詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

斎藤茂吉『万葉秀歌』(15)

2022-11-18 21:52:22 | 斎藤茂吉・万葉秀歌

斎藤茂吉『万葉秀歌』(15)(岩波書店、1980年、06月25日、第58刷発行)

零る雪はあはにな降りそ吉隠の猪養の岡の塞なさまくに          穂積皇子

 読み方も、歌の意味もいろいろあるらしい。そういうことを無視して、私の感想を書けば、「零る雪はあはにな降りそ」までは、なめらかに発音できる。ところが「吉隠の猪養の岡の塞なさまくに」が非常に難しい。「よなばりの・ゐがひのをかの・せきなさまくに」は知らない国のことばのように響く。「の」の繰り返しがリズムをつくるのだが、私の耳には定着しない。万葉のひとは、きっと私の発音する「音」とは違う音で発音していたのだろうと思う。
 私は、富山の生まれなので「ゆき」のアクセント(高い部分)は「ゆ」にある。そうすると「き」は、多くの人が発音する「き」の音よりはるかに弱い。「い」の量が半分以下かもしれない。その「き」が「せき」の「き」に重なる感じで、「せき」も「せ」にアクセントを置いて読んでしまうことも関係するかもしれない。
 そして、その違いを感じながら(感じるからか)、昔のひとは強い声を持っていたなあと思うのである。とくに「せきなさまくに」の「な」「ま」「に」の音に拮抗する強さで読んだんだろうなあと感じ、それを実際に聞いてみたい気持ちになる。

楽浪の志我津の子らが罷道の川瀬の道をみればさぶしも          柿本人麿

鴨山の磐根し纏ける吾をかも知らにと妹が待ちつつあらむ         柿本人麿

 こういう悲しい歌も、なぜか、消えていく音ではなく、前に出てくる音だなあと感じる。引いていく音というか「弱音」がない。なんというか、こういう音を聞くと、返事をしないといけない気持ちになる。「聞こえなかった」と言えない「声」なのである。一生懸命の声と言えばいいのか。

 

 

 

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Estoy loco por espana(番外篇238)Obra, Paco Casal y Jesus Coyto Pablo

2022-11-18 09:58:56 | estoy loco por espana

Paco Casal
"La luz roja del espigón" 41 x 80

 El cuadro de Paco. ¿Justo después de que pasara la tormenta? Una luz brilló a través de una brecha en las nubes. Una luz roja que llega a lo más lejos. Primero ilumina el espigón.

 

Jesus Coyto Pablo
"Días de tiempo gris" serie pictografias Año 2010 100 x100 cm


 El cuadro de Jesús. La lluvia fría ha comenzado a caer. Todavía hay algo de brillo en el cielo, pero se oscurecerá. Destaca un paraguas rojo. Tiene un brillo que de alguna manera es ligero, pero me embarga un desasosiego ineludible. 

*

 Miro el "rojo" de los dos pintores.
 El rojo de Paco se extiende desde la estructura detrás del espigón hasta los alrededores. El color se crea cuando la luz incide sobre un objeto y se difunde. Este rojo se extiende muy lentamente. Al extenderse, tiñe el entorno. Y en el proceso de propagación, me da la sensación de que el rojo cambiará a otro color.

 El extraño azul verdoso de la parte izquierda del cuadro parece ser los restos de un mar destrozado por una tormenta (quizás el mar era un individuo, no un líquido). La luz roja acabará extendiéndose allí también. ¿A qué color cambiará entonces el azul-verde? al mezclarse el rojo y elazul-verde (azul + amarillo) de la pintura se vuelven negro , pero el rojo,azul y verde de la luz se vuelven blanco. El blanco está salpicado por todo el cuadro, lo que también lo alegra.

 El rojo de Jesús no se extiende como el de Paco. Más bien, el rojo parece ser una cristalización del rojo que existe en el mundo en forma de paraguas. También es un color que sólo existe en este momento. Es el último rojo. Una vez que la pareja sale del cuadro, no hay más rojo. La absorbe el paraguas negro que camina detrás de ellos, sus ropas negras y el negro del interior del edificio. (El rojo del paraguas es algo parecido al color bermellón japonés que se produce al mezclar laca negra con la roja, aunque sería extraño decir que es una prueba de ello.)

 El primer rojo que no tiene una forma clara, el último rojo atrapado en una forma. Es extraño.

 Pacoの絵。嵐が通りすぎた直後か。雲の切れ間から光が差してきた。もっとも遠くまでとどく赤い光。それが最初に防波堤を照らす。

 Jesus の絵。冷たい雨が降り始めた。空には明るさが残っているが、これから暗くなるだろう。赤い傘が目立つ。どこか光を感じさせる明るさを持っているが、私はいいようのない不安にとらわれる。  


 二人の画家の「赤」をみつめた。
 Pacoの赤は、防波堤の奥(?)にある構造物から周辺へ広がっていく。色は、光が対象にぶつかり、拡散していくときに生まれる。それは、つまり光の反射と言い直すことができると思うが、この赤は非常にゆっくり広がっていく。あまりにゆっくりなので、反射というよりも滲み出すという感じ。滲み出しながら、周辺を染めてゆく。そして、その広がっていく過程で、赤から別の色に変わっていくことを予感させる。
 絵の左側の不思議な青緑は、まるで嵐で叩き壊された海の瓦礫(海が液体ではなく、個体だったのかもしれない)のようにも見えてしまう。赤い光はやがてそこにも広がるだろう。そのとき青緑は、どんな色に変化するのか。絵の具の赤・青緑(青+黄色)は混ぜると黒になるが、光の赤・青・緑は白になる。その白が、絵のなかで点在しているのも、この絵を明るくしている。

 Jesus の赤は、Pacoの赤のように広がっていくことはない。むしろ、その赤は、世界に存在する赤を傘の形に結晶させたもののように思える。それも、この瞬間にだけ存在する色だ。最後の赤なのだ。二人が絵の外へ出てしまえば、赤はなくなる。後ろから歩いてくる黒い傘、黒い服、建物の内部にある黒にのみこまれてしまう。それが証拠に、というと変だが、この傘の赤は赤い漆に黒い漆を混ぜていくときにできる日本の朱色にどこか通じる。

 明確な形を持たない最初の赤、形に閉じ込められた最後の赤。不思議だ。




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