詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

Estoy loco por espana(番外篇263)Obra, Jose Abel

2022-12-22 22:10:06 | estoy loco por espana

Obra, Jose Abel
Seleccionado en el XXI Certamen Cultural Virgen de las Viñas 2022, con mi obra "Brumas en Londres" Feliz

En el dique seco 150x100
Mixta con fuego sobre tabla

 El negro de José Abel tiene "memoria". Más bien sería mejor decir "récord".
 Una cosa existe. Con el tiempo, pierde su forma inicial y se convierte en otra cosa. Aunque se haya convertido en otra cosa, algo permanece en ella. Cuando hablamos de "memoria", hablamos de algo espiritual o humano; el negro de José es mucho más material. Es un "récord" que existe sin espíritu humano, sin emoción.
 Un "récord" es también un "crueldad". Piense lo que piense, siente lo que piene, el negro de José sigue existiendo. No tiene nada que ver con las emociones humanas.
 Cuando las cosas se convierten en "récord", las personas también se convierten en "récord": los enormes barcos y edificios urbanos que dibuja José quedan como "récord" de que allí vivía gente. El "récord" trasciende las cosas y se convierte en el propio "tiempo", y seguirá existiendo eternamente. El color negro de José me dice que lo que los humanos podemos dejar atrás no es el espíritu ni las emociones humanas, sino un "récord del tiempo" en que hemos vivido.

 Jose Abel の黒には「記憶」がある。むしろ「記録」と言った方がいいかもしれない。
 ものが存在する。そのものはやがて最初の形を失い別なものになる。別なものになってしまっても、そこには何かが残っている。「記憶」というと、精神的なもの、あるいは人間的なものになってしまう。Joseの黒は、もっと物質的である。人間の精神、感情がなくても存在する「記録」なのだ。
 「記録」とは「非情」のことでもある。私が何を思おうが、私の思いとは無関係に、Joseの黒はそこに存在し続ける。「非情」とは、そういう意味である。
 ものが「記録」にかわるとき、人間も「記録」になる。Joseの描く巨大な船や都会のビルは、人間がそこに生きていたという「記録」として残る。「記録」はものを超えて「時間」そのものになり、永遠に存在し続けるだろう。人間が残しうるのは、人間の精神、感情ではなく、人間が生きてきた「時間の記録」だと教えてくれる。

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「現代詩手帖」12月号(13)

2022-12-22 11:42:30 | 現代詩手帖12月号を読む

「現代詩手帖」12月号(13)(思潮社、2022年12月1日発行)

 山崎佳代子「旅は終わらない」。一連目、

耳なれぬ国々の言葉たちが
通りすがりの町にあふれ
重い足音と混ざりあい
音楽となっていった
人の列はとぎれず
長旅の叙事詩に
終わりはない

 意味よりも、音よりも、一字ずつ減っていく連の形に目がとまる。そのために何が書いてあったか、印象に残らない。一字ずつの増減は、他の連でも繰り返されるから、これは山崎の狙いである。この形が崩れたら、その乱れが印象に残る。
 それが三連目。

この夢のなかへ
曇りガラスのむこうから
知らない男と女の声がとどく
やっと心が安らいできた、と女
だが、何一つ、解決したわけではない、と男

 突然、「ドラマ」になるのである。これは「わざと」である。そして、この「わざと」は一瞬だから、いい。

 青木風香「お前風俗行くなよな」。「お前」ということばが、ここにはドラマがある、と告げる。でも、それが「風俗行くなよな」ということばで閉ざされると、私は、とても窮屈に感じてしまう。風俗の客になるな、風俗の店員になるな、のどちらを言っているのかわからないが、とても古いドラマ、映画で言うと「赫い髪の女」(神代辰巳監督)の世界だな。四、五十年前の映画だから、いまは、これが新しいのかもしれないが。

自分を大事にしろよ
見栄なんて捨てろよ
二人で旅行にいこう

 これは「わざと」かなあ。「わざわざ」かなあ。私には、よくわからない。どちらにしたって、このことばは、「肉体」を要求している。つまり、「過去」という肉体をもった役者が、「ことば」を隠して肉体をさらけだすときにだけ輝く類のものだと思う。
 なぜだかわからないが、「赫い髪の女」で、女が「このあたり、卵がめちゃくちゃ安い」と怒るように言っていたシーンを思い出してしまう。肉体がそこにあるとき、どんなことばもドラマになる。
 詩は、役者の肉体に頼らず、ことばそのものの肉体を見せるものだ。青木のことばの肉体は、妙に古い感じがする。「わざと」? 

 暁方ミセイ「白椿」。

あなたをわたしが見
わたしをあなたが見

 「見つめ合う」ということばを拒絶しているところが、とてもおもしろい。「見」という単独の漢字が、ふたりの「関係」を象徴している。
 で、これは、こうつづく。

その関係のあいだで生じたものは
流れ流れて
いまごろ春の湊の渦の
永久にとどまる水滴の一瞬です

 意味なのか、イメージなのか、よくわからない。しかし、「あっ」と思う。それが「ことばの肉体」というものだろう。役者がスクリーンに出てきた瞬間、「あ、宮下順子だ、女が出てきた」と思うようなものだ。暁方の詩にふさわしい例ではないが、青木の詩を読んだあとなので、そんなことばが動く。山崎の書いていた女と男も、「赫い髪の女」の世界を生きているのかなあ、と思い出したりもする。
 私はいつでも何かの影響を受けながら、ことばを読んでいる。
 脱線したが。
 この「一瞬」は、最後に、こう言い直される。

白椿に似た
居もしないあなた あなたの気配が
ぽったりぽったりと
曇りの空から
温み 落ちてくる
 
 「白椿」に似ているのは「あなた」なのか、「あなたの気配」なのか、あるいは「居もしない」ということ自体なのか(だから気配というのか)、いろいろ思うのだが「ぽったりぽったり」はそういうことを消してしまって「白椿」そのものになっていく。「温み」にもなっていく。
 この「連続性」は、やはり「ことばの肉体」である。
 「肉体」というのは、手にしろ足にしろ、目にしろ耳にしろ、それは単独で取り出せない。どこかでつながることで「一体」(存在)になっている。こういう「切り離せない感じ」を感じる瞬間が楽しい。裸を見ている感じ。
 こんなことを書くと「セクハラ」と批判されてしまうかもしれないが。
 しかし、私は詩を読む(小説を読む、哲学を読む)というのは、私のことばと他人のことばがセックスすることだと思っているし、セックスの果に自分が自分ではなくなる(エクスタシーに達する)ことだと思っているので、「わざと」「わざわざ」、こう書いておくのである。
 

 

 

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