詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

池田清子「白」、青柳俊哉「モナリザ」、杉惠美子「クリスマス」、木谷明「葉音」、徳永孝「招待状」

2022-12-16 17:42:40 | 現代詩講座

池田清子「白」、青柳俊哉「モナリザ」、杉惠美子「クリスマス」、木谷明「葉音」、徳永孝「招待状」(朝日カルチャーセンター、2022年12月05日)

 受講生のひとりが西脇順三郎の詩を持ってきた。まず、それを読んで、そのあとみんなの作品に西脇に通じるものがあるか(似たことばづかいがあるか)、あるとすればどれか、ということから語り始めた。

秋 2  西脇順三郎

生垣の
さんざしの秋の中に
あごをさして
居眠る
乞食の頭を
よこぎる
むらさきの夢は
ミローの庭の
断面
に黒く流れる                            


ミロー   ジョアン・ミロ20世紀のスペインの画家。シュルレアリスム。
西脇順三郎 1894年(明治27年) - 1982 年(昭和57年)詩人、英文学者。第二次世界大戦前のモダニズム、ダダイスム、シュルレアリスム運動の中心人物。
出典    禮記 1967 年(昭和42年)

 西脇を初めて読む受講生もいて、独特のことばの選択、リズムへの反応が強かった。「乞食」ということばを詩につかうのも新鮮だったようだ。「乞食は何も持たない自由人をイメージしている。西脇らしい」と西脇を読んだことのある受講生。「さんざしの秋の中には、ふつうは秋のさんざしの、という言い方をする。ことばの順序が逆でおもしろい」「最終行の、助詞のにが一番上にきているところが今風」「あごをさして、がわからない」「うっとりと眠る様子ではないか」「ミローの庭の断面の、断面が想像できない」「むらさきの夢、がわからない」「黒く流れる、が強烈」「西脇が黒を使うのはめずらしいのではないか」
 私は、特に解説はしなかった。こういう詩がある、こういうことばの動かし方がある。それに出会うことが大切だと思う。「さんざしの秋の中に」というか「秋のさんざしの中に」というか、あるいは「秋のさんざしの中に」というか。ことばは、たぶん、さまざまな暮らしのなかで「修正される」。「その表現は不自然だ。こういうのが自然だ」という具合に教えられ、少しずつ、整えられる。この「社会」が少しずつ教え込む「教育」から、どこまで自由になれるか、と書くとおおげさかもしれないが、ことばを意識的にいままでとは違う形で動かしてみる、いままでつかわなかったことば、詩には不似合いだと思っていたことばをつかってみると、詩はかわるかもしれない。

白  池田清子

建ったばかりの
真っ白な壁
白い陸屋根

真っ白なシーツ
白いワイシャツ、白いシャツ、
白いワンピース

背景も
やっぱり
白にしようか

白い部屋の真ん中に この絵を掛けて
白いレースのカーテンを
天井からつるそう
白くて柔らかい薄い生地を
机や椅子に無造作にかけよう
白いシーツ、ワイシャツ、ワンピースは
壁に 貼りつけるとしよう

私も 白い服を着ていよう

 池田は「西脇の詩とは真逆の世界だ」と自己評価した。最初の三連だけでいいのではないか、という意見の一方、四連目がおもしろいという意見があった。最初の三連だけでは抽象的すぎる。四連目があるから具体的になる。
 西脇の特徴は、そこに書かれていることばが「具体的」ということだと思う。
 池田の詩では、「無造作」が西脇の具体性に通じるかもしれない。整えられ、抽象に消化される前の存在感。「白いシーツ、ワイシャツ、ワンピースは/壁に 貼りつけるとしよう」の「貼りつける」も新しいつかい方をしていると思う。


