詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

斎藤茂吉『万葉秀歌』(13)

2022-11-05 23:14:42 | 斎藤茂吉・万葉秀歌

斎藤茂吉『万葉秀歌』(13)(岩波書店、1980年、06月25日、第58刷発行)

磐代の浜松が枝を引き結び真幸くあらば亦かへり見む           有馬皇子

家にあれば笥に盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る          有馬皇子

 音がとても静かで、ゆるぎがない。万葉の歌は、読んだとき「口腔」を刺戟してくる音が多いのだが、この二首にはそういう感じがない。非常に引き締まった感じがある。
 茂吉は「写実の妙諦」と端的に批評している。

青旗の木幡の上を通ふとは目には見れども直に逢はむかも         倭姫皇后

 「直に」ということばが強くていいなあ。有馬皇子の二首にあったのも、この「直」という感覚だ。余分なものがない。
 倭姫皇后の「直に」は「一対一で」という印象を引き起こす。余分なものはない。妙な言い方だが、あやふやな「感情」というものがない。こう言っていいのかどうかわからないが、セックスするということと「直に」結びついた感じ。これが、いいなあ、と思う。古今集になると、セックスするにも、なにやら面倒くさい「前技(歌のやりとり)」なんかが必要。万葉も歌のやりとりをしているが、複雑な感情というよりも、早くセックスしたいという欲望のストレートさがあって、感情に汚れていない。
 「直に」とは、そういうことだと思う。つまり、「感情に汚れていない」、言い直すと、他人に(第三者に)、感情を見せようとはしていない。相手に欲望さえつたわればいい、という実に正直な感じ。本能、という感じ。

 


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ペドロ・アルモドバル監督「パラレル・マザーズ」(★★★★)

2022-11-05 18:13:09 | 映画

ペドロ・アルモドバル監督「パラレル・マザーズ」(★★★★)(2022年11月05日、キノシネマ、スクリーン3)

監督 ペドロ・アルモドバル 出演 ペネロペ・クルス、ミレナ・スミット

 この映画のいちばんの見所は、ミレナ・スミット。10代のシングルマザーの役。アルモドバルが手抜き(?)して撮っているイントロダクションの部分は、いや、ほんとに顔見せ。ペネロペ・クルも、ここは単なる「導入部」という感じで演じているので、見ている私も「これは物語を説明するだけのものだなあ」という気分で見ているし、ミレナ・スミットをちょっと変な顔だなあ。アルモドバルは変な顔の女が好きだからなあ、という中途半端な感じで見ていたのだが……。
 自立して、カフェで働き始め、ペネロペと再開するところからがぜん輝きだす。髪を切り、染めて、一瞬だれだかわからない。ペネロペが「アナなの?」と言って、そのことばで、あ、ミレナ・スミットかとびっくりする。この激変の過程には、過酷な「過去」があるのだが、その「過去」がペネロペの秘密と重なっていく辺りが、見物中の見物。
 いいですか?
 役者というのは、脚本を読んでいる。つまり、ストーリーを知っていれば結末も知っている。それなのに、ストーリーも結末も知らないふりをして演じないといけない。「秘密」はほんとうはペネロペとミレナに共通するものだが、秘密の「ほんとう」を知っているのはペネロペだけ。ミレナは知らない。その「知らない」を、きちんと演じないといけない。その「知らない」ミレナにペネロペは、真実を言うべきかどうか苦悩する。ペネロペの役は、演技の経験がない私がいうとヘンだけれど、役者なら演じることができる(と思う)。苦悩には、だれでも同情してくれるしね。ペネロペが涙を流すのを見て、笑い出す観客はいないだろうからね。
 真実を知らないまま、言い換えるとペネロペの「秘密」にあやつられる形で、ミレナは立ち直っていく。この過程がとってもおもしろいし、そこに嫉妬がからんできて、ミレナがペネロペを翻弄してしまうシーンなど、これ演技? と思うくらいの迫力。演じるのはペネロペであって、ミレナの実際の動きはほとんどないのだけれど、そのペネロペの変化を引き出している「存在」としての、なんともいえない「存在感」がすばらしい。
 そのあと、ミレナはペネロペの手を離れてというか、ミレナがペネロペを切り捨てて、さらに自立していくのだが、これを、もうペネロペは止めることができない。ペネロペは感情の揺れというか、感情を演じているのだが、ミレナは感情だけではなく「意思」をも演じている。
 これがね、ほんとうにすごい。
 意思を持たなかった女が、意思を持って動き出すというは、昔で言うとジェーン・フォンダが巧みに、演じて見せたが、ふとそんなことも思い出してしまうのだった。これからのアルモドバルの映画の「宝物」になるかもしれない。演じているではなく、「意思」が生きている、という感じがするのである。「意思」がそこに存在するなら、「感情」の変化など、演じなくてもいいのだ。感情は、彼女のまわりが(たとえば、ペネロペや母親が)演じて、そこに「世界の陰影」を反映すればいいのだ。

