直前、担当医が「痛いですよ」と言った。そして、手術後、ほんとうに痛かった。こんなに痛いなら、もう見えなくなっていいから目を摘出してとナースコールを押して言いそうになった。しかし、その手術はもっと痛いかもしれないと思って我慢した記憶がある。
これは「知っていること」であり、「実感していること」。たぶん、それを全部捨てられたとき死ぬことができると思う。死ぬとは「知っている」と思っていることが「知らなかった」と実感できることだろうと想像している。
「知らなかった」というのは、とても不思議な実感である。「わかった」という「実感」と結びついている。「わかった」は、私の感覚では「知った」とは違う。「知る」には説明がつきまとうが、「わかる」は説明を必要としない。
愛敬が「1 なぜ〈吉本隆明論〉か?」で引用しているさまざまな作家・評論家の文章を私は「知らなかった」。しかし、それは愛敬の文章(引用)を読んだだけでは「わかった」にはならない。愛敬が書いていることが「知識」だからである。それを「知らなかった/わかった」に変えるためには、私は埴谷らを読まないといけない。そういう「めんどう」は私はしたくない。私は「反知性主義」の人間である。私は「知りたい」のではなく「考えたい」。そして「知らなかった」にたどりつきたい。
これは、まあ、批評ではないし、感想でもない。単なる思いついたままの「日記」である。愛敬の本を「ダシ」にして、私のことばを動かしたということだね。愛敬には申し訳ないが。
ちょっとだけ補足しておくと。「4 『死の文化史』を読む」で愛敬は、テレビドラマを引用しながらことばを動かしている。私は、こういう方法は好きだなあ。そこでは、愛敬はテレビドラマを「補強材料」としてつかっていない。「考えるヒント」にして、そこから「考え始めている」。考えるとき頼りになるのは「知識」ではなく「実感」である。その「考え」に引っ張りだされてくるのは、「死」の対極にある「生」であり、「生」とは「性」に通じ、「愛」に通じる。愛敬の体験が「具体的」に書かれているわけではないが、愛敬の「肉体」のなかで生きている「生/性」が動き出し、「死とは何か」を考え始めていることがわかる。感じられる。私が読みたいのは、そういうことばの運動である。