モナリザ  青柳俊哉  

氷河湖にしずむ山岳と
隆起する海底との境に立つ 
夕日に明るむ女の額 背後の
細い谷に密生する 有明すみれ

幼いイエスが春の綿毛を
ふきちらした アルプスを越えて来る
葦毛の白い皇帝の馬たちの 息吹の朝へ 
女は嚏(くさめ)して 黒い歯を覗かせわらった

裸にされた花婿のイエスのために
柔らかい口角の女の永遠のために 唇のうえ
の髭の三日月が かき消されるとしても 
額のむこうの すみれは輝きつづける

 青柳の自己評価。「センテンスが長い。イメージが近いものを持ってきている。西脇はかけ離れたイメージを結びつけるので、ことばのインパクトが強い」
 「イメージの広がり、辞書の定義とは違うイメージ、意味をことばにこめているという点に西脇に似ているのではないか」という指摘があった。
 私は「女は嚏して 黒い歯を覗かせわらった」が西脇のことばの運動に少し似ていると思った。「嚏」に含まれるユーモアが効果的だ。
 その行について「ミローの庭の/断面/に黒く流れる」を思い出すという受講生もいた。
 二回登場する「すみれ」も西脇の好みそうな音、色である。「の髭の三日月が かき消されるとしても」の行頭の「の」も西脇に通じる。切断されたイメージが、強引に結びつけられる。その瞬間に、世界が、動く。そのときの衝撃が詩なのだと私は思う。

クリスマス  杉惠美子

ある日 新聞広告が目に入り
旅に出かけた
何かに出会える気がした

欲しいものは何? 

 もうすぐ クリスマス
 サンタさんに手紙を書いて
 クリスマスツリーを飾って
 靴下を下げよう

あの時の あの人からの言葉
あの時の あの人からの手紙
あの時の あの人からの報告

旅の空の下
道の駅で来年咲く花の種を買った

 杉の自己評価。「西脇は、イメージの彼方にあるものが高い。私のは、かわいらしい」。西脇のイメージが拡散的であるのに対し、杉のことばは身近な存在を結びつけているという意味だろうか。ことばの意味が「日常」の周辺で動いているという点では、池田の世界に近いか。
 「西脇に通じるものがあると思う。抽象的なところがあり、暗い気持ちにならないところが西脇の詩を読んだときと同じ」「古典的な感じがする部分が西脇に似ている」「生活感が違う」「あの時の、を繰り返しリズムを整えるやり方。リズムのことを考えているのが西脇に似ている」
 私は「新聞広告」ということばは「乞食」に通じると思う。イメージではなく、存在感がある。「道の駅で来年咲く花の種を買った」の「来年」も抽象的ではなく、非常に具体的な感じがする。どんな花か、花の名前ではなく「来年咲く」というのがおもしろい。花の種は、今の季節なら、たいてい「来年咲く」。二年先、十年先ではない。つまり、ふつうはいわなくてもわかることなのだが、それをわざわざ言うと、そこに「手触り」がでてくる。そういう「手触り」の出し方が、西脇に似ているかもしれない。

葉音  木谷 明

…………なに、
……わたし、
落ち葉、
振り向く、

そう、
そう。

枯れ葉、
落ち葉、
振り向く。

そう、
そう。

   *

降る……
……離れる……   
空振れて落葉(らくよう)の葉音

 木谷の自己評価。「風景を、心象風景に落とし込むところが似ている。私の詩は、透明度がある。時代背景が違うし、西脇の詩には男の視点があり、生活のとらえ方が違う。行わけの仕方は、西脇の詩はいまっぽく、似ている」
 「そう、/そう。という音、表記の仕方が似ている」「感覚的なことロスが似ている」と受講生の指摘。
 私は、最終行の音への配慮が、西脇に通じるかと思った。音そのものは西脇に似ているとは感じないが、音を重視してことばを動かすという方法は西脇に通じると思う。