 最初と最後に、スペイン内戦のことが少しだけ出てくる。これが私には、かなり強引に感じられるが、内線を生き抜いた女性を描くのが、これからのアルモドバルのテーマなのかもしれない。戦争は戦う男の視点で描かれることが多いが、内戦で死んでいく男を見続けた女の姿をアルモドバルは、どう描くのだろうか。ミレナ・スミットが中心人物を演じるだろうなあ。早く、それを見てみたい。

 


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Estoy loco por espana(番外篇231)Obra, Laura Iniesta y Jesus Coyto Pablo

2022-11-05 10:11:55 | estoy loco por espana

Obra, Laura Iniesta
"Germination"107 x 78 cm. / 42 x 31 in.Mixed media on Hanhnemühle 300 g.paper.

Obra, Jesus Coyto Pablo
En el jardín de la Luna Negra" Serie de 30 cuadros 1995 alquitrán y oleo Collage sobre madera

Pienso en el "negro" mientras miraba la obra de Laura Iniesta y Jesús Coyto Pablo.
El negro de Laura me recuerda al negro de la tinta negra. Da la impresión de escribir caracteres chinos con un pincel grueso.

En el negro de Jesús, hay muchos negros en su obra. No sé cuántos negros hay en negro y es difícil saber cuál  es  verdadero negro en su obra. Además hay varios colores flotando sobre el negro, o el negro se hunde sobre los distintos colores.


Permítanme decirlo de otra manera.
El negro de Laura se siente como algo en su mente que entra en erupción antes de convertirse en un color y correr como un loco en el papel. Su pureza está llena de energía joven que está a punto de crecer.
Hay una zona gris a la derecha. Eso me imagina otro color que no está presente en este cuadro. ¿Cuál es el mejor color para este negro intenso y dinámico? En mi mente, intento cambiar la parte blanca dorado y la gris a rojo. Luego la parte blanca a azul y la gris a amarillo.
No importa con qué color sustituya el blanco, negro brilla más que cualquier otro color.
El negro de Laura tiene el poder de hacer desaparecer todos los colores.

Negro en Jesús, pienso que es lo contrario de negro en Laura.
Cada color se esconde negro detrás de una serie de colores. Esos negros son arrastrado por una misteriosa fuerza de atracción (la gravedad) y se desprenden de los colores. Entonces se converten en un enorme negro. Al igual que el verdadero negro se crea cuando se mezclan todos los colores.
Pero por muy fuerte que sea la atracción del negro, es decir, por mucho que se intente mezclar los colores, hay algo color que no se mezcla. Habrá una especie de "resistencia" que quedará como un color.
Este puede ser el sufrimiento de Jesús; puede ser el sentido de su vida. Nunca se puede ser verdaderamente negro. Jesus no puede crear verdadero negro. No hay negación absoluta(negro), no hay muerte(negra). Algo está siempre viviendo, Jesus siempre vive, lo que hace sufrir a la muerte (negra). Siento algo así: la belleza de la existencia de las contradicciones.

 


Laura Iniestaと Jesus Coyto Pabloの作品を見ながら、「黒」について考えた。
Laura の黒は、墨の黒を連想させる。漢字を太い筆で書いているような印象がある。

Jesusの黒は、一枚の絵の中の、どれがほんとうの黒なのかわからない。黒にいったいどれだけ多くの黒があるか、わからない。黒の上にさまざまな色が浮かんでいるのか、さまざまな色の中から黒が沈んでいっているのか。


言い直そう。
Laura の黒は、彼女のこころの中にあるものが色になる前に噴出してきて、紙の上で暴れている感じがする。その純粋さは、これから成長していく若いエネルギーに満ちている。
右側に灰色の部分がある。それが、この絵には存在しない別な色を思い起こさせる。この黒、激しく躍動する黒に、いちばんにあう色は何なのか。頭の中で、白い部分を金色に、灰色の部分を赤にかえてみる。さらに白い部分を青に、灰色の部分を黄色にかえてみる。
何色にかえても、どの色よりも、Laura の黒は強く輝いてみる。
とても強い力が動いている。Laura の黒は、すべてを色を吐き出す力を持っている。

Jesusの黒。Laura の黒とは逆に考えてみる。
すべての色はいくつもの色の奥に隠れている。それが不思議な引力(重力)に引かれて、色から剥離していく。そして、巨大な黒になる。すべての色を混ぜ合わせと、ほんとうの黒が生まれるように。
しかし、どんなに黒の引力が強くても、つまり、どんなに色を混ぜ合わせようとしても、何か混じり合わないものがある。色として残り続ける「抵抗力」のようなものが存在してしまう。
これがJesusの苦しみかもしれない。Jesusが生きている意味かもしれない。ほんとうの黒にはなれない。絶対的な否定、死は存在しない。何かが必ず生きていて、それが死(黒)を苦しめる。矛盾が存在することの美しさ、というものを感じる。

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