詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

経田佑介『自伝風に、あるいは 彼方へ、狙撃兵よ』

2022-02-16 11:54:24 | 詩集

経田佑介『自伝風に、あるいは 彼方へ、狙撃兵よ』(ブルージャケットプレス、2022年01月16日発行)

 経田佑介『自伝風に、あるいは 彼方へ、狙撃兵よ』の「プロローグ」の最後の方に、こういう行がある。

イマハネバネバくりいむニ囚ワレテイルガ、
オレハ
断ジテ
果実ノ核ニ歓喜スル
白ッポイ虫ジャアリマセン。

 簡単に言いなおすと「精子ではない」と言う。しかし、私は「精子」を想像する。人間の(私の、だけかもしれないが)想像力には限界がある。想像力は、まったくの「空想」を想像できない。どうしても「現実」として知っていることのなかへ帰ってしまう。
 何度も出てくる「指」は、どうしたって手淫する手の指である。
 経田には、私の想像力を拒絶する権利がある。しかし私には、経田の書いたことばを「誤読」する権利がある。
 これは経田のことばについてだけの問題ではない。ひとは誰でも他人のことばを「誤読」する権利を持っている。つまり、他人の言ったことばを自分の都合にあわせて動かして、自分の問題として考えるということである。これは当然のことなのだ。他人が私の問題を代わりに考えてくれることなどできないからだ。どんな完璧なことばであっても、それはそのまま他者のなかに入っていき、他者を動かすということはない。他人のことばで自分の肉体や考えを動かすとき、そこにはどうしても何らかの変更が必要なのである。いまはやりのことばでいえば、カスタマイズしなければ自分の肉体を動かすことはできない。
 ややこしいのは、自他の肉体というのは完全に個別なものであるにもかかわらず、「他者」がわかるということだ。道にだれかが腹を抱えてうずくまっていれば、腹が痛いのだと感じてしまう。ここにはもちろん「誤読」もあるかもしれないが、(たとえば掏摸をするためにわざとうずくまってだれかが近づくのを待っているとか)、「誤読」であるかどうかはあとでわかることであって、「誤読」する瞬間はいつでも「正しい読み方」をしている。何が正しいか。「自分が腹痛を起こしたら腹を抱えてうずくまる」という認識、「自分」が「正しい」。
 これは「肉体のことは(腹を抱えてうずくまる)」であっても、「ことばの肉体」であっても同じこと。「自分なら、こういうとき、こういうことばをつかう」。だからこそ、他人の書いていることばを読んで、「これこそが私の言いたかったことだ(感じていたことだ)」思ったりする。他人のことばなのに。書いたひとは「お前の考えたことなんか、私には関係がない」と断言するだろう。「自分で考えた、お前から何も聞いていない。勝手におれのことばを自分のことばだと言うな」。極端に言えば、こういうことが起きているのが「読む」という現場なのである。

 私が書いていることは、詩集への感想には見えないかもしれない。まあ、見えなくてもかまわない。
 だが、少し、なぜこんなことを書いているかの補足をしておく。
 「ひりだされて」の「注が蛇足的であれば」に、こんな文章が出てくる。

 「引き裂かれている」というむかし流行した実存主義お気に入りの命題はいまなお強い実感を与え、命題の溝に足を奪われてるのは、偉大か阿呆にちがいないが、命題が自律性をもっている証拠にちがいない。

 ここには、経田の基本的な「ことばの肉体」のあり方が書かれている、と私は読んだ。「命題」を「経田の命題」(経田の詩)と読めば、それはそのまま経田のめざしていることにつながる。「ことばの自律性」が経田の詩を苦しめ、同時に詩に官能をもたらす。経田の詩ではなく、経田の肉体と言いなおしてもいい。
 「ことばには自律性」がある。それは、ある意味では「制御」がきかない。「自律性」があるからこそ、ことば経田を経田が知らないところまで連れて行く。未知の世界、未生の世界。ことばが動くことではじめてあらわれる世界へ。そのときのことばを、経田はひとつひとつ定着させる。経田の肉体に。
 人間は、そうするしかないのである、と私は思う。
 私が気になるのは、「むかし流行した実存主義」の「むかし流行した」という認識である。「むかし流行した」ということばを取り去って「実存主義」と書けないところ(書かないところ)に、経田の「肉体」と「ことば」の重要な問題があるかもしれない。「むかし流行した実存主義」ではなく「いまの実存主義」ではどうなのか。「むかし流行した」と書くことで、経田は彼自身の「肉体」と「ことば」を保護していないか。括弧にくくって安全地帯で動いていないか、ということが気になるのである。

白ッポイ虫ジャアリマセン。

 と否定するのではなく、「白ッポイ虫」そのものとしてことばを動かす。「白ッポイ虫」こそが「指」を動かしているのだという「自伝」そのものを読みたい。

コメント
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