中本道代「川のある街」(「みらいらん」9、2022年01月15日発行)
「みらいらん」9は「恐怖の陰翳」という特集を組んでいる。その巻頭の作品が、中本道代「川のある街」。さて、どんな恐怖が待ち構えているか。
廃屋の垣根にスイカズラが咲いている
スイカズラはふたつの白い花が対になって開き
夏の初めに道端で強い薫りを放つ
「スイカズラはふたつの白い花が対になって開き」という一行は、たしかに怖いことを書いているかもしれない、と思った。
キジバトの鳴くくるしさ
長い長い青大将が川を泳いでいく流線
これは、怖くないなあ。
川には小さな橋がいくつも架かっていて
どの橋にも名前があるのだった
幼いときに晴れ着を着て渡っただろうか
「どの橋にも名前があるのだった」は、私には、かなり怖い。私が生まれ育った田舎にも川があった。しかし、橋に名前はなかった。川にしても、いいかげんなもので、名前のない橋の架かっている川には名前がなかった。その川と、友人の家の後ろで合流する川は「大川(おおかわ)」と言った。大川といっても小さい川で、橋の架かっている川に比べると大きいからそう呼んでいただけだと思う。
「名前がある」というのは、私にとっては、ちょっと怖い。
青大将は砂州で休んでいる
長い長い体はそのときもくねっている
これも、ぜんぜん、こわくない。私は青大将がドグロを巻いているそのまんなかに足を突っ込んだことがある。すると青大将がするするっと足をのぼってくる。どうすればいいのか。たまたまその場所が家の背戸にある池のそばだったので、私は池に足をつっこんだ。すると青大将はほどけて(?)、水の上を滑るように泳いでいった。
私は何度も蛇が池を泳ぐのを見ている。瞬間的に、水につければ蛇は泳ぐと思い、足を池につっこんだ。すると想像どおりのことが起きた。
そういうことは、私には恐怖ではない。
廃屋の垣根からスイカズラを掠めとっていく風
この街のことを何も知らず
誰からも知られず
坂道で小さな渦を巻いている
どの坂を下っても川に突き当たるのだった
「どの坂を下っても川に突き当たるのだった」も、かなり怖いと思った。
でも、いちばん怖いのは、やはり「スイカズラはふたつの白い花が対になって開き」である。最初に読んで印象に残ったからか。「最初」というのもあるだろうが、何が怖いといって「花が対になって開き」という部分が怖いのだ。なぜか。それは「かわらない」からだ。
私が怖いと思ったことは、みな「かわらない」。
「どの橋にも名前があるのだった」。あした、橋の名前がかわるわけではない。かわるときかあるかもしれないが、それは、特別なこと。ふつうはかわらない。「どの坂を下っても川に突き当たるのだった」というのは、特別なことがない限り「かわらない」。
「かわらない」は自分の力ではどうしようもない、ということである。
中本がどういう意図でこの詩を書いたのかわからないが、私は「かわらない」なにかが存在すること、そのかわらなさを中本も怖いと感じているのかもしれないと思って読んだ。