詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

林嗣夫「「物」について」

2022-11-14 21:36:39 | 詩(雑誌・同人誌)

林嗣夫「「物」について」(「兆」196、2022年10月28日発行)

 林嗣夫「「物」について」の二段落目を、私は、繰り返して読んでしまった。

 ある日の午後、少し部屋の空気を入れ替えようと戸を開けて、庭のあちこちに目をやっていたら、向こうの片すみに何やら白っぽいものが置いてある。一瞬、何だろうと思ってそこに視線を止めたのだが、すぐに了解がついた。浴室で体を洗うときに座る、プラスチック製の小さな腰掛けだった。この家を建てた時から使いつづけてきた道具の一つである。こちらも年を重ね、体の動きも悪くなったため、もう少し座りぐあいのいい高めのものにしたいと、妻が新しい製品に買い替えて、古いのを外に出してあるのだ。

 これは、「物」に行き当たった例を紹介するという書き出しを受けた、いわば起承転結の「承」の部分。いちばん地味で、どうでもいいというと変だけれど、あまり力をこめて書かない部分である。本当に書きたいことは、「転」を経て「結」にいたることばの運動、とくに「結」に書きたいことを結晶させるのだと思う。
 実際、このあと、林のことばは、深まっていく。つまり、私なんかが考えないことを、しっかりていねいに追っていく。そこには「物」に対する「気」が書かれ、一気に哲学的な思考に変化するのだが。
 そこはそこでおもしろいのだが。
 ていねいに読まないといけないのだが。
 わかっているけれど、私はいま引用した部分を何度も読み返して、いいなあ、と感じるのだ。何がいいかというと、とてもむだなことが書いてあるのがいい。「ある日の午後、庭の片隅に、古くなった浴室のプラスチック製いすが捨ててあったのをみつけた」と書けばすむことなのに、林は、妙にながながと書いている。「一瞬、何だろうと思っ」たが「すぐに了解がついた」のだから、私の書いたような文章でいいはずだ。でも、林はながく書いている。「浴室で体を洗うときに座る」なんて説明をしないと理解できないものではない。「浴室の椅子」というだけで、小学生だってわかる。いや、幼稚園児だってわかる。でも、林は、「浴室で体を洗うときに座る」という説明を書いてしまう。この「説明」こそが、私には「もの」に感じられるのだ。林の「肉体」が動いて、その「肉体」でつかみとっている「存在感」。それは「この家を建てた時から使いつづけてきた」にもあらわれている。そんなこと、「哲学」とは関係ない、個人的な事実だね。「こちらも年を重ね、体の動きも悪くなったため、もう少し座りぐあいのいい高めのものにしたい」までくると、笑いださずにはいられない。林さん、私は、あなたが「もう少し座りぐあいのいい高めの」椅子を望んでいるかどうかなんて、気にしない。それは「哲学」ではなく、林の個人的な「肉体の事情」。でもね、その私が「肉体の事情」と呼んだものこそ、あとから出てくる「気」よりももっと「哲学」だと思う。
 そして、その「哲学」の特徴は、ややこしい「ことば」の説明ではなく、「肉体」がかってに「わかってしまうこと」。私は、実は、大腿骨を骨折した関係で、それこそ「少し高めの椅子」をつかっているのだが、この「少し高め」というのはもちろん高さ何センチという具合に表現できる(客観化できる)けれど、「肉体の主観の判断」の方が大事。他人に説明できない「微妙さ」が大事。高さのほかに、座面の素材とか、そのうちに手すりがあるかどうかということも関係してくるかもしれないが、それは、なんというか「肉体」が納得すればすべてOK。ことばにしなくていい。客観化しなくていい。そして、客観化しなくても、だれもが「自分にはこれがいちばん」とわかる。自分で納得できる。私は「哲学」というのは、そういうものだと思う。自分で納得できる何か。他人がどう思うかなんかは「哲学」には何の関係もない。プラトンがその椅子はダメだ、マルクスがこの椅子にしろ、といったって、そんなことは関係がないのだ。「哲学」とはなによりも、肉体が存在とする時に必要な「もの(ことば)」なのである。
 「椅子」は、はっきり「もの」とわかるが、「ことば」も「もの」である。
 だから、と私は、飛躍して書くのだが、私の母は無学だから、自分でどうしようもなくなった時、なぜか仏壇の前で「南無阿弥陀仏」と唱える。そんなことで、どうにもならないことが解決するわけではないのだが、どうにもならないことも「南無阿弥陀仏」ということばを口にすることで受け入れていた。こんなことは、私にはできない。よくそんなことで生きていけたと思うけれど、そこには私には理解できない、私の母の「哲学(思想)」があるのだと思っている。「思想(哲学)」なしで生きている人間はいない。「ことば」があり、「ことば」で考えてしまうのが人間なのだから。
 で、その何と言うか、「ことば」が林の「肉体」から離れず、くっついて動いている部分、それがとてもおもしろい。だって、林以外の人間は、こんなふうにして浴室の、いらなくなった椅子を描写したりすることはない。いい? いらなくたったものだよ。捨てるのに困るものだよ、いまは。燃えるゴミに出していいのかな?なんて考える必要があるくらいだ。
 それでね。
 そのもういらないもの、どうしていいかわからないもの(わかっているかもしれないけれど)を「外に出してあるのだ」としめくくっている。この「出してある」も、とっても変な「味」がある。絶妙な「味」がある。ゴミも「ゴミ出し」というくらいだから「出す」という動詞をつかうのだけれど、その前にわざわざ「外に」ということばを補っている。(ゴミ出しのとき、わざわざ外にゴミ出しをする、とは言わない。)
 ここからわかることは。
 そうなのだ。その浴室の椅子は、実は単なる椅子ではなく、林の「肉体」の一部だったのだ。その椅子によって、林の「姿勢」が決まる。それは「肉体」の外にあって、林を支えるを通り越して、いつもその椅子に座ることで、林の「肉体」になっていた。つまり、「肉体」の一部だったのだ。「肉体になる」というのは、「肉体の内部になる」ということである。それを、手術で腫瘍を取り出すようにして、外に出して、そこに「ある」。
 詩の後半には「いのち」ということばも出てくる。「肉体」とは、「いのち」の入れ物である。そこには「思想(ことば)」も入る。そして、それは「肉体」から取り出された時、「もの」になるのだ、というようなことを思った。だから、二連目の奇妙に即物的な、精神的でも感情的でもないことばこそ「もの」なのだ。
 林は「物」について書いているのだが、「物」よりも、その「物」の書き方に、林の「肉体」を感じ、その「肉体」に触ったような感じ、「肉体」の存在感を強く感じ、に段落目がいいなあ、と思ったのだ。

 

 

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