招待状 徳永孝

アリスから夜のお茶会への招待状が届きました

チューリップやスズランの花を飾って
そうそう彼女のことですから
ユーカリの小枝も添えるでしょう

きっと彼女のお気に入りの
白磁のティーセットと
銀のスプーンを使うでしょう

お茶はダージリンかアールグレイかそれともオレンジペコ?
ストレートとミルクティーどちらが合うかしら
彼女の趣向が楽しみです

ナイチンゲールも来るそうです
気のおけない同士の静かな会にしたいそうです
三月うさぎ達のお茶会で懲りたな、と思いました

さて何を着て行きましょうか
ちょっとしたプレゼントも有った方が良いかしら
これから少し忙しくなりそうです

 徳永の自己評価。「自分の詩はイメージが具体的でわかりやすい。現実の風景を描きながら、奥にあるイメージを描いている」。
 「アリスという架空の人物、現実にはないイメージをもってくる、その世界観、精神の自由度が似ている」「ナイチンゲールからの三行が、主客が交代するというか、アリスの気持ちが突然出てくるところが、飛躍があって似ている」
 「ナイチンゲール」からはじまる三行について言えば、「、と思いました」がない方がより西脇に近くなると思う。イメージの躍動感を、「論理」が押さえ込んでいる。西脇なら、論理を叩き壊すためにイメージを躍動させる。西脇が書いているのは、イメージの躍動というよりも、論理の躍動である。

 

 

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「現代詩手帖」12月号(7)

2022-12-16 10:04:29 | 現代詩手帖12月号を読む

「現代詩手帖」12月号(7)(思潮社、2022年12月1日発行)

 蜆シモーヌ「乙女」。

あたしとても
きのこになりたい

 この二行は、小学生が「ぼくはきょうりゅうになりたい」と書くのに似ている。違うのは、そのあとだ。

きのこになるまでの
途方もないみちのりにいつかなりたい
森のしめりけの
ひふのうえを
かしこくかしこく
微分して
ひくくひらたく
へりくだるきのこの
実をむすぶあのやり方がとてもすき

 「きのこ」そのものよりも、「みちのり」、言い換えると「過程」になりたい。これはこどもには思いつかない。しかも、その過程は「途方もない」のである。長いのか、変化に富んでいるのか。
 それが「森のしめりけの」以下につづいていく。
 こういうことは「わざと」書いているのだが、その「わざと」はていねいなので、「わざわざ」になる。
 ほかの行はなくてもいいなあ。この十一行だけで、完璧な詩になっている。ほかの行を書いているのは、完璧を隠すためかもしれない。それならそれで、とてもいい。完璧なものは、完璧と言ってしまったらもう言うことはなくなる。

 中本道代「川のある街」については、ブログで書いたかもしれない。

廃屋の垣根にスイカズラが咲いている
スイカズラは二つの白い花が対になって開き
夏の初めに道端で強い薫りを放つ

 「スイカズラは二つの白い花が対になって開き」という一行がていねいだ。中本の視線が細部にまで注がれていることがわかる。しかも、その視線の注ぎ方は「客観的」なのである。「対になって」ということばが「客観的」だ。
 この「客観性」は、詩の途中で、もう一度発揮される。

どの坂を下っても川に突き当たるのだった

 川は低いところを流れている。それだけのことであるが、「低いところ」と言わずに「坂を下る」という動詞と結びつけて書いているところがとてもていねいだ。
 「対になる」も単に「客観的」と言うよりも、そこには「人間の行為」が反映されているかもしれない。どこかに「人間」をもとめるこころが動いているように感じられる。「人間」をもとめているからこそ「廃屋」も気になるのだろう。

キジバトの鳴くくるしさ

 という一行もとても印象的だが、「くるしさ」になにかしら「人間」の反映を感じるからである。
 印象的な行(ことば)は、いずれも「わざわざ」書かれている。そこに中本の個性、人間性を感じる。中本のことばには、主観と客観の静かなバランスがある。
 ところで。
 中本は「街」と書いているが、私は昭和の「村」を思い浮かべながら読んだ。

 牟礼慶子。彼女も新井豊美と同じく故人。「愚かな弁明」は「遺書」のような作品である。その終わりの四行。

しかし私の方は今度こそ
空よりもずっと低いと
ひげも生やしてなどいないと
大声をあげながらこの世から出て行ってやる

 「しかし」を説明するには、前の部分が必要なのだが、想像すれば、なんとなくわかるだろう。
 「大声をあげながら」がとてもいい。「遺書」というのは「わざわざ」書くのか、「わざと」書くのかわからないが、牟礼は「わざわざ」書いたのだと思う。「大声をあげながら」に切実さがある。

 


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