詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

Estoy loco por espana(番外篇265)Obra, Angel Castaño y Antonio Pons

2022-12-29 22:29:31 | estoy loco por espana

Obra, Angel Castaño y Antonio Pons

 Angel Castaño fotografía la obra de Antonio Pons. Es la obra de Antonio, pero no es su obra.
 ¿Por qué?
 Porque es una expresión del trabajo de Antonio que yo nunca pudo ver con mis propios ojos; es algo que Ángel vio, y al fotografiarlo, así yo pudo ver por primera vez.
 Siempre he visto el trabajo de Antonio en términos de "sofistocada". Ángel le añade "fino" y "delicado".
 Antonio utiliza diversos materiales en su obra. Madera. Hierro. Aluminio. Cuerda. Son materiales que han vivido épocas diferentes. Tienen historias diferentes. Cuando se encuentran, es necesario realizar ajustes complejos, que Antonio lleva a cabo con sumo cuidado. Integra el conjunto uniéndolo de forma minuciosa y sutil. Las fotografías de Angel lo demuestran. El énfasis en los detalles lo hace más claro.
 La fotografía es también una crítica, que da nueva fuerza a la obra. El nuevo trabajo potenciado no es sólo de Antonio, sino también de Angel.
 Hay aquí un feliz encuentro y nacimiento artístico.

 Angel Castaño がAntonio Ponsの作品を写真に撮っている。それはAntonio の作品であるけれど、Antonio の作品ではない。
 なぜか。
 それは、私の目では絶対に見ることができないAntonio の作品の表情だからである。Angel が見て、それを写真に撮ることによって、初めて私にも見えるようになったものが、そこにある。
 私はAntonio の作品を「洗練」ということばでとらえてきた。Angel はそれに「細密」をつけくわえる。「繊細」をつけくわえる。
 Antonio の作品にはいくつもの素材が使われている。木材。鉄。アルミニウム。縄。それらは別々の時間を生きてきた存在である。異質な歴史を抱えている。それが出会うとき、複雑な調整が必要である。Antonio は、その調整を、ていねいにおこなう。細密に、繊細に結びつけることで、全体を統合する。それがAngel の写真によってわかる。細部の強調によって、鮮明になる。
 写真もまた一つの批評であり、作品に新しい力を与える。新しい力を与えられた作品は、Antonio の作品であるだけではなく、Angel の作品でもある。
 ここには、幸福な芸術の出合いと誕生がある。

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「現代詩手帖」12月号(20)

2022-12-29 12:27:22 | 現代詩手帖12月号を読む

「現代詩手帖」12月号(20)(思潮社、2022年12月1日発行)

 北原千代「オルガンの日」。古くなったが、壊れてしまったとは言えないオルガン。

指をあずけるとすぐにうたう
通いなれたこみちだから
うたはじぶんでうたってしまう
よしろう、かつき、なみ、うらら
あなたたちは知らないでしょう
あのころわたしは作曲家だった
たった一度きりのうたを千より多く知っていた

 「一度」と「千」の比較。それが美しい。「百」だと足りない。つまらない、「一万」だと多すぎる。「一」はだれでも体験できる。「千」はかなりむずかしい。「千」を発見するまでに「よしろう、かつき、なみ、うらら」の四人が必要だったのだろう。四人によって「千」は「必然」になった。
 それは「うたはじぶんでうたってしまう」と重なる。「自然」が「必然」。この「自然」から「必然」への移行がとてもいい。
 「現代詩」の「わざと」とは無縁である。つまり、「現代詩」ではなく、詩。

 中尾太一「長い散歩 Ⅲ」。

「今日」を越えることなく
わたしがなくしたものの
死んだ人のような体と表情を見て
いっせいに立ち止まってしまうここで
「明日」への態度を愛として苦しんでいたいと思った。

 ここに書かれる「今日」は「今日という一日」ではなく、「今日を成立させる千日」のようなものかもしれない。「過去」のすべてである。一方「明日」は「明日一日」である。「明日」の向こう側に「千日(永遠)」はない。
 もし「永遠」があるとすれば、それは「明日」あるいは「明日の向こう」ではなく「愛」のなかにある。しかも、それは「苦しむ」ための「愛」である。その矛盾を成立させるために「立ち止まる」。「いっせいに」と中尾は書くが、この「一(斉)」のなかには「一」と「千」の固い結合がある。(それは、あとで引用する部分に、別の形で書かれる。)
 それにしても。
 「愛を苦しむ」か。ただ苦しむだけではなく「愛を苦しんでいたい」。それは欲望して、そうなるのだ。「思う」という動詞がそれに念を押す。
 北原のことばに比べると、それが「わざと」であることがわかる。「現代詩」だ。しかし、これは鍵括弧でくくる「現代詩」かもしれないなあ。「現代」に意味があるのではなく、「定型化した現代詩」という意味である。
 「定型」だから、とても安心して読むことができる。

「キミガ世界ノ構造」を書くのなら
「ワタシハ個の構造」を書いて
いつしかそれを一つに合わせてみよう

 どうせなら、

「キミガ世界ノ構造」を書くのなら
「ワタシハ個の構造」を書いて
いつしたそれを千に砕いてみせよう

 と書いてほしかった、と私は思う。
 ここでこんな思いを書いていいかどうかわからないが、たぶん北原の詩の中に「よしろう、かつき、なみ、うらら」という四人の「あなた」が出てきたから思うのだが、私は母親がせっかく肉体を分離して、子であることをこえて個として産んでくれたのだから、徹底して個になりたいと思う。すべての「一」を叩き壊して「千」のなかに消えていきたいと思う。まあ、これは私の思いであって、中尾とは関係がないのだけれど。

 伯井誠司「DE IMITATIONE CARTI」。

いかに汚き、われらみな…… 人のため、また世のために
働くこそは何よりもつまらぬ役務なるべけれ。
いかなる恥を忍ぶれどもはや褒美もかひも無し、
演ずる人も見る人もすでに飽きたる芝居ゆゑ。

 このことばは、すべて「わざと」書かれたものである。「ソネット/定型詩」のために。ただ、ソネットといっても十四行詩になっているだけだ。ソネットという定型(構造)のために、伯井がどれだけ彼自身のことばを破壊したのかわからない。たぶん破壊したという気持ちはないかもしれない。だとしたら、それはやっぱり破壊ではない。
 中尾の書いた三行が、まざまざとよみがえる。

「キミガ世界ノ構造」を書くのなら
「ワタシハ個の構造」を書いて
いつしたそれを一つに合わせてみよう

 伯井と中尾は、それぞれ「違うことをしている」と主張するだろうけれど、私には「同じこと」をしているように見えてしまう。「完成された定型」(定型という完成)を生きている。

 

 